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【蓋棺録】西村京太郎、宝田明、北村春江、原田泰治、稲畑汀子〈他界した偉大な人々〉

偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。

西村京太郎にしむらきょうたろう

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作家の西村京太郎にしむらきょうたろう(本名・矢島喜八郎)は、トラベルミステリーの第一人者としてファンを唸らせ続けた。

1978(昭和53)年、『寝台特急(ブルートレイン)殺人事件』がベストセラーになり人気作家に躍り出る。時刻表にはない停車駅や水死体の偽装法など、次々と繰り出されるトリックで読者を驚かした。「この本で初めて重版がかかりました」。

30年、東京の荏原町(現・品川区)に生まれる。父は菓子職人。旧制都立電機工業学校に在学中の45年に、100倍の難関を突破し東京陸軍幼年学校に合格する。軍人エリートとしての人生を歩み「いずれ死ぬものと思っていた」。しかし、学校は空襲で壊滅し愕然として敗戦を迎えた。

戦後、大学進学も考えたが、家計を支えるため臨時人事委員会(現・人事院)に入る。「同一労働同一賃金」を信じて働くが29歳の時「母には話さずに辞めました」。1年は貯金で凌ぎ、パン屋や探偵社などで働きながら推理小説を書く。

懸賞小説にも応募したが、本格的に取り組んだのは、63年に『歪んだ朝』がオール讀物推理小説新人賞を受賞してからだった。2年後『天使の傷痕』で江戸川乱歩賞を受賞するが売行きは伸びず、担当者から「書く前にテーマを相談して下さい」と言われる。

そこで、当時、話題になっていた寝台特急を見にいって、担当者に話すと「それでいきましょう」と決まった。十津川警部が推理を繰り広げる『寝台特急殺人事件』は、最初の1カ月で10万部売れ、総計で約200万部に達する。

80年に京都に転居したが、しばらくして山村美紗に出会った。山村は「西村ファン」だと言うが、すでに小説を書いていて付き合いが始まる。あるときプロポーズしたが「結婚できない」と拒否される。人に言えない癖でもあるのかと勘ぐり「そういう人でも僕は平気です」と言うと山村は怒った。「結婚しているから、できないのよ!」。

料亭だった建物を買って、本館と別館に分かれて住んだが、渡り廊下の扉の鍵は山村だけがもっているという伝説もあった。山村の娘で女優の紅葉は、西村作品が原作の映画やテレビドラマに出演してくれた。96(平成8)年、西村が脳血栓で倒れ、山村が亡くなるまで、人気作家同士の共住は続く。「30年のつきあいでした」。

山村の死後、医師の勧めもあって湯河原に引っ越し、脳血栓のリハビリを続けた。70歳になってから、秘書を務めていた女性と結婚する。「初婚でした」。その後も十津川警部ものを発表し続けた。(3月3日没、肝臓癌、91歳)

宝田明たからだあきら

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俳優の宝田明たからだあきら(本名・寶田明)は、東宝映画の2枚目として出発し、ミュージカルでも存在感を示した。

1954(昭和29)年、初めて主役を務める『ゴジラ』の撮影が開始される日、スタッフを前に「主役をやる宝田です」と挨拶すると、すかさず「馬鹿野郎! 主役はゴジラだよ」とやじられる。「それ以降、ゴジラは同期生でライバルになりました」。

34年、日本統治下の朝鮮に生まれる。父は朝鮮総督府鉄道局員で、6人の子供の下から二番目。父が南満洲鉄道に移ったので旧満洲のハルピンで育つ。しかし、45年にソ連軍が侵攻してきて腹部を撃たれ、「麻酔なしで弾を抜いて気絶した」という。

長兄、次兄は召集され、姉は牡丹江で働いていて音信不通、三兄はソ連軍に強制使役されていたが、父・母・弟とハルピンを脱出した。46年、命からがら日本に帰国したものの、長兄は戦死、次兄の復員は2年後、姉が北朝鮮から帰国したのは、56年になってからだった。

中学生のとき演劇に興味をもち、都立豊島高校に在学中、東宝ニューフェイスに応募するよう勧められる。3800人の中から選ばれ、初出演が54年公開の『かくて自由の鐘は鳴る』だった。三作目の『ゴジラ』では早くも主役に抜擢される。

この作品は、水爆実験によって海底の怪獣が眠りから目覚め、文明社会に復讐するという物語で人気シリーズとなる。「僕も俳優として一本立ちしました」。1年後輩の司葉子との共演は多く、57年公開の『青い山脈 新子の巻』など32本にのぼった。先輩格の高峰秀子と共演した62年の『放浪記』を思い出す映画ファンも多い。

いっぽう、森繁久弥と56年の『森繁よ何処へ行く』で共演したのが縁で、57年の『サラリーマン出世太閤記』などコメディにも出演する。コミカルな演技は、90(平成2)年の『あげまん』や2年後の『ミンボーの女』で円熟を見せることになる。

もうひとつの転機は64年のミュージカル『アニーよ銃をとれ』への出演だった。『風と共に去りぬ』、『サウンド・オブ・ミュージック』、『マイ・フェア・レディ』などでファンを喜ばす。「年を重ねるにつれて、手ごたえを感じるようになりました」。

満洲での体験を「あるときポロッと語ったら、多くの人が関心を持って下さった」。その後、引き揚げの光景を含んだ朗読劇『宝田明物語』を演じるようになる。最近は、ウクライナ報道で当時の自分を思い出し憤っていた。(3月14日没、肺炎、87歳)

北村春江きたむらはるえ

元芦屋市長の北村春江きたむらはるえは、全国で初の女性市長となり、阪神・淡路大震災のさいには復旧のために奮闘した。

1995(平成7)年1月17日の早朝、何かが起こって飛び起きる。地震だと認識するのに時間がかかった。夫は倒れてきた箪笥の下敷きになり腰を骨折して動けない。車に夫を乗せて病院に預け、市庁舎に向かった。「気がつくと、干してあった子供のトレーナーを着て、ぶかぶかの靴を履いていました」。

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