パンが食べたい
パンが好きなのです。
本山での修行中はさすがにパンはなかった。
私はパンが好きなのです。朝はパン。それが幸せ。
ただ、家族内のとにかくお米派との戦いは不毛なため、それを避けているとせいぜい週に一度。その時にも子ども分でパンが尽きてしまうということも時折あります。
家族内で一番のパン好きだと自認しているのに。でも子ども優先は仕方ありません・・・
食パンに、マーガリンやジャムを塗る。それだけで十分なのです。インスタントのコーンスープがつけば最の高。ホテルに泊まったときの朝食ビュッフェは基本このスタイル。これにサラダをつけたり、オレンジジュースやグレープフルーツジュースをつけたり。
ちょっと良いホテルだとオムレツ焼いてくれたりするじゃないですか。あれを食べる時の幸せ感は半端ないですね。パン関係ないけど。
何にせよ、パンなのです。何で修行道場にはパンがないのかな。海外にも曹洞宗の僧堂がいくつかありますが、パンは食べてないのかな。食事作法を一から作らないといけないので、誰がルールを決めるかというのも悩ましい問題だとは思いますが、時の禅師さんがオッケーだせばそれでよしな気もしますし、どうなってるんだろう。海外僧堂の食事事情、どこかで書いてあったかなぁ。時々、本山の修行僧が短期安居しているようですけれど。
最近檀家さんにもお話ししてるんですが、お仏壇で仏様にお供えするお霊供膳も、器が決まりきった形で存在しているので、どうしてもそれに合わせて作らなきゃいけないようなことになってしまいますが、実際は別にそんなことはなくて、もっと自由で良いのです。
トーストをお供えしても何も問題ないのです。法事の時にそれをやると、和尚さんがびっくりするかもしれませんけど。
普段は、自分たちの食事と同じものをお供えするという感覚で良いです。日常の御膳は、その家その家でさまざまでしょう。白米だけお供えするとか、頑張ってお霊供膳を毎日あげている、とか。水だけ、とか。
水もね、白湯にすると、ひと手間かけた感じで、達成感あるかもしれません。一度沸かしてお湯にしたものを使うということです。
食事をお供えするにしても、できれば、お下がりを食べられるものを上げると良いですね。だから割とすぐに下げちゃうのです。自分たちが食べるより先に用意して、お供えして、般若心経でもお唱えして、それを下げて、自分たちの食事に加えて食べる。それが一番良い形となります。参考にしてください。
焼き立てのトーストをお供えして、大急ぎでお経を読んで、冷め切らないうちに食べると。そういうわけです。
ああ、パンを食べたい。明日の朝食はパンの予定ですが、残念ながら私の分は、あ、でも、あれは一個、食べて良いのかな。食べて良いのかな!
——————————
基本的に毎日noteを書いてます。
何か共感できる内容がありましたら、ぜひSNSでシェアしてください。喜びます。
はてなブログで毎日「書き続ける!住職の平常心日記」を書いてます。
Bloggerでブログ「もばいる坊主」も書いてます。趣味的な内容ですが、一度覗いてみてください。