さらし木綿1反から33cm*90cmの手拭いが11枚取れた話
「さらし木綿は、生地の耳にハサミで軽く切れ目を入れたあと手で割くと両端がほつれにくくなる(ハサミで分割するのに比べての話)」という話もある。
さらし木綿1反から33cm*90cmの手拭いが11枚取れた。
フェイスタオルとの違い
タオルにはない魅力が、手拭いにはある。
利点
「非常に薄い生地である」を理由とするものとして、
速乾性に優れる(特に夏場はすぐ乾く)
折り畳むと非常に小さくなる
生地自体の特徴として、
吸水性に優れる
両端に雑菌が溜まりにくい
白地が多く、木綿であることからも非常に丈夫であり、
塩素系漂白剤も余裕
いざとなれば煮洗いも余裕
極論、脱水機で長時間回してアイロンで乾かすという非常に乱暴な手法も取れうる
白地が多いものの、色地の一反木綿も売られている(黒地もあるし、そもそも染料で自由に染め替え可能)
税込1500円弱で11枚取れるため、
非常に経済的(長さと枚数は、任意で取れる)
欠点
「他者を納得させるのが難しい」という場合もある。
「タオルでええやん、マジで意味が分からん」という主張だけには、何を以てしても太刀打ちできない。
「古老の人間特有の古い記憶」との兼ね合い
「薄さ=吸水性の悪さ」という先入観
「タオルを白無地で統一したくない場合」には他の手法も取り入れる必要性が生まれる(=人員の多さからタオルを色分けしたくてもできない)
利点と欠点は、反転しうる。
利点は、そのまま。
欠点を利点として捉えるなら、
「古老の人間特有の昔の記憶」→「その記憶」がないなら一切問題なく使える(※前提条件の転覆)
「薄さ=吸水性の悪さ」→「厚さ=吸水性の良さ」がそもそも思い込み、幻想である(※先入観への反証)
「人員の多さを理由に色分けしたくてもできない」→「洗濯バサミを用いて、その色で区別する」(※別の手法の提示)
実物を見るほうが圧倒的に早い
刮目せよ()
手拭い1枚で足りないなら、使う枚数を増やすと問題は解決する。
バスタオルからフェイスタオルへ、そして手拭いへ。という選択肢は、それこそ第三の選択肢であると言える。
ただし、水泳の際に身を隠すための「着衣式更衣室」としては不向きであることから、この白地の平織生地では、決してボタン式巻きタオルの代用にはならない。
あくまでも、省スペース性に目を向けた話であり、いかんともしがたい生地特有の性質を解決するに当たっては、様々に策を講じればよい。再掲ではあるが、以下の手法が考えられる。
使う枚数を増やす
黒地の一反木綿をバスタオルサイズに縫合(水泳の授業等で必要性が生まれて初めて行う)
洗濯バサミを色分けもしくは形ごと分けてタオルかけに引っかけた手拭いに挟む(衛生上の理由から人数分支度する上での区別)
反転する特徴
利点と欠点は、個々人の解釈次第で、こうしていともたやすく反転する。
そんな話、もっと昔に認識しておきたかった。
手拭い(豆絞り)の話
豆絞りのことをきちんと知ったのは、11歳になる年のことである。5年生と6年生の担当競技に組体操があり、その際に額へ豆絞りを巻いた。
そして、令和3年の秋に、「有松鳴海絞」という「愛知県名古屋市の伝統工芸品である手拭い」を初めて知った。「豆絞り」は、手拭いの別称ではなかった。
小学生のときに私が使った豆絞りは、青丸をプリント転写した簡易なものだったが、有松鳴海絞はそうではない。実際に豆を使って絞るので不揃いの青丸(藍染)ができる。手間のかかる代物であるが、伝統工芸品とは得てしてそうしたものである。
これは、2年以内に購入する。
断捨離との兼ね合い
バスタオル不要論というものがある。大きくてかさばるだけなので、すべてフェイスタオルに置き換えようとする動きである。
そこから一歩踏み出して、手拭いへと完全移行するのも、一手かもしれない。
以下は、手拭いの話の論旨である。
タオルの本質は吸水性にあり、表面の色や柄は副次的要素にすぎない。吸水力を決定づける要素は、大きさや材質である。同じ吸水力ならば、体積が小さくなるほど仕事量が多くなる。ゆえに、バスタオルよりもフェイスタオルよりも、手拭いを推奨するのである。
以上