守るべきもの
めちゃコミで「いつかティファニーで朝食を」を読んだ(無料連載分だけだが)。28歳の仲良し4人組が、励まし合いながらそれぞれ恋や仕事や家庭に奮闘する話だ。男性にまつわる話では女性目線だけでストーリーが進んでいる点は少し気になるが、ライフスタイルが変わっても学生時代と変わらずにお互いの幸せを願い、励まし合い、慰め合う4人の素敵な友情に心が洗われる。
大学を卒業して1年も経っていないある冬の日。高校の同級生がSNSに一言「退職した」と投稿していた。仕事のストレスだろうかと心配してすぐに連絡し、会う約束をとりつけた。そして約束当日、彼女から知らされたのは「授かり婚しました」。立ち仕事だったため早めに退職を決断したということだった。
おめでたい話でほっとしたし、私もとても嬉しかったが、これからの彼女との関係に不安がよぎった。一番の仲良しというわけでもなかった私たちだが、別々の大学に進学しても定期的に会い、くだらない話で盛り上がっては終電まで酒を飲んでいた。次にそんなことできるのは一体何年後だろう。これから彼女は家族を支えて生きていくのだ。「友人」の位置づけは相対的に下がってしまうのは仕方ない、それどころか二度と会えなくなってしまうのではないか。彼女にとっての「幸せ」が、自分にとっては「寂しさ」を伴ってしまう――友人の幸せを心の底から喜べない自分が情けなくなり、帰りの電車で涙を流したことを覚えている。
幸い、それは杞憂だった。産前産後の大変さは見当もつかなかったため連絡を取れず、頃合いを見て赤ちゃんに初めて会ったのは生後半年ほどしてからだったが、それを機にしょっちゅう家にお邪魔していた。会う頻度はむしろ結婚前より増えたかもしれない。その後も周りの友人たちは次々に結婚・出産していったが、皆新居にお邪魔することも赤ちゃんを抱っこすることも歓迎してくれる。お酒が飲めなくなったり、参加者が大人だけではないといった変化はあるが、学生時代とほとんど変わらない関係を続けることはできるものだと安心した。
ただ、それも子どもの乳児期に限った話かもしれない。
幼稚園に入園すると親も子もここまで環境が一変するものなのかと、友人たちを見て驚く。遠足やお遊戯会といったイベントが毎月行われ、クラブ活動や習い事を始める子供もいる。ママ友付き合いに送り迎えといった新たなタスクの発生だ。このタイミングで仕事復帰やパートを始めるママも多いだろう、その忙しさは想像を絶する。
「ママ友」にはなにかとネガティブな印象が付きまとうが、それでも同い年の子を持つ同士というだけでも心強いものがあるだろう。我が子が幼稚園でお友達を作ってくれるのは幸せだろうし、そのお友達の親とはうまくやっていくに越したことはない。
ママ友ではなく学生時代の友人でも、同じ年頃の子供がいれば共通の話題や似たような悩みが多く、話が弾むだろう。子供の年頃が違っても、子育てあるあるの話題は尽きないだろう。
独身で一人暮らし(+彼氏無し)の私は、それを傍から見ている立場だ。どのカテゴリの集まりでも回を追うごとに独身者の割合は減り、今や学生時代の友人も、大人になってからの友人も、9割方が既婚者だ。独身マウンティングをするような友人はいない(いたらこちらからフェードアウトする)。ただ、学生時代の思い出話をしても誰も覚えていないか、「まじ若かったよね~」の一言で済まされてしまうことには正直寂しさを感じている(高校卒業したのが〇年前なんて信じられない!とか言ってるのと矛盾してない…?と言いたくもなる)。
次々に訪れるライフステージの変化に必死で食らいつき、幼い子供を守り、育て、今を生きている彼女たちはとても立派で輝いている。
私がなんとなく居心地の悪さを感じるのは、結婚出産の問題ではないだろう。変化を拒絶し続けてきた結果、精神的に後れを取ってしまったからだ。それでもこんな私と何年も仲良くしてくれる、大事な友人たちだ。「みんなのことが大好き」なところだけは変わるつもりはない。ただ、みんなと堂々と付き合える素敵な大人になるために、必要な変化はしなきゃいけない。
※もともとこの記事は、大事な友人と疎遠になりつつある寂しさや、画一的なアラサー女子像の気持ち悪さについて書くつもりだった。書いていくうちにだんだん前向きな気持ちになり、記事の方向性が変わっていって嬉しい。