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私が恋愛をしない理由

※編集させていただきました。

結論から言うと、私は恋愛に興味をもったことがこれまでに一度もありません。

なぜなら、恋愛が自分の生活に必要だと思ったことがないから。

私がアセクシャル(他人に恋愛感情を持たない人)であると自認したのは1年ほど前。

学校のとある講義の中でアセクシャルというマイノリティを知り、すぐにネットで検索し、「これだ!」と確信しました。

「キュンキュンってどういう感情?」「好きなタイプって何?」「恋バナの何が楽しいの?」

そんな感情を密かに抱きながら過ごしてきた学校生活。

小学生の頃にクラスメイトから「好きな人いるの?」と聞かれ、思わず「嵐!」と答えてしまい笑われたことがありました。

私にとって「好きな人」とは「ファンとして」好きな人。

しかし、「嵐の○○くんと結婚したい!」「ハグされたい!」といった感情はありません。

ただ単に5人の歌やダンスを見ていると楽しくなり、個々の人間性が好きだから。

嵐の話はこれくらいにして・・・。

私は今アセクシャルでよかったと思っています。

実家を出てからは生涯一人暮らしをしていきたい。

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ここからはあくまで一個人の考えですが、「恋愛をしない」ことによって「異性から気に入られるためにどうすべきか」を気にすることがなくなり、不妊や子育てに悩まされることもありません。そして、「他人と同居しない」ことによって、人が互いに気をつかい合うことことなんてなく、常に自分のペースで生活できます。

ここからは、恋人・配偶者がいる方や誰かと同居している方を敵に回す話になるかもしれませんが、どうか悪しからず・・・。

最近話題になっている「おうち時間」。

同じ屋根の下で人と一緒に暮らしていると、人の嫌な部分が見える瞬間が必ず来ます。

そんな時に、私はその人の嫌な部分を許せるだろうか?

もし私だったら、相手にそれを直してほしいと言えず、ずっと抱え込んでしまうだろうな・・・。

少し外に出て気分転換をしたとしても、家に帰ればまたその人と顔を合わせることになります。

学校や仕事で疲れた身体を休めるために家があるのに、その家の中までも落ち着かない環境だと、息抜きできる時間がほとんどなくなってしまいます。

結婚して家庭を持つことが幸せだと捉える人を否定するつもりは決してありませんが、私が最も落ち着けるのは、やはり自ら望む「独り」の時間。

ライフサイクルの中で、恋愛や結婚を経験することがスタンダードとされている現代。

しかし、他人と親密な関係になることがすべての人にとって幸福をもたらすとは限りません。

協力すべき時は協力し、互いに楽しむ時は楽しみ、一人になりたい時は距離をおく。

人と親密になりすぎず、もしもの時は助け合える程度の一定の距離感を保つことによって、自分の心の安定を保つことにつながる。

私はそう考えています。

恋愛に対する考えの多様性がより尊重される社会になることを願っています。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。