出口治明の歴史解説! フランス料理とイタリア料理が美味しい理由は…
歴史を知れば、今がわかる――。立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さんが、月替わりテーマに沿って、歴史に関するさまざまな質問に明快に答えます。2020年6月のテーマは、「衣食住(ライフスタイル)」です。
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※本連載は第31回です。最初から読む方はこちら。
【質問1】世界商品といえば、中国の絹が思い浮かびます。シルクロードを通ってはるばる運ばれていくロマンチックな情景が浮かびます。どうして絹は珍重されたのでしょうか?
絹織物は、中国では中華民族の伝説の始祖である黄帝(B.C.2510~B.C.2448)の后が作ったという伝説があるほど古い歴史を持っています。西漢(紀元前206~8)の頃に養蚕技術がほぼ確立し、北宋(960~1127)の頃には絹布で税金を納めるほど養蚕は一般に広まっていました。
なぜ、中国で絹織物が盛んになったかといえば、地理や気候によることが大きい。地球はおよそ7万年前から1万年くらい前まで氷期でしたから、ヨーロッパは氷床に覆われるほど冷え込んでいました。それぐらい寒いと動植物はほぼ死に絶えます。
ヨーロッパに比べるとユーラシアの東方は南に突き出ています。特に中国の雲南などは氷床に包まれることなく、貴重な動植物(蚕や茶木)が生き残ることができました。中国の絹やお茶が世界商品となったのは、自然環境の影響が大きかったのです。
絹が世界中で珍重されたのは、見た目が美しく、肌触りがよく、軽いからです。この貴重な世界商品を守るために、中国はずっと絹やお茶の製法を門外不出として独占しつづけました。「外国へ持ち出したら死刑やで」と。それでも、人類の情報伝達の力は目を見張るものがあります。5世紀頃にはローマに養蚕の技術が伝わっているのです。日本でも、これは伝承であって歴史的事実ではないと思いますが、5世紀頃の雄略天皇が皇后に養蚕をすすめたという話が『日本書紀』に見られます。
しかし、そうやって養蚕や絹織物の知識を学ぶことができても、細かい技術やノウハウまでは習得できませんでした。王侯がプレゼントに使うようなグレードの高いシルクは中国が独占していました。日本でも江戸時代はもちろん、明治に至るまで最高級のシルクといえば、中国からの舶来品でした。
人類の歴史のなかで交易の対象となった世界商品は「運びやすいわりに値段が高いもの」が基本でした。絹、お茶、香辛料などの世界商品は、その条件を満たしていました。
アヘン戦争(1840~1842)の頃まで、東西の交易といえば、中国やアジアの世界商品をヨーロッパへ運ぶことが中心でした。その主なルートは2つです。1つはモンゴル高原、カザフ草原を馬で駆け抜け、黒海から船で運ぶ「草原の道」。もう1つは、中国の南方から船で沿岸伝いにインドをまわってペルシャ湾や紅海を経て地中海に至る「海の道」でした。
「あれっ、絹といえば、シルクロードでは?」と思われた皆さんもいるでしょう。実は、ラクダの背に揺られて月の砂漠を歩いて行くシルクロードは、通商路としてはほとんど機能しませんでした。いくら絹やお茶が運びやすいといっても、ラクダの背では載せられる量に限りがあります。船で運ぶ海路より、コストはたくさんかかります。
シルクロードの遺跡をいくら掘っても、実は大規模な交易の跡はほとんど出てきません。ラクダに乗って人は行き来していたようなので、シルクロードを通って移動していたのは、おそらく奴隷やほんの少量でも価値の高い貴金属ぐらいだったのでしょう。
「シルクロード」といういろいろな想像を掻き立てる美しい呼び名は、ドイツの地理学者リヒトホーフェン(1833~1905)が著書『China』で使ったのが最初です。その後に、弟子の探検家のヘディン(1865~1952)が著した旅行記が『The Silk Road』と英訳されて広まったものです。シルクロードでは東西の交易はほとんど行われていなかった、というのが歴史上の事実のようです。
【質問2】ヨーロッパでは、フランス料理とイタリア料理が美味しくて、イギリスとドイツの料理はそうでもないといわれます。その差はどこから生まれたのでしょうか?
