時間どろぼう
少し前、時間のことを考えてたときに、砂時計を買った。
砂時計の画像を見ていると、これはシンプルにして時間の本質を表しているすごいものだと思った。
時間について考えさせられる。
ものすごい。
それで、砂時計を実際に買って、手にしたわけですが、砂時計にもいろんなタイプのものが売ってあった。
ぼくが買ったのはこれだ。
砂時計が3つセットになったやつ。
上から見るとわかるように、
3分、4分、5分がセットになっている。
この砂時計を見て思うことは、人それぞれに、それぞれの時間があるということだ。
あと、そういう意味で、この砂時計は、結婚祝いなんかにもいいんじゃないかと思いました。
両端の砂時計のどちらかが、男と女で、その真ん中に、もうひとつの砂時計。
真ん中のものが何を象徴するか、というのは様々でしょうね。それは「子供」かもしれないし、「共通の趣味、たのしみ」かもしれないし、あるいは「お金」かもしれない。
3つワンセットの思想。
画像をよく見るとわかるように、だいぶ、ほこりかぶってます。
砂時計をひんぱんに使う機会は、正直あんまりないです。
ただ、何かを表す、象徴的なアイテムとして、持っておきたいというものもある。
見えないものを見えるようにするということ。
今回の、このノートのタイトルの「時間どろぼう」というのは、
『モモ』という、児童文学の名作といわれている作品に出てくる言葉です。
『モモ』
ミヒャエル・エンデ 作
大島かおり 訳
ぼくは最近、というか今日、この本を読みました。3日くらいかけて、今日読み終えました。初めて読んだのですが、ほんと、すばらしかった。
まごうかたなき児童文学の名作ですね。
見えないものを見えるようにする。
主人公の「モモ」もそうですし、敵である「灰色の男たち」もそうですね。
灰色の男たちが、時間どろぼうです。
「敵」は象徴的に表され、見えるようにすることによって、その対策やそれとの対峙、対決をすることができる。
どうなるんだ? 負けるんじゃないか? どうやって倒すんだ? と、ドキドキしながら読みました。
日本語訳も、すばらしかったです。
とくにいうと、ひらがなと漢字とカタカナの使い分けがすごくよかった。
子供向けと大人向けのどちらでもあるので、ひらがなが多くつかわれていましたが、原文ってどんな感じなんだろう?
原文も子供に語りかけるような、わかりやすい書き方がしてあるのだろうか。
「ひらがな」の存在。「ひらがな」のことを考えることは、これは「日本」についても考えさせられることだと思いました。
例えば、日本人の顔は欧米人と比べると、子供っぽいと言われます。そのへんのことと、ひらがなとの関係性……とかね。
カメのカシオペイアがすごくよかった。400ページほどの作品なのでけっこうボリュームはあるんですが、のこりページが少なくなるにつれて、カシオペイアと別れたくない気持ちになった。
カメの上に世界が乗っているような図、そういう世界観ってありましたよね。うろおぼえですが。(あえて今は調べない。)
今の科学主義みたいな観点からいくと、バカにされる感じの世界観。
カメの上に世界が乗っている、世界観。
あれって真実だなあ、と、思いました。
時間のことや、あるいはお金のこと。そういう本質的なことをミヒャエル・エンデ って人は考えてたんだなあと思いました。もっとこの作者の本を読んでみようと思います。いい本と出会えてよかったです。