春5 鼻をすする理由

鼻をすする音が時折混ざって、耳に届く。
鼻に音を立たせる理由が目に溜まっていた。

溜まったものがこぼれ落ちることに反抗するように、どうせ強がるんだろう。何もないように、なかったように、振る舞うんだろう。心配をかけたくないのか、心を明かしたくないのか、心を明かすのが怖いのか。その理由はわからない。

他人を欺けても、自分は欺けないでしょう。何もないように振る舞えても、何もなかったことにはならない。

「そうやっていつも言葉を飲み込むんだね」

「癖みたいになってて」

今にもこぼれ落ちそうなそれに見ないふりをして、見てないよと言う代わりに抱き寄せた。

どうしてこうも、素直になれないのか。
感情や欲求を、抱くことをまるで罪かのように抑えるのには、どんな理由があるんだろう。

気にはなる、けれど。
深くを探るよりも上辺を撫でることの方が大切な時もある。安易に踏み込むことが、一番危ういのだ。

「それでもいいよ」

本心を最もシンプルに変換した言葉。

返答はない代わりに、背中に腕が回されて、ぎゅっと服を掴まれた感覚がした。

きっと。精一杯の意思表示なんだろう。

やっぱり言葉は飲み込んでしまう姿を。
少しだけ、愛おしいと思った。



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