選択と集中の“競争主義”で日本からノーベル賞が消える!|藤原正彦×梶田隆章「教育再生会議」
高等教育を軽視する国に未来はない。研究者ポスト、研究資金は減り続け、今、教育・研究機関としての大学は危機的な状況にある。過剰な競争主義に蝕まれた日本からノーベル賞受賞者が消える日は近いかもしれない。/文・藤原正彦(作家・数学者)×梶田隆章(東京大学宇宙線研究所所長)
藤原氏(左)と梶田氏(右)
消失する若手研究者のポスト
藤原 2019年に吉野彰さんがノーベル化学賞を受賞されて、自然科学分野における日本人のノーベル賞受賞者は全部で24人となりました。梶田さんもそのお一人で、2015年に「ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノ振動の発見」で物理学賞を受賞されていますね。今世紀に入ってからの同分野の日本人受賞者は、梶田さんや吉野さんを含めて18人となります。これはアメリカに次いで世界2位という輝かしい実績です。ただ、昨今の大学の教育・研究環境の劣化を見ると、このままでは受賞者数が他国に抜かれるのも時間の問題でしょう。将来的に、日本からノーベル賞受賞者が生まれなくなってしまうのでは、と心配になるほどです。梶田さんは実際に現場で、大学の研究力についてはどう感じていらっしゃいますか?
梶田 藤原さんのおっしゃる通りで、研究機関・高等教育機関としての大学は、どんどん足腰が弱っています。私が在籍している東京大学はたぶんまだ少しは余裕がありますが、地方の国立大学は危機的な状況です。なぜそこまで追い詰められているかと言うと、一番大きいのは“お金”の問題です。
国は2004年に法人化した国立大学に対する補助金として、「運営費交付金」を支給してきました。当初、運営費交付金の総額は1兆2400億円でしたが、近年まで毎年一律で1%ずつ削減されてきました。1%は100億円以上です。国は「削減分については外部資金で穴埋めすればいい」と言いますが、そんなことを出来る大学はほとんどなく、人件費を削って対応しているのが現状です。若い助教のポストなど、正規のポストを徐々に減らしていき、新たに若い人を雇えなくなりました。
国立大学への補助金は減らされ続けた
藤原 実際、私は2009年にお茶の水女子大学を定年退職しましたが、退官後に数学の教授は補填されませんでした。このように、人件費に使われる運営費交付金が減らされたため、空いたポストに後任があてがわれないということがどこの大学でも頻発しています。歴史学科から中世ヨーロッパ史の専門家が抜け落ち、哲学科からカントの専門家が抜け落ち――というように、その大学の研究にポコポコと穴が開いていってしまっている。お茶大では10年前に183名いた教授と准教授が、今では144名にまで減らされました。他の国立大学も同様でしょう。その上、東大をはじめ、多くの大学で定年が3年から5年延びています。若手研究者のポストは消失しているのです。
梶田 40歳になるまで安定したポストに就けない人が過半数でしょうね。若い研究者は評価ばかりを気にして、「いつクビになるか分からないから、短期間で結果が確実に出る研究をするしかない」という発想になり、とにかく論文を量産することに忙殺されます。その論文ですが、「量」と「質」ともに、日本のレベルは低下しています。鈴鹿医療科学大学学長の豊田長康さんの分析によると、人口あたりの論文数の国際比較で日本は38位という下位にあるのです。ちなみに、同じアジアの韓国は、日本の約1.83倍を産生しています。また、「被引用数が世界でトップ10%に入る高注目度論文数の、その国の論文に占める%」を示す「トップ10%論文数割合」は、世界で75位というランクです(どちらも2014〜16年の平均値)。
統計的に見ると、若い世代の研究者のほうが優秀であることは明らかです。体力面もそうですが、発想力も豊かなのです。人生で最もクリエイティブな仕事が出来る若い時こそ、腰を据えて研究に邁進できる環境が必要なはずです。
藤原 自然科学分野の日本人ノーベル賞受賞者が大学に就職した時は、任期付き教官などいない時代でした。終身雇用なら最悪、5年間ずっと釣りだけしていてもクビにならない(笑)。それくらいの余裕があるからこそ、若いうちから短期的な成果を気にすることなく、独創的かつ冒険的な研究が出来たわけですよね。
梶田さんもノーベル賞の対象となった研究は若い時のものでしょう?
