清志郎が死んだ日のことを思い出す
関ジャム改めエイトジャムで清志郎没後15年の特集が放送されている。もう15年か。13年くらいかと思っていた。
私にとって清志郎の死は父親の死でもある。父親が息を引き取った次の日に清志郎が死んだらしく、僕は5月5日か6日までそのことを知らなかった。
ちなみに清志郎が亡くなった日は確かhideの命日のはず。(後で調べる→合ってたけど、清志郎が亡くなった翌日が父親の命日だった。清志郎のニュースを見る暇なく父を看取ったから知らなかったという時系列だった)
正直そこまで清志郎が大好きかというとそんなこともないので、恥ずかしくはあるのだけど、大学時代に仲間たちとフェスに行き、そこに常にあったのが清志郎の音楽だった。
その時僕は26歳で(27歳だと思ってたんだけど)少し大きな仕事を任されていて、父の死によって仕事を1週間ほど離脱しなくてはいけなかったのだけど、そんな時の上司や仲間たちの気にするなという大人の暖かさに初めて触れたときでもある。
その年の7月末に行われたフジロック、仕事の都合で中日1日しか無理だったのだけど、どうしてもいかなければ行けない気がして、初めて電車とバスを乗り継いで苗場に到着した。
日が暮れかけたグリーンステージでトータス松本らが率いる清志郎トリビュートバンドが『雨上がりの夜空に』を歌っていた。
そんなわけで清志郎が死んだ日のことを僕は覚えていない。
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