歴史を紐解くと、その国を代表する料理はたいてい権力者と深くかかわっています。強い権力を握った為政者が、初めに何をするかといえば、先ず美味しいものを食べて、美男美女を集めることでしょう。古今東西、いずこも同じです。
腕のいい料理人を集め、珍しい食材を集めて発達したのが、宮廷料理をはじめとする各国の高級料理です。
フランス料理をはじめとするヨーロッパの高級食文化の淵源は、おそらくイスラーム帝国アッバース朝(750~1258)の宮廷料理でしょう。イスラームの王朝がなぜヨーロッパの宮廷料理に影響を与えたのか、これから順を追って説明しましょう。
アッバース朝の首都バグダードは、8世紀から9世紀にかけては世界最大の都市で栄華を極めていました。宮廷では、スパイスを使った複雑な肉料理などが提供されていたといいます。その時、食事のために使われていた道具が、フォークとナイフでした。あの食事のスタイルは、ヨーロッパ発祥のものではなかったのです。
アッバース朝の宮廷料理は、中東世界の交易の中心地ダマスカスや、バクダードから世界の中心地を引き継いだカイロを経て、イタリア半島に伝わります。ヨーロッパへの玄関口だったヴェネツィアやフィレンツェには、イスラーム世界から最先端の流行が入ってきました。シリア経由で入ってきた宮廷料理には、デザートの定番であるシャーベットまでありました。あの暑い地域で、冷蔵庫もない時代に冷たいシャーベットですから、とんでもない贅沢品だったのでしょう。
14世紀から16世紀にかけてのフィレンツェは、ルネサンスで活気づくヨーロッパの中心地でした。ここで銀行業を始め、大成功したのがメディチ家です。大金持ちの名家となったメディチ家では、腕のいい料理人を抱え、フォークとナイフで最新の料理を食べていたようです。
このメディチ家から、フランス王家に嫁いだのがカトリーヌ・ド・メディシス(1519~1589)です。彼女は、もともとこの結婚にあまり乗り気ではありませんでした。「フィレンツェよりうんと寒いフランスなんか嫌。美味しい料理も食べられないでしょう」というわけです。当時のフランスでは、獣の丸焼きをテーブルに載せて、ナイフで切り取り手づかみで食べるという噂があったからです。つまり、それだけ、野蛮だと思われていたのです。
この縁談をまとめた叔父のローマ教皇クレメンス7世(1478~1534)は、「心配せんでええよ。料理人も家臣もみんな連れていけばええよ。フィレンツェと同じような豊かな生活ができるよ」となだめました。これによってバグダードの宮廷料理を源流にもつヨーロッパ最先端のフィレンツェの料理が、フランスの王室に持ち込まれて、フォークなどを用いるテーブル作法も伝わったとされています。
フランスは大国で、当時のフランス王家も、かなりのお金持ちでしたから、宮廷では次々とフィレンツェ風の料理を作れる料理人を抱え、それによってフランス料理はどんどん発展していきました。
フランス革命(1789~1799)が起こると、この宮廷料理人たちが仕事を失い、パリの市内でレストランを開きました。そして、これがフランス料理が、一般に広がるきっかけとなりました。
さらに、ほかの地域にもフランス料理は伝わります。フランス革命によって、貴族たちの一部はロシアへと逃がれました。当時のロシアの宮廷は、ほとんどフランスかぶれで、サンクト・ペテルブルクの宮廷内ではフランス語が公用語でした。ロシア語は下々の言葉で、フランス語が話せないと出世できなかったほど、フランスの文化が敬われていたのです。
当然、フランス王室風の料理もロシア貴族の間に広まります。当時のフランス料理は、料理をいっぺんに並べて食べていたので、寒いロシアではすぐに冷めてしまって美味しくありません。そこで考え出されたのが、料理を一品ずつ順番に出していくスタイルです。いまでは、高級レストランなどでは、普通の光景ですよね。フランス料理は、ロシアで完成したという説もあるほどの大きな変化でした。
イタリアやフランスの料理には、イスラーム帝国アッバース朝から脈々とつながる文化の伝承がありました。それは王族や貴族、富豪たちが、贅沢の限りを尽くして積み重ねた文化の味です。
それに比べると、イングランドやドイツの料理には、そこまでの歴史や伝統はどうもないようです。王室もフランスなどに比べれば規模は小さめです。そういった歴史の違いが、料理の味にも表れていると考えていいでしょう。
(連載第31回)
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■出口治明(でぐち・はるあき)
1948年三重県生まれ。ライフネット生命保険株式会社 創業者。ビジネスから歴史まで著作も多数。歴史の語り部として注目を集めている。
※この連載は、毎週木曜日に配信予定です。
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