都合の悪い内容は勉強をする時間がない
何を今更
とも思ったが
日本の教育はいいように向かっているように見えて
やばいことになってるのではないか。
と思ったのでここに記録
そもそも私が学校現場を辞めようと思った1番の理由
学習指導要領
シラバス・評価
なぜかというと
これは全部には当てはまらないと思うけれど
私は、重度心身障害児に関わっていた。
本当に寝たきりの子は目に涙をためたり、赤くしたり、本当によくよく見ていないと気づかないくらいの表現かもしれないけれど、自分なりの精一杯で自己表現をする子供から、自分の名前が呼ばれいてることは理解している子など、本当に様々な子供たちがいた。
教科書はちゃんと昔から存在はしたけれど
支援学校の何が魅力だったかというと、教科書がない。使わない。ということ。
それで良かった。
目の前にいる子供たちに合わせた授業ができるから。
その代わり障害の様子もみんな本当にそれぞれなので、一人ずつに何ができるかを考えて、一人ずつの教材を準備しなければならないし、そこについてくれる教員にわかりやすく説明できるように、準備もしなければならないし、授業の準備、教材の準備、一人一人に合わせた説明の仕方、こうなった時の対処法、など先読み先読みで準備しないといけないので、時間も労力も何倍にもなる。けれどそれがとても楽しかった。
天気が良くないと、発作を起こしやすい子供も増えるし、その日の調子などで気分、体調もみんな乱高下する。そんな子供たちに決まったマニュアル通りの授業なんてできやしないし、それは、「授業をした」という大人都合の自己満足だと私は思っていた。
今日はこの授業をやろうと思っていたけど、みんな調子が悪そう。だけどこれならできそう。 とか
今日は珍しく天気も良くて過ごしやすそう。じゃあ外に散歩に出て季節のものを探しに行ってみよう!とか、その日の生徒たちの様子に合わせて授業ができた。
これには、この文章だけを読んだら、色々賛否両論あると思う。
だけど、本来なら、私は一般校に通う子供たちだって、こんな学習でいいと思っている。
全ては総合教育だ。私はそう思ってる。
今日の晩御飯何食べよう?
献立を考える →家庭科?
材料は?? 調べたりする→ICT 検索したりして言葉を使う時点で国語
いくついる? → 数 計測などなど、算数
どこに買い物に行こうか →社会 地理
歩いて行こうか?どれくらいかかるかな?天気は? 地理 理科
日々の生活の中には、普通に学校で学習する要素が全部含まれている。
一つずつ、科目別にしているから生活力につながらなくて、ややこしいんだと思う。
そして、年々この学習指導要領などの縛りがどんどんキツくなってきている。少しそこからはみ出た内容をやっていただけで、テレビで報道されてすぐ問題になる。
同じ学年でも子供の興味関心や、精神的な発達レベル、経験値が違って当たり前なはずなのに、何でもかんでも全員を同じ平坦なレベルにしたがる。
そして、大概の保護者が学習指導要領なんてものの存在を知らない。
私は、日々一日一日を一生懸命生きている子供たちに、
できた。という文章を書かなければいけない現場に本当にうんざりしていた。そして、できた。と書いてしまったら、その次のステップに進めてそれができるようにしなければいけない現場。
これが課題だよ。と書けない。言えない現場作りを学校はしているのが現状だと感じていた。
大人のエゴ祭り。
そして、一般校に関して言えば
教科書があって、指導書があって、学年で統一して進捗度合いが決められていて、決められた、時間で決められたことをやっていく中で、自分の色を出せる先生って本当にすごいと思うし
その一方で本当に伝えなければいけないこと、日本にとって不都合な真実は教える時間がない。ということに辿り着いた。
将来を支えてもらわなければいけない、日本の子供たちに、日本の不都合な真実を教えなくていいように、マニュアルでガチガチに固められているのでは??とふと思った。
それを実行した教員が世間で叩かれているだけなのでは??
そう感じることが多々あった。
何でも横並びのみんなおんなじ〜〜をやりたがる、日本の教育に
大丈夫かと思うと同時に、それに気づかないで学校は何でもしてくれるところと思っている保護者が大半なことに、とても将来に不安を感じる。。。
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