出口治明の歴史解説! 第一次世界大戦を終わらせた「スペイン風邪」
歴史を知れば、今がわかる――。立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さんが、月替わりテーマに沿って、歴史に関するさまざまな質問に明快に答えます。2020年5月のテーマは、「戦争」です。
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※本連載は第26回です。最初から読む方はこちら。
【質問1】新型コロナウイルスの関連記事を読んでいると、「スペイン風邪の流行」の話をよく目にします。あまり学校の授業でも聞いたことがなかったのですが、第一次世界大戦の頃の話だそうですね。戦争が病気のために終わったなんてことも聞きますが本当のはなしですか?
そうですね。第一次世界大戦を終わらせたのは、まちがいなくスペイン風邪だといえます。
まずは、第一次世界大戦のおさらいです。この戦争は1914年7月から1918年11月まで、世界が三国協商(連合国)側と中央同盟側のふた手に分かれて戦いました。協商側は連合王国、ロシア、フランス、アメリカ、日本など、同盟側にはドイツ、オーストリア=ハンガリー、オスマン帝国、ブルガリアなどが参加しました。なお、アメリカが参戦する前は、双方の国力はほぼ拮抗していました。
スペイン風邪が、初めに広がったのはアメリカで、1918年3月のことでした。春過ぎには、ヨーロッパで大流行しました。これは、戦争に参加したアメリカ軍の兵士たちが持ち込んだと考えられます。今でいう、クラスターとなったのです。これが第1波です。
1918年秋になると、第2波が起こりました。感染がほぼ世界中に広がり、死亡率はどんどん高まっていきます。この第2波で、兵士も市民もバタバタと倒れていくので、連合国側も中央同盟国側も、もはや、戦争どころではなくなりました。
この頃、戦局は連合国側が優位に展開していたこともあり、11月に終戦を迎えます。
その後も1919年春から秋にかけて第3波が起こり、感染被害はさらに拡大しました。
第一次世界大戦による戦死者は1600万人、戦傷者は2000万人とされています。しかしスペイン風邪では、それより多くの死者が出ました。全世界で約5億人が感染し、4000万人以上が死亡したと推計されています。当時の世界の人口は約20億人でしたから、4人に一人が感染した計算になります。
戦地でも敵との戦いで死んだ兵士より、スペイン風邪で死んだ兵士のほうが多かったといわれています。
今回のコロナウイルスの流行でも、アメリカ海軍の原子力空母「セオドア・ルーズベルト」やフランス海軍の「シャルル・ド・ゴール」、台湾海軍の「磐石」の船内などでも、多くの感染者が出ていることが報じられています。
軍艦の中で感染者が大量に出たことで、持ち場からの離脱を余儀なくされ、世界の安全保障体制のバランスに影響が出ていることが想像できます。このような点からも、病気の蔓延が軍事に与える影響の大きさをわかっていただけるのではないでしょうか。
【質問2】古代ローマは、紀元前8世紀に建国した頃は小さかったのに、周りの集落や国に戦争で勝ちつづけて、どんどん大きくなりましたね。ローマ軍はなぜ強かったのでしょうか?
最大の理由はロジスティクスでしょう。ローマ軍は、戦うときにはきちんと兵站を整えていました。
ローマに街道ができるのは、紀元前312年に敷設されたアッピア街道からです。馬や兵士が素早く移動できるように石だたみで舗装されていました。これはアカイメネス朝ペルシア(B.C.550~B.C.330)のダレイオス1世(在位B.C.521頃~B.C.486)が建造させた「王の道」を真似たものです。
当時のローマ街道はインターネットのような情報ハイウェーでもあり、どこかで反乱が起これば「えらいこっちゃ、軍隊を派遣してくれ」という要請がすぐにローマに届きました。舗装道路があると、大帝国の守りが固くなるのです。そのことをよく知るローマ人は、遠征のときも要所要所に先ずと砦を築き、兵士たちのご飯や寝床を用意しました。
戦争はロジスティクスで決まり、ロジスティクスを整えるにはお金がえらくかかります。つまり、戦争はキケロが喝破したようにお金で決まるのです。GDPを比較すれば、おおよそ勝敗がわかるというものです。
加えて、ローマ軍の兵士は士気が高かった。なぜなら、給与や年金がたっぷり払われた上に、ローマ軍ではリーダーが先頭に立って戦ったからです。
自分が兵士だったら……と想像してみてください。大将が「ともに戦うぞ!」と先頭で戦う姿を見ながら自分も戦うのと、大将が後ろの安全地帯から「戦ってこい」と命令を出すだけなのと、どちらがやる気になるでしょうか?
敵から見ても、向かってくる軍隊の先頭に大将がいたらとんでもない圧力を感じるはずです。リーダーは危険であろうと先頭に立って戦う。ローマ軍が強かった理由の1つです。
それができたのには、理由があります。それは、ローマの支配階級がみんなストア派の哲学を信奉していたからです。ストア派は、人間の徳(知恵、勇気、正義、節制)を「自然と合致した性状」と考えました。この自然(nature)には、山川草木や動物たちの大自然という意味だけでなく、自分の存在や生と死、生活と社会、国や世界といった人間的な事象の変化などを含めての自然です。“自然の理法”にかなう生き方が善で、それに背くのが悪と考えたので、運命を受け入れて堂々と生きて死ぬのが理想とされたわけです。指導者階級の家に生まれてリーダーとなった以上は、後ろの安全地帯でコソコソしていないで、リーダーとして、最前線で精一杯頑張る。ストア派の哲学には、そういう精神構造が見られます。
第16代ローマ皇帝のマルクス・アウレリウス・アントニヌス(121~180)がその典型です。彼はストア哲学はじめ学識が豊かで、ローマ帝国の最盛期を現出した五賢帝の最後に数えられています。『自省録』を残すほどの知的な人ですから、戦争より学問を好んでいました。それでも遠征で最前線に立ち、最後にはドナウ川のほとり、現在のウィーン近辺で命を落としています。
ユリウス・カエサル(B.C.100年~B.C.44)も、現在のフランス、ベネルクスなどにあたるガリアに遠征し、自ら最前線で戦った記録を『ガリア戦記』として残していますし、エジプトでクレオパトラ7世と出会ったのも、軍勢を伴ってアレクサンドリアに上陸したときでした。
慎重にロジスティクスを整備し、情報のスピードを重視して、リーダーが先頭に立って戦う。ローマ軍が強かった理由はそのあたりにあります。現代のリーダーも見習う点が多いと思いますね。
(連載第26回)
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■出口治明(でぐち・はるあき)
1948年三重県生まれ。ライフネット生命保険株式会社 創業者。ビジネスから歴史まで著作も多数。歴史の語り部として注目を集めている。
※この連載は、毎週木曜日に配信予定です。
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