ラミクタール
絵里ちゃんは泣きながらぼくを見た。
もう嫌、もう嫌って言いながら、首をぶんぶんと振る。かわいそうな絵里ちゃん。
ももいろのほっぺを涙でぬらし、雫はぽたりと毛布へ落ちる。やわらかい髪にも白い指にも、絵里ちゃんのそれがべったりとついていた。
ぼくは何もできず、そのきれいな泣き顔をながめるだけ。
ああ、かわいい。世界でいちばん、絵里ちゃんはかわいそうでかわいい。
窓の外は騒がしかった。
星のくだける音、川のゆく音、風がびゅうびゅう踊り狂っていたからだ。
絵里ちゃんは涙をぬぐい立ち上がり、ふらりと窓辺に立ってみた。ぽっかり浮かんだお月さまが見えて、まるで宝石のようだと思う。闇のなかにひとりきり。
孤独なそれは羨ましそうにこちらを見ていた。
いけない!
絵里ちゃんはあわててカーテンをしめる。それでもまだ、この部屋を見つめられている気がしてこわかった。どうしようもなく、また泣き出してしまう。
絵里ちゃん。絵里ちゃん。こっちへきて。
ぼくはベッドに寝かされたまま、絵里ちゃんが泣きやむのを待った。しゃくりあげ、肩をふるわせて泣く絵里ちゃん。
ぼくはその小さな背中をさすることもできないんだ。ぼくは絵里ちゃんにとって、重荷でしかないんだ。
ひとしきり泣いた絵里ちゃんは、すずらんランプで部屋を明るくした。ぱあっとオレンジの光が伸び、絵里ちゃんのまつげをきらきらさせる。
「わたしね、あなたが嫌いなの」
そして言った。絵里ちゃんは言った。とうとうぼくにふれ、そう言ったんだ。
こんなこと、のぞんでいなかったよ。
だけど、絵里ちゃんはすぐにぼくをなでる。そっと抱きしめ、そのときに絵里ちゃんのとても弱い心臓の音を聞いた。
「だけどね、ごめんね、頑張ろうね」
少しかすんだ声。また泣いているの?
泣かないで絵里ちゃん。泣き虫な絵里ちゃん。ぼくが君を守るから。きっときっと守るから。
絵里ちゃんはぼくを一粒とりだして、やさしくやさしくキスをした。それからぱくんとくちへ放りこみ、目をきつく閉じて、ぼくを、思いきり、噛んだ。
痛い!
歯のかたさ、すり減る感覚。
痛い! 痛いよ絵里ちゃん! どうして、どうして急に噛んだりするの!
いつもはお水といっしょでしょ!
痛い! 痛い!
絵里ちゃん! 絵里ちゃん! 絵里ちゃん、絵里ちゃん…………。
ぼくはそのまま絵里ちゃんのなかへ溶けていった。きもちがよくて、とってもしあわせ。沸騰しそうな夜を感じて、ねばりつくほど命を感じて。
絵里ちゃんはベッドの上の銀紙を捨てた。そしてぽつり、つぶやいてみる。
「あなたって、すごく苦かったのね」
毛布をかぶった絵里ちゃんは、今夜も静かに眠ることができた。
――その夜、ぼくは夢を見た。
絵里ちゃんと深い海で泳いでいる。
くらげや貝をあつめて遊び、イルカに乗って遠くまで。さいごはくじらに食べられてしまうのだけれど、ぼくはちゃーんと絵里ちゃんを守ることができたんだ。
くじらの大きなくち。
吸いこまれるぼくと逃げていく絵里ちゃん。
彼女は言うんだ。ふりむいて、微笑みながらありがとうと言うんだ。ぼくは嬉しくなってどういたしましてって叫ぶけど、くじらの鳴き声に消されてしまう。そうしてひとりで死んでいくんだ。
絵里ちゃん。絵里ちゃん。世界でいちばん、いとしい絵里ちゃん。
お月さまがいなくなるころ、ぼくは君のからだを食べつくしているかもしれないね。