出口治明の歴史解説! 科学が進んだ現代で宗教が必要な理由は?
歴史を知れば、今がわかる――。立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さんが、月替わりテーマに沿って、歴史に関するさまざまな質問に明快に答えます。2020年4月のテーマは、「宗教」です。
★前回の記事はこちら。
※本連載は第25回です。最初から読む方はこちら。
【質問1】『新約聖書』はイエスの死後、『クルアーン(コーラン)』はムハンマドの死後にまとめられ、それぞれの教えを後世に伝えようとするものだったと思います。では、『旧約聖書』は何がきっかけで書かれたのでしょうか。
すこし長くなりますが、世界の宗教の大きな流れを説明することになるので、お付き合いください。
ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教が、同じ神様を崇める兄弟宗教(セム的一神教)であることは、この連載の第23回で解説しました。そのなかで最も古いユダヤ教の聖書(『旧約聖書』)が最初にまとめられたのは紀元前のことです。
紀元前7世紀の後半、メソポタミア一帯は新バビロニア王国(B.C.625~B.C.539)が支配していました。2代目の王、ネブカドネツァル2世(B.C.634~B.C.562)は、地中海の東岸にあるユダ王国(イェルサレム)を制圧します。ここはユダヤ人がつくった小さな王国でした。
ユダヤの民は独自の神を信じ、理屈っぽい人たちで、新しい支配者である新バビロニア王国に対して反乱を起こすことしばしば。さらに、新バビロニア王国の中心部からすれば、イェルサレムは遠く、監視をつづけるのは面倒でした。
そこでネブカドネツァル2世が考えたのは、ユダ王国の指導者クラスをみんな自国の首都バビロンに連行することでした。指導者たちを連れ去るのは世界史ではよくみられる合理的な方法です。町を破壊したり、反乱者を皆殺しにしたり、軍隊を駐留させたりするのに比べてトータルのコストが安く上がります。遠くに軍隊を置くと大きな負担になることは、トランプ大統領が日本や韓国に「米軍の駐留費用をもっと負担しろ」と迫っていることでもわかりますね。
この連れ去り事件のことを「バビロン捕囚」といいます。
それから60年ほどたった頃、新バビロニア王国はアカイメネス朝ペルシャに滅ぼされます。アカイメネス朝の初代国王キュロス2世(B.C.600頃~B.C.529)は賢い人で、占拠したバビロンの町に様子の違う人たちが住んでいることに気づきました。「おまえら何者や?」と尋ねたところ、ユダヤ人たちは「60年前にイェルサレムから拉致されてきました」と答えます。キュロスは「そりゃ、かわいそうやな。自由に帰ってええで」と彼らを解放しました。
ところが、彼らのほとんどは故郷に帰ろうとしません。当時の60年といえば、既に2代目、3代目が中心でほぼ全員がバビロン生まれのバビロン育ち。イェルサレムには知っている人も友だちもいないわけです。
それにバビロンは世界随一の大都会ですから正直、田舎のイェルサレムに帰りたくないというのが本音だったことでしょう。結局、故郷へと帰ったのは、司祭階級など先祖のお墓を守らなければいけない人たちばかりでした。いまの日本でも話題になっているお墓を守るという問題です。ユダヤ人のディアスポラ(散在)はこここから始まります。
帰郷した人たちは、かつて破壊されたユダヤ教の神殿を再建して第二神殿を造りました。でも、バビロンから戻る人があまりにも少ないので、だんだん不安になってきます。
「ユダヤ人はこのままペルシャ帝国のなかに埋没してしまうんじゃないか」
ユダヤ人のアイデンティティが確認できる何かいい方法はないか――そこで思いついたのがユダヤ人の歴史やユダヤ教の教えをわかりやすい形でまとめることでした。それが、のちに『旧約聖書』とよばれることになる経典です。
聖書はユダヤ人に語りかけます。「いまはしんどいけれど、われわれは神に選ばれた民やで。必ず救世主が現れて救ってくれるで」と。こうして宗教に選民思想が登場しました。
なお、旧約聖書というのは、キリスト教から見た呼び方です。イエスが新たに神と約束を交わしたから、「あっちは旧約で、俺たちは新約やで」と主張したのです。ユダヤ教徒たちには、そんなことは関係がないので、この時まとめられたものを唯一の聖書「タナハ」と呼んでいます。
