may

あたまの中をばーっと。たまに唐突ななにかが飛び出すかもしれない。

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あたまの中をばーっと。たまに唐突ななにかが飛び出すかもしれない。

最近の記事

ひとりで描く画とその世界

目の前の映像の中で動いているのに、この人はもうこの世にいないのだ、という現実をようやく理解した。精神をぶち壊しながら音楽から離れていた日々を埋めるかのように、何度も何度もその歌を、曲を、聴きながら、今になって唐突な悲しみを思い出していた。 春の真っ只中にそれなりの衝撃を受けて、それでもただの事象として捉えていたその人の訃報が、ようやく事実として認識できたのは2年を経た2021年だった。新しく歩き出したメンバーが発表した楽曲たちを何度も何度も聴いて、その人がいなくなったステー

    • エンドロール 【掌編小説】

      網膜を刺す光線が幾重にも重なりあって像を結ぶ。縦3.3メートル、横7.7メートルの長方形から発せられる光線は作者が意図した映像となって私の目に映っているかは、わからない。そうであったならきっとそれは奇跡なのだと思う。点と点が結ばれて線になって、線がいくつも絡まりあって面になる。その面に意味を見出すかどうか、意味を心に留めておくかどうかは、受け取り手にその意思がないと成立しない。だから、奇跡だと思う。 ハッピーエンド、なんてものは存在しない。生きていく限りずっとずっと続いてい

      • 芸術に触れるということ

        本を読む、映画を観る、美術・写真展へ行って作品を鑑賞する、ということが好きです。音楽を聴いたり演奏したりライブに行ったりということとはまた違って、ずっとしていたいことのひとつ。 先日、落合陽一氏の『未知への追憶』に足を運んだ。ある訪問先と家の間に渋谷があり、渋谷に降り立った瞬間、そういえば、と思い出して訪れた。大概はSNSの情報を家で見て、行くぞ、と決めて行くので、こういったパターンは少し珍しい。そして、別の日に『永遠のソール・ライター』にも伺った。こちらはもとから行きたか

        • 頑張って読んでいるので序章だけまとめてみる:『Dual Transformation』

          上司にDual Transformationという本をいただいて、まさにその時の会社の状況だなぁ…と思いながらも積読になってしまうこと約1年。その間に上司は退職し、私も転職し、随分と環境が変わってしまったのだけれど、ふと思い立ってこれは読まねば!と天啓が降りてきたが如く、先週ぐらいから読み始めている。英語で書かれたビジネス書なので(しかも序章の例に製薬会社とか持ってきているから単語レベルが高くなってる)、いくら仕事で英語を使っていても、非ネイティブで普段は日本語しか話さない私

          やりたいこととかそんなこととか

          思ったより考えることを文章にするのは難しいな、と感じたまま1週間以上が過ぎていた。学生の頃は長い文章を書く機会が多かったけれども、今は短く、わかりやすく、という文章ばっかり書いているから、脳内を垂れ流す長文というものを書く筋力が衰えているのかもしれない。 最近はフィジカル的な筋力だけでなく、色んな精神的な筋力が衰えているな、と感じることがある。感受性も感性も動かさなければ鈍るのだから、それらを動かす活動をしていなければ当然に衰えていく。今だってこの文章を書きながら句読点の位

          やりたいこととかそんなこととか

          はじめに

          はじめまして、mayというものです。 音楽だったり、歌うことだったり、写真を撮ることだったり、うだうだ考えることだったり、なんだかんだ色々するのが好きみたいです。 みたいです、というのは多分これからも好きなことはたくさん増えていくだろうし増やしたいなと思っている+今好きなことも時間が経つと違う角度からまた好きになることもあるので、そんな書き方になっています。 頭の中を他のSNSで書くにはあまりにも文字の制約がキツかったので、noteも使ってみようかなと思ってここにつらつ

          はじめに