寿司の死
最後の1つが売れ残っていた鉄火巻をカゴにとったところで、俺の3m横にいるあの店員は今、半額シールを3割引シールの上に貼り重ねているようだと悟った。本来、周りの寿司と同様に半額シールを貼られるはずだったものの、今や俺のカゴの中にあり、3割引のままのこの寿司は、この瞬間、急速に魅力を失いつつあった。しかし今ならまだ、この寿司を陳列棚に戻して、新たに半額シールを貼られたそれを、全く新鮮な気持ちで、あのころの魅力そのままに、完璧に迎えることができる。今戻すべきかもう諦めるか。巻き寿司を、3割引と半額の、その時間帯の狭間に取ってしまったせいで、俺はこんなにも逡巡させられている。
想像しうる中で最も良いパターンは、俺の入店がもう1分遅く、すでに半額になり変わった巻き寿司を一切の躊躇なく買うことだった。その次に望ましいパターンは、俺の入店がもう1分早く、横に店員が現れる前に、3割引の巻き寿司を永遠のものとして受け入れることだった。しかしまさに運命がそうさせるように、俺は1分の前後もなく入店し、一切の無駄もなく物色し、寸分違わざるタイミングで寿司を取ったせいで、鉄火巻はそのものの価値に揺らぎをはらむ危うい存在になった。その価値は前後1分で全く異なり、しかし、今だけいけないのだ。青信号と赤信号の間にある点滅や黄信号のように、外界の様相が俺に決断を強く迫る。まっすぐ前に見える信号機が変わりかけて点滅していて、ここまで歩いてきたことすら後悔するような。走ったら間に合うかもしれないが、鈍臭いので転倒するかもしれない。そんなことなら信号機はずっと見えなくていいのだ。横断歩道を渡る直前にだけ現れれば、点滅はもはや不要である。0と1だけなら非常にシンプルだ。その切り替わりに時間の長さがなければいい。寿司は突如として、自ずから半額になり、それまではじっと3割引でいればいい。3割引になる前には、2割引でも元値でも、その状態であり続けて、人間が瞬きをしたその間に次の段階へと進めばいい。
半額は寿司の死である。それ以上の割引は望めず、ずっと赤のまま変わることのなくなった信号機同様に死んでいる。ただある意味でそれは高潔で美しい死である。しかし今、店員が全ての寿司にシールを貼り終えて、俺のカゴの中にある鉄火巻だけが静かに振動していた。無限の可能性を秘めている俺はこの後、店員に話しかけて、この寿司を殺しておくれと頼むことができた。いずれ3割引のまま死ぬ定めなら、半額にして殺しておくれと頼めば何よりも良かった。どうしてもできなかった。周りの客の目もあるのに、俺が店員に寿司を見せつけて半額シールを貼らせるのを、それらの目はどう見るだろうかと腐心した。そうまでして寿司を安く食いたいのかと、その目は語るに違いなかった。
俺は鉄火巻をカゴに忍ばせ、少し離れたところから店員の動向を伺った。鉄火巻の元あった場所を少し通り過ぎて、しかし、依然シールを貼り続けている。
想像力は、再び、このタイミングで寿司を棚に陳列しなおしてみるとどうなるか、という関心になった。店員がもう一度シールを貼り重ねさえすれば、俺は完全に半額の鉄火巻を手に入れることができるのだ。ことは実に単純である。ところが、戻された寿司の側からすれば、半額シールを貼られた寿司に周りを囲まれて、1つ鉄火巻が置かれているとどうなるか。周りの半額の寿司たちを見ると、大名巻き、サラダ巻き、アナゴ巻き…、言っちゃあ悪いがザコ寿司である(全部好きだけれど)。この中に、鉄火巻が入るということは、そしてそのシールが唯一無二の3割引シールであるということは、店員がそれに気づくより先に、客の注目を一挙に浴びるということにほかならなかった。半額のザコ寿司の中に、3割引のスター寿司が入れば、周囲に流されず値段を保ったそれは、骨董品かのような風格を醸し出すはずである。いま手元にある古ぼけた寿司は、陳列され直すことで意味が変わってしまうものだった。店員が半額シールを鉄火巻にだけ貼らなかった、という現実は記号として、客の目に鮮烈に印象を与えるだろう。この策は寿司そのもののせいで上手くいく算段がつかなかった。考えてもみれば、今慌てて現場に立ち戻り、寿司を置き直し、仮に店員が俺の置いた寿司に気づいたとして、戻ってシールを貼る、そして半額になった途端、俺がそれを再びカゴに戻す、という流れは、店員に寿司を見せてシールを貼ってもらうのといくらか違うと言えようか。寿司を置く、シールを貼る、寿司を獲る。爆速餅つきのごときコンビネーションでそれらが成立したとして、他の客の目はやはり先と同じことを語るだろう。無論、店員が半額シールをすぐさま貼りなおすとは限らず、というより、かような思案を巡らしているうち、店員はすでに別の惣菜の棚にいて、二度と戻ってくることはなかった。
俺はこの寿司を固く離さない決意をした。寿司は3割引のまま死ぬことになった。いや、俺が殺したんだ。自責の念に駆られながら、赤と黄色のシールがいやに目に付くので、パックのサラダを上に乗せていた。