KAEDE|アイリーン・アドラーと変幻する女性たち――アイリーン、お勢、モリアーティとして――
Text|Kaede Itsuki
Art Work|Fumiko Saburi
どうして人は「宿命の女」に魅了されるのか。ほっそりと締め上げたコルセットと美しく重なり合うレースのひだの下に隠れ、彼女の胸が自由に羽ばたいているのを感じるからだろうか。シャーロック・ホームズシリーズ「ボヘミアの醜聞」(1891)は、女性という性全体を圧倒するほどの美しさと知性を誇るアイリーン・アドラーなる人物が登場する。彼女の物語に特徴的なのは、常人より何千歩も先を行くホームズが唯一敗れた女性というだけでなく、彼女が永遠に生き続ける「今は亡き女」であるという点にある。
アドラーは身元不詳で、オペラ歌手、皇太子との恋愛の後に、現在はロンドンで婚約中という謎に満ちた魅力に溢れた人物であるが、冒頭から今は亡き人物と語られ、物語が始まる前からその人生の終わりが予感される。既に死んだ女であることは、さらに謎に満ちたアイリーン像に読者の興味を注がせることになる。シャーロックは事件の最後に、唯一の願いとして彼女の写真を求めたが、彼が手にした写真によって、アドラーは時間の中に硬直した女性として永遠に生き続けることとなった。彼女は素性がほとんど知られない仮面を纏ったような人物であり、職業もオペラ歌手として舞台の上で役を演じている。また、ホームズお得意の変装に対応するように、男装によって巧妙に彼を出し抜く。アドラーは一方的に描かれるだけの人物ではなく、ホームズに宛てた手紙から分かるように自身を物語る力をも持っているのだが、その方法は行方をくらませることによって実体を見せないまま、言葉という抽象的な手段によって自身を形作るものであった。
―「お勢登場」―
舞台を日本に移すと、江戸川乱歩の短編「お勢登場」(1926)の主人公であるお勢は、アイリーン・アドラーの影を感じさせる人物である。病に伏した夫も持つお勢は、内心で夫を疎んじ愛人と逢瀬を楽しんでいた。ある日、魔が差して夫を長持ちの中に閉じ込めたままにし、殺害してしまう。NHKの実験的なドラマ『シリーズ江戸川乱歩短編集』では、満島ひかりによって型破りで可笑しみのある小五郎像が見事に演じられている。俳優として縛りを超える演技を追い求め、アンドロジナスな魅力を持った満島が男装によって演じた明智は、俳優と映像が幸福に一体となった良作であるが、ドラマ版『お勢登場』(2018)では、白塗りの肌に深紅の唇、豪奢な衣装を纏った可憐な姿で演じられる。ちなみに満島自身インタビューの中で、小五郎シリーズの女性の役が多くなってしまったと述べている。
アイリーンがたまの異性装によって自由を得ていると語っているように、男装は女性が足を踏み込むことを許されていない世界に入ることができる政治的意味合いもある行為であり、まさに自由の象徴といえる。「ボヘミアの醜聞」が書かれた19世紀後半と20世紀前半に異性装を行っていた文学人としては、世紀末フランス詩人ルネ・ヴィヴィアンやフランスの小説家シドニー=ガブリエル・コレット、ヴァージニア・ウルフの恋人でもあったイギリス詩人ヴィタ・サックヴィル=ウェストが思い起こされる。
江戸川乱歩の短編は「お勢登場」という題名から示されるように、当初はお勢と明智小五郎との対決を予定して書かれたものであるが、その後、明智との対決は描かれなかった。アイリーンは、お勢とは異なり殺人を犯したわけではなく、あくまでも自己を守る手段として皇太子との写真を持つが、「始まり」が語られ「終わり」が描かれないお勢に対して、アイリーンはシャーロックとの運命的な対決を記憶の中に残したまま「終わり」が描かれることで象徴的存在となる。お勢はその後の再演が予感されることで、舞台袖で登場を待ちわびられながら、永遠に物語の上を浮遊し続ける女性キャラクターとなった。
―アイリーン・モリアーティ―
幾度も映像化されたシャーロック・ホームズシリーズであるが、アメリカCBS版ドラマ『エレメンタリー』(2012)では、ニューヨークを舞台にアメリカ人女性ルーシー・リューが助手ワトソンに扮し、ジョニー・リー・ミラーによってかつてないシャーロック像が演じられた。「ボヘミアの醜聞」で愛情とは無縁な人物であると描写されているように、ドラマ内のシャーロックも恋愛という感情は不可解なものと感じながらも、禁欲さとは真逆の生活を送っている。彼は故国イギリスで運命の女性を失い、薬物依存となったことでニューヨークへと渡る。
シャーロック・ホームズの仇役であるモリアーティ教授は、正と悪、光と闇の対比的存在であるとともに、その境界線を曖昧とするような二人の強い結び付きが描かれてきた。名対決が記憶されるアイリーン・アドラーも同じく非常に卓越したキャラクターである。ではその二人が同一人物だったら・・・?そう妄想した読者は私だけではないだろう。アメリカ版シャーロックはついにそれを現実のものとし、アイリーン・アドラーは、ロンドンでは画家のアイリーン、かたや世界を舞台とした犯罪王モリアーティの二役を演じている。ドラマ内の彼女は、最悪の仇であり最愛の人として、まさに宿命の女性となった。
「ボヘミアの醜聞」に登場する今は亡きアイリーン・アドラーは、自身の行動と言葉を巧みに扱うことで誰の手をもすり抜けていき、記憶と写真のみに残されたからこそ彫像として生き続ける。彼女自身の手紙によると、良き伴侶に恵まれ新たな人生を送りだしたところであると語られているが、俳優修業を行ったオペラ歌手、男装の婦人、巧妙なトリックを扱う「あの女」として演じられ続けたアイリーンは、その捉えどころのない像を後世の文学作品、映像作品の舞台へと移し、姿を変えながら消えては現れるのである。
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本エッセイは、モーヴ街・7番地《スクリプトリウム》内「佐分利史子の写字室」のカリグラフィ作品発表と連動しています。維月 楓の新訳と共にどうぞお楽しみ下さい。
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作家名|佐分利史子
作品名|ボヘミアの醜聞 page1
ガッシュ・アルシュ紙
作品サイズ|28.5cm×24cm
額込みサイズ|31.8cm×27.8cm×2.4cm
制作年|2021年(新作)
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