#12 怪我して学んだことの財産
昨年の6月に骨折してから一年が経ちました
当時は自転車の転倒で捻挫したのかな、くらいの感覚でしたが結果的に上半身だけで4カ所の骨折ということでしたがその中で色々感じました
勝負事だと、勝った時は嬉しいし、負けると悔しいです。
今回は試合に負けた時や怪我した事が何に活かせるのかを考える事以外に怪我の意味はないし、
「そこから何を学んだのか?』しか成長はありません。人生において、絶対にプラスの経験になると思ったことが以下
自分で学んで指導してきた「リハビリ」と実際の差異
教科書では骨が付くのを待ってから、リハビリというのが定説ですが自分でやる場合はこれは当てはまりませんでした。
骨折箇所を守る強烈な防御反応をいかに最小限にするのか?に自分が専門的にやってきているのでそれ影響は強烈に感じました
もちろんある程度の固定は大事だけど、骨が治るのは大事だけど同時進行で別の問題も2次的、2次的に広がっていきます
結局、その時の自分に大事なのは最低限の安全性を確保しながらどれだけ早く仕事に戻るのか?これが最優先で、骨が戻ることだけが目的ではないので人それぞれ環境が違うので
やり方も全然変わってきます。
アドバイスする時には自分がやったようにするには責任も伴うので、お勧めはしません
全部自己責任でやりますというなら、話は別ですが何をするにも責任が誰にあるのか?ってめちゃくちゃ大事だなあって実感です
その為には知恵と知識は本当に財産になりますね
骨折=負荷が高過ぎたというのはなりたたない
4カ所骨折したと話すとどれだけスピード出してたのですか?って言われますが、普通に緩やかな傾斜でありましたが、自転車乗っていたくらいのスピードで同じ怪我を同じスピードで骨折するかと言われて絶対に無理だと思うくらいのスピードと状況だと認識しています
基本的にスポーツやっている人やトレーニングする人は一瞬で身体を固めるので、その分だけ骨に負荷が乗ったのでは?と思っています
逆に運動もしていないでコロコロしている体型ならば転んだだけで済んだのではないかなと思っています。
普通のスピードで転んで4カ所骨折したけど、人にその話をすると、「スピード出し過ぎ」とか原因を突き止めたがるけど、全部を理解できる以外の別の要素が本当にある気がしてなりません。それを教えてくれるタイミングだったのかなとも思えました
一人では何もできない
着替えも食事も、移動も両手が使えないのはすごくキツイし、本当に些細なことが難しくて、ストレスだったりしました
「手が上がるから歯が磨けた!」
「肘が曲がるから、食べ物を口に運べた」
「背中が掻けた」
本当にそのレベルでもありがたさを感じるのは本当に幸せなレベル
いろんなことに支えれて生きてるのを実感する瞬間です
焦りすぎな性格
強制的に動けなくなるので、考える、感じる時間が増えます
なんでこんなに普段焦ってるのかな?とか
本当に意味ないなって思えて、
人との競争とか競う必要もないのに競ってる感は捨てたいって、思えました
体験した本人にしかわからなくて感じられないことは本当にたくさんあるけど
これが自分の人生だなって思えるキッカケになった怪我日記でした。
健康をどんなに気を遣ってても、怪我や事故は避けられないこともあリますが、
どんな時も身体が第一で
身体が動けなくなると、意識や感情も一気にマイナスに持っていかれます
メンタルと身体は影響しやすいけれど基本的には全くの別物という概念の教育は受けているけれど、言葉以上に深いなって実感しました
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