藤原正彦 父の手拭い 古風堂々36
ロシアによるウクライナ侵攻ほどのあからさまな侵略が、21世紀ヨーロッパで行なわれるとは信じ難いことである。さらなるショックは、弱小国ウクライナが強大国ロシアに一方的に蹂躙され、多くの市民が殺されてもなお国家の存亡をかけ勇敢に戦っているのを、毎日毎晩テレビなどで見ながら、どの国も助けに行こうとしないことだ。アメリカでは最タカ派議員さえもウクライナへの戦闘機供与に反対している。誰もが核攻撃をほのめかす狂気のプーチンと事を構えたくないからだ。核攻撃をほのめかしさえすれば台湾や尖閣を手に入れられる、と習近平が勘違いしないよう、プーチンの侵攻を破滅的大失敗に終らせねばならない。
ウクライナ侵攻の画像で、私が最も身につまされるのは避難民の姿である。18歳から60歳までの男子は出国を制限されているから、避難民のほとんどは女性、子供、年寄りだ。なけなしの物をリュックにつめ子供達の手を固く握りしめて歩く母親。足をひきずる老妻の手をとりながら、ポーランドを目指して一歩一歩進むおじいさん。途中で親とはぐれたのか、泣きじゃくりながら歩く男の子もいる。これはまさに終戦後、命からがらソ連軍から逃げのびて来た私達一家の姿だった。より惨めな姿だったが。
昭和20年8月9日夜、2歳になったばかりの私は、満州国新京(今の長春)の官舎で5歳の兄、生後1ヵ月の妹と枕を並べて熟睡していた。母の『流れる星は生きている』によると、夜の10時半頃、父は突然勤め先の気象台から非常召集を受けた。1時間余りたって戻った父は蒼白な顔で、「24時間前に、ソ連軍が日ソ中立条約を破り怒濤のごとく満州へ侵攻してきた。奴等が新京に到達する前に脱出する。午前1時半までに新京駅に集合だ」と言った。「満州は我々が守るから安心」と言っていた関東軍はもぬけの殻だった。私達は持てるだけの物を持って駅まで4キロの道を急いだ。兄は歩き、母が私を背負い、父はリュックの上に生まれて間もない妹をくくりつけ両手に大きな風呂敷包みを下げていた。
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