日記 公衆電話がない
大学図書館でアルバイト勤務中、公衆電話を探している利用者に声をかけられた。分からないですね、と短く返すも、利用者はその場で足踏みし、少し左右に回り、しかしどこにも行かない。今朝ニュースになっていた携帯の通信障害で、大切な連絡をすっぽかしそうになっているのだと決めつけて、そうだとすれば手伝うべきだと思い直す。そうでなくても、親切心は失くさないでいよう。さっきはよく考えないで知らないと言ったが、どこかで見たような気もする。公衆電話のもつ霊的な雰囲気に化かされているのか、あるいはATMボックスと混同しているだけかもしれないが、遠くないどこかに気配がする。
公衆電話はイメージとして、紺色の夜道の暗がりにぽつねんと佇んでいる。しかし、それはあらゆる道に置かれることができるし、僕の想像力は柔軟すぎて、イメージの道それぞれに、ひとつずつ公衆電話を置くこともできた。つまり、その道のどこに電信柱が施されているのか思い出せないように、公衆電話のイメージも、空間内に無限だった。僕が脳内で一歩進むごとに新しい公衆電話が古ぼけた光を放つ。公衆電話ボックスは、一番近くにある夜景だと思った。ゴッホの描いた夜のカフェテラスみたいに、無限の宇宙のいちばん近くでひとつ光る星。星は無限に連なり、宇宙の果てを思わせる。知ってるようで知らないような、ありきたりな夜道で、白色の灯りが昆虫を寄せて、ガラス窓にジジジと羽が当たる音まで聞こえてきては、さすがに現実逃避もいいとこだと目を覚ます。
こうして近辺の道路にまつわる記憶の稜線を辿るも、一切思い当たらない。インターネットで検索すると、今いるこの図書館にあることがすぐに分かった。勤めて3年目になるが知らなかった。今まで一度も見たことがないし、そもそも図書館内に電話などあっていいものなのだろうか。とはいえ、詳細な位置までは掴めず、足で探すことになった。閲覧席や書架の近くには無いはずだから、あるとすれば入口付近か、誰も行かない1階のテラスかだ。入口付近はふだん通るし、あるならこの利用者はカウンターの僕に話しかける前に気づいているだろう。より未開なのはテラスだった。あそこは日差しもなくて雨ざらしになっているから、木の机と椅子は砂っぽく朽ちていて、誰もがわざわざそんなところで休んだりしなかった。存在意義があるとして、館内で携帯電話が鳴った利用者が忍者のような足取りで駆け込むような、そんなものであった。そんなものであったので、公衆電話などあっても誰も知らないし、駆け込んだ人はみんな急ぎの電話を受けるばかりで、小銭を継ぎ足して自分から誰かに電話をかけることなんてなかったんだ。
大きいガラスのドアを開けると、館内へ温風がむわっと流れ込むので、僕は身体が通るギリギリの隙間を開けて外に出た。ごとん、と重く閉じたドアがもう二度と開かなくなったら、僕はこのテラスの番人になるんだけど、親には何も言わずに出てきちゃったな。ぐるりとテラスを見回すも、やっぱり公衆電話なんてない。閉館作業で無人確認をする時には暗くてよく見えなかっただけかと思ったが、明るいところでも見えなかった。ドアはさっきと同じ重さで開いて、親には何も言わないでよかったと思う。また温風の入るのを最小限にとどめつつ館内に入ると、すぐにカウンターに戻った。小走りを2歩、早歩きを2歩、交互にして、焦りつつ音も立てたくないというパフォーマンスをした。その途中で、ネットの情報を鵜呑みにするなって大人のみなさんから言われていたのを思い出して、利用者にはやっぱりないみたいです、と告げた。大学の大人に聞いてくれと丸投げして、少し申し訳なくなった。たぶん、随分前に撤去されたのがデータとして残されてあるんだと思う。ここには公衆電話はない。スマホが使えなくなって、公衆電話が必要になったとき、それを探すためのインターネットが嘘つきだと、人間にはもう何もない。公衆電話はあってももう見つからない。いえ実は、おとぎ話か怪談の中にしか出てこなくて、もう現実には存在しないのかもしれない。
そういえば、図書館から出ても講義棟とかで学内WiFiは使えるだろうにそれを誰も思いつかないのは、やっぱりなにかに化かされていたんだろうな。