安定したポストがノーベル賞を生む
梶田 そうですね。ニュートリノ振動の可能性について気づいたのが1986年で27歳の時、研究を初めて論文で発表したのが2年後で29歳の時でした。そこから研究を重ね、39歳の時にニュートリノ国際会議で研究成果を発表したところ会場から拍手を受け、自分の研究が世の中に認められたと初めて実感しましたね。研究を12年間続けたことになりますが、この間に私が責任著者として書いた論文は、1988年からの10年間を見ると2年に1本というレベルでした。今なら確実にドロップアウトしているでしょう。
私が幸運だったのは、大学院での博士号取得後に助手のポストをいただけていたということです。安定したポストに就けていたからこそ、何の心配もせずに自分のやりたい研究に取り組めた。いつ仕事がなくなるか分からないという不安に縛られていたら、生活を続けていくために研究テーマを変えざるを得ないということも起こっていたかもしれません。
咲いた花に水をあげているだけ
梶田 運営費交付金が減らされる一方で、科研費などに代表される“競争的資金”はある程度増えてきました。これは、日本中から応募された研究課題について専門家が評価し、必要性や重要性が高いと認められたものに資金が提供されるというものです。
運営費交付金が削減された影響で、基礎研究の予算を担う科研費への応募数は増えています。科研費獲得を巡る競争が熾烈を極めた結果として何が起こるかというと、その時々で流行っているテーマにばかり研究者が飛びつくということです。芽が出る前の研究はもちろん流行っているはずもないので、審査員に見抜けるはずもありません。そもそも基礎研究はゼロのところから芽が出てくるものですから、そんなものを的確に評価できる人なんていないですよね。
藤原 15年ほど前に、大阪大学の総長だった岸本忠三さんと対談した時のことです。岸本さんはちょうどその頃、山中伸弥さんのiPS細胞研究についての予算審査を担当されていました。まだ山中さんがiPS細胞の作製に成功していない頃で、面接をした岸本さんは当初、「人間の皮膚を取ってそこから心臓や眼が出来るなんて、あり得ないよ」と思ったらしい。でも、山中さんがあまりにも熱弁をふるうので「ちょっとあげてみようか」と。その後5年間で約3億円の研究費が支給されることになったそうです。そうしたら大ホームランをかっ飛ばして、ノーベル賞まで貰ってしまった。岸本さんは免疫学の世界的権威で、ノーベル賞候補に何度もなったことがあるほどの研究者です。それほどの人物でもiPS細胞などというものを信じられなかったのです。新しい研究が有望かどうかを判定するのは極端に難しい。
梶田 「選択と集中」の競争主義が、日本の科学力を弱めている大きな一因だと思います。何もないところから新しい芽が出て花を咲かせた研究こそ、本当の意味で革新的なのですが、今は咲いた花に水をあげることしかしないんですね。
藤原 しかも支給される研究費の多くは1年単位とか2年単位。これでは研究者の頭も1年単位とか2年単位、研究員採用も1年単位とか2年単位となってしまう。息の長い研究はできません。それに研究費に応募しても採択率は低いから、いくつも応募しなければいけない。大学の理系教授は今、そのための書類作りに追われていて、研究や教育の時間は激減しています。
数学の世界でも「選択と集中」に似た話が出たことがありました。1950年代、フランスの数学者であるアンドレ・ヴェイユが「少数精鋭主義」を提唱したのです。簡単に言えば、一部の天才が頑張って成果をあげれば残りの凡人はいてもいなくてもいいというもので、この考えは議論を巻き起こしました。ですが、少数の天才だけでは学問は発展しない。多くの人々による研究の積み重ねがあった上で、天才がブレイクスルーする。つまり、底辺の広いピラミッド型になって初めてその頂点は高くなるということです。底辺を広げるために、国は幅広い分野に積極的にお金を投じていくべきでしょう。もちろん無駄金になることもあるでしょうが、その無駄金を使えるかどうかで、日本の科学の未来は決まると言っても過言ではありません。
梶田 おっしゃる通りです。無駄な研究はあってもいい。その「無駄はあってもいい」ということを受け入れる社会でないといけないんです。ある程度は研究者を信用して一定の資金を幅広く投じないと、日本の科学研究はどんどん先細ってしまいます。研究というのは、一部しか芽が出ないもの、芽が出ても花が咲くまで時間がかかるもの、産業的価値は低くても知の財産的価値が高いものなど、様々なものがあります。それら全ての研究活動を尊重するような世の中であってほしいです。
藤原 グローバリズムになってから、株主を意識してか経済界が短期的視野になっています。すぐに役立つ研究を求める経済界に政府がのってはいけません。
「物理学の研究者の世界」にいたかった
藤原 個人的な話になりますが、私が数学者を志したのは小学5年生の時でした。郷里が信州でして、隣村出身の小平邦彦さんという方が1954年に数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞をとったんです。『アサヒグラフ』に家族写真が掲載されていて、「かっこいい、僕もこうなりたい」とすぐに決めちゃったんですね。
梶田さんが物理学者になろうと決意されたのは何歳くらいですか?