キリスト教が新約聖書をまとめた理由も、これと似ています。イエスの死から月日がたつと、大切な教えがバラバラになりそうだと不安になってきました。「いろんな教えが出てきてバラバラになりそうや。これではアカン。書き留めて一つにまとめておこう」と、イエスの弟子の弟子たちの世代が聖書づくりに取りかかりました。しかし、完成したのは4世紀の終わり頃。イエスの死後300年の時間をかけたので、聖書(正典)のほかにも異本や外典がたくさん残っています。
それとは対照的に、イスラーム教のクルアーン(コーラン)は、ムハンマドの死からわりとすぐにまとまりました。みんなが勝手なことを言い出す前に「これしかないで」と取り決めたのです。3代カリフ、ウスマーンの時代です。
ちなみに、世界三大宗教の中で最も経典が多いのは仏教です。経典の数が増えれば増えるほど、勉強や修行もしんどくなってどんどんインテリ向きになることは、前回の講義で解説したとおりです。
旧約聖書は、バラバラになりかけたユダヤ人のアイデンティティを保つために「われわれは何者か」とはっきり見える化して共有するためのものでした。企業でも創業者が亡くなって時間がたつと、みんな好き勝手なことを言い出すので、創業者の語録をまとめてクレド(信条)を掲げたりしますね。あれと同じです。
【質問2】宗教と科学が対立することがありますね。たとえば、アメリカでは一部の熱心なキリスト教徒がダーウィンの進化論は、神様が人間をつくったという教えに反すると主張しているそうです。教えと聖書に書いてあること、これだけ科学が進んだ現代でも、やっぱり宗教は必要なのでしょうか。
自然科学が発達すると、宗教も折り合いをつけないと信者が離れるからしんどいですね。これは哲学も一緒です。
宗教も哲学も「世界はどうして出来たのか?」「人間はどこから来て、どこへ行くんだろう?」という根源的な問いに答えるものだとすれば、生命や宇宙のしくみがサイエンスによって明らかになればなるほど、宗教や哲学に答えを求める領域はだんだん小さくならざるを得ません。
ただし、重要なのは現在でも、自然科学が森羅万象をすべて解き明かしたわけではないことです。現代宇宙論でも、宇宙の始まりはビッグバンであると説明されていますが、ビックバンの前はどうだったんやという話になるとよくわかっていません。サイエンスで説明しきれない領域があるうちは、宗教や哲学の意義が失われることはないでしょう。
オウム真理教の一連の事件は、理系の大学院を出た賢い人たちがなぜカルト宗教を信じたのか、と多くの人が不思議に思いました。しかし、次のように考えることもできます。賢い人たちはわからないことがあることに我慢ができませんから、自然科学で解明できない部分に別の説明を求めた。それが、オウムの考え方だった。世の中には自然科学で分からないことなどいくらでもあります。そこをカルトがたくみに説明していったから、賢い人たちは「もう信じるほかない」という状況に追い込まれたのではないでしょうか。
それは何も賢い人だけの問題ではありません。生命のしくみがどれだけ解明されても、人間が不老不死を手に入れない限り、死や病気への恐怖心はなくなりません。新型コロナウイルスの研究がものすごく進んで、未知の病気ではなくなっても、感染して重症化して死ぬとすればやはり怖いことには変わりがないですよね。科学の力で病気の正体を突き止めても、人間の死への恐怖がなくなることはありません。
その意味で宗教には、人びとに生きる勇気を与えるという「ご利益」があります。しかもそれは、いま生きている世界だけではなく、来世の安寧だったりもする。これは自然科学にはないパワーです。宗教を信じることで心の平安が得られるなら、自分の人生のラストリゾートだと考える人も出てくるわけです。
宗教も科学も適度な折り合いをつけていくことが必要だと思っています。科学の恩恵を被りつつ、うまく説明がついて、一定の心の平安が保たれることができるなら、宗教はどんなに科学が発展しても、存在する意味を持ち続けるのではないでしょうか。
(連載第25回)
★第26回を読む。
■出口治明(でぐち・はるあき)
1948年三重県生まれ。ライフネット生命保険株式会社 創業者。ビジネスから歴史まで著作も多数。歴史の語り部として注目を集めている。
※この連載は、毎週木曜日に配信予定です。
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