梶田 私はもっと遅くて、大学院の博士課程に進学する頃でしたね。元々、埼玉大学理学部で物理の勉強をしていたのですが、ある日、授業を聞いていて「物理ってこういうものなのか」とふと気づかされる瞬間があり、だんだんと魅了されていったのです。東大の大学院にたまたま合格し、小柴昌俊先生の研究室に入りました。小柴先生は史上初めて超新星爆発の際に発生したニュートリノの観測に成功し、2002年にノーベル物理学賞を受賞されましたが、当時は1981年でまだ世間的に有名ではいらっしゃいませんでした。ただ純粋に素粒子に興味があって応募し、たまたま採っていただいて……今思い返しても、あまり細かいことは考えずに大学院生になったタイプですね。自分が大学院でやっていけるのかについては全く自信がありませんでしたが……。博士課程に進む頃も「物理学の研究者の世界」が好きで、その世界に自分もいられたらいいな、というぼんやりとした考えで進路選択をしていました。
好きなものをずっと好きでいられるか
藤原 梶田さんの分野は、研究室の皆でディスカッションをすることが結構あるのですか?
梶田 そうですね。素粒子の観測は個人ではおこなえないので、チームを組んでやっていました。小柴研の研究者達はいつも研究に熱中して、自然法則を解き明かすためにはどんな実験をすればいいのかと、時にはお酒を酌み交わしながら、語りあう雰囲気でした。
藤原 それは楽しそうですね。数学や理論物理の世界というのは、一人で問題に取り組まなくてはならないんです。朝昼晩ぶっ通しでじーっと考えて、鼻毛でも抜きながら「あれっ、最近は白髪ばかりになっちゃったな」とか言ってね(笑)。1本だけならいいけど同時に3本抜くと涙が出る、右から抜くと右目だけから涙が出る――そういう発見ばかりどんどん増えていく。ニッチもサッチも行かなくなり、劣等感や挫折感に何度も襲われ、「もうダメだ」と思う頃に、ようやく神様が微笑んでくれる。
梶田 ただ、私自身はデータを分析するとかいうことよりも、実験装置を作るのが楽しいというレベルの人間ですよ(笑)。私が小柴研に入った時はまだカミオカンデは建設されておらず、準備段階から関わりました。大きな水槽の中にボートを浮かべ、高感度センサーを手作業で取り付けていくという作業を4カ月にわたって続けていたのですが、カミオカンデが出来あがっていく様子を見るのが楽しかったです。性に合っていたのでしょうね。
結局のところ研究者は、好きなものを見つけて、それをずっと好きでいられるかということが重要だと思いますね。私は小学校から大学までを思い出してもそんなに勉強しなかったし、成績もすごくいいというタイプではありませんでした。それでも研究者になって研究を続けられたのは、根本にそういう気持ちを持っていたからだと思います。
梶田氏がニュートリノ振動を観測したスーパーカミオカンデ
教育の本質は「人の力を伸ばす」
梶田 また私が研究者としてやっていけたのは、小柴先生、戸塚洋二先生(2008年に逝去)という素晴らしい先生方に出会えたことも大きかったです。
藤原 教育においては、教師の役割は非常に重要ですよね。その役割の中でも、「褒めて、励ます」ということが、私は大切だと思っているんです。年齢を問わず全ての人間というのは、褒められることによって元々持っている能力の何倍もの力を出すことが出来るんだと思います。
小柴氏
戸塚氏
梶田 教育の本質は、「技能を身につけさせる」ということではなく、「人の力を伸ばす」ということにあるんでしょうね。小柴先生の教育がまさに、そのような方針でした。先生は細かい技術的な話はされず、研究者はこうありなさいという話を私達によくしてくれていましたね。「一生研究者としてやっていくのであれば、自分が将来やりたい研究の“卵”を常に持っていなさい。常に考えて、自分の考えが実現できる機会や環境を探っておくんだ」ということでした。
実際に小柴先生は1978年、研究仲間の先生から「陽子崩壊を確認するための実験装置を作れないものか」という依頼を受けた際、その依頼を受けて考え、カミオカンデの概案を提案したそうです。実は小柴先生は依頼を受ける20年も前から、カミオカンデのような実験装置のことを考えていたようです。要するに、人から言われたテーマを研究するのではなく、自分自身で卵を温めて自分で何かやるのが研究の根本だというお話でした。
藤原 自分が一生をかけて取り組みたいと思えるテーマを見つけるのはすごく重要な能力ですが、東大の大学院生は自分でテーマを見つけていますか? それとも、教授がテーマを設定してあげているんですか?
梶田 私の周囲には両方のタイプが存在しますね。ただ小柴先生の教えのように、自分で研究テーマを探し出せる学生のほうが、その後の研究者としての伸びは大きいと思います。
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