見出し画像

自己紹介と1型糖尿病発症経緯

初めまして1型女子です!
現在30代で5歳と3歳年子の息子を育てている
元看護師ママです💉

世の中に1型糖尿病の真実や医療の真実を伝え、1型糖尿病である自分自身と世界中にいる1型糖尿病患者がインスリン離脱し完治できるようにと心から願い活動していきたいと思っています。
医療は英語やカタカナなど小難しい「呪文用語」がたくさんあり医療関係者でも「❓」となることが多い分野なので
できる限りわかりやすく伝えていきたいです。
皆さまどうぞよろしくお願い致します🙇‍♀️✨

私は3歳で1型糖尿病を発症しており
かれこれ30年選手です😌
当時はペン型インスリンしか無かったため
妊娠が発覚する2019年まではペン型を使っていましたが、
妊娠後より厳密なコントロールが必要だと感じて持続的にインスリンを注入できるポンプと、持続的に血糖値の変動を見る事ができるリブレセンサーを使い始めました。
〈インスリンポンプ〉

〈血糖測定器リブレ〉

●発症の経緯
私は3歳の7月頃に3歳児健診を受けています。
その際は尿糖は出ておらず異常無しでした。
10月頃に風邪をひき38度台くらいの熱が出ましたが数日後には下がり特に発熱以外の症状はありませんでした。
その後からリビングでボーっと座って過ごす事が増えていったそうです。
母が「どうしたの?」と尋ねると
「なんかしんどいの」と毎回答えていたそうです。
11月に七五三があり着物を着て神社へお参りに行った際に、
「喉が渇いた!しんどい!」と物凄くイライラしており、
着慣れない着物が苦しいからイライラしているのか?と思ったものの
私は絵を描く事が好きで穏やかな性格で癇癪を起すタイプの子供では無かったので、
母はいつもと様子が違う私をみて不思議だったそうです。

それから毎日のように喉が渇いた。と言い、
酷い時は、私1人で1日に牛乳パックほぼ1本分を飲むこともあり、
飲んでしばらくするとトイレで排尿を繰り返すということが続き、
おかしいと思った母が近所の内科を受診させるも、聴診・視診・問診を受け
異常なし。経過観察とされました。

今改めて書くと、この時に尿検査か採血をしていたら早く気づけたのに!と思いますが、
30年前は1型糖尿病は、今以上に珍しい病気とされていて医師も、
「糖尿病かもしれない!」と判断し難い時代だったのです。

そんな日々が続き、
2月の夕食後、意識を失っている私に
実の姉が気づき地元の赤十字病院へ救急搬送されました。
意識を失っていたため、
脳波やレントゲンを撮りましたが異常無しと言われ、
そうこうするうちに意識が戻りました。
意識も戻り、医師も異常なし。と言うなら帰宅して様子を見るかと母と祖父が待合室で話していた時に、また私が喉が渇いたと言うので
自販機で買ったポカリスウェットを飲ませると
全身に物凄い大量の蕁麻疹が出てきたので
母が慌てて医師を呼びに行くと
医師はピンと来たのか、採血をすることになり結果は血糖値が900mg/dLと高血糖であり、1型糖尿病と診断されました。
(正常な血糖値は、早朝空腹時血糖126mg/dL以下:随時血糖200mg/dL以下:糖尿病標準診療マニュアル2024より)
そして約1カ月間入院し
インスリン療法を開始し、併せて運動療法と食事療法の指導があり現在に至ります。


当時、母は同居していた義母(私からすると祖母)に
・1型糖尿病は遺伝なのではないか?
・食事が原因でかかったのではないか?
・母の作る料理は揚げ物等が多かった
と言われたことにショックを受け、主治医に下記を確認しました。

・1型糖尿病になった原因は何か?
・インスリン療法以外に完治できる治療は無いのか?
・母の膵臓を移植すれば治らないのか?

※祖母はデリカシーの無い人で、思ったことを言い方等気にせず言うタイプで昔ながらの「THE姑」です。
同居でしたが祖母とは食卓が別だったので
私は被害を受けていませんが、(笑)
食事も油っこいものはダメ!とTVだか本だかで洗脳され、肉類は牛肉なんてもっての外で
鶏肉か豚肉か時々出るだけで基本的には
ししゃもやめざし等の焼き魚と煮物が食卓を飾っていたそうです。(父親談)

主治医は丁寧に教えてくれました。
1型糖尿病は遺伝ではなく、
2型糖尿病と違って食事を食べ過ぎて発症するわけではない。
特定の食材を接種したことで発症するということもなく、
原因は不明と言われていて研究中なので
いつかわかる日がくることを医師自身も期待している。
治療はインスリン治療か膵臓移植もあるが
ドナーも少ない上に、
腎不全も併発するくらい1型糖尿病のコントロールが悪い人から優先的に適応になり
更には血液型など様々な項目が適合しなければならない。
また、移植して1、2年はインスリンが8割くらい出るようになるが、
個人差はあるものの何年か経過するうちにまたインスリンが出なくてなっていくので完全にインスリン不要になるわけではない。
また、移植後は免疫抑制剤を服用しなければならず副作用も強い薬であり、手術も全身麻酔で開腹手術になるため現実的でないとのことでした。


ちょうど母が33歳の時
一般に厄年、本厄と言われる年に発症したため、
母は自分が受けるべき厄を
子供の私が受けてしまったのではないかとたいそう嘆きました。
私が1型糖尿病を完治する日まで、
自分が大好きなアイスクリームを一切断つと言い、
「お母さんがした事が原因で1型糖尿病になった訳じゃないから、気にしないで。一緒にアイス食べようよ🍨」と何度か話したことがありますが、
母は、「私は膵臓あげることも出来ないし、アイス断ちして1型糖尿病が治る訳ではないけどこれくらいしかできないから。続ける。」と毎回言われ、今もアイス断ち継続中です。

私自身、子供を育ててみて
母の気持ちを深く理解することができました。
自分の行動が原因で病気になってしまった訳ではないけれど、
一生我が子は健康な身体に戻ることはない。
自分に出来ることは無いもどかしさややるせ無さ、せめて自分自身も我が子と共に苦労を背負ってあげたい。
という母の決意なのだろう。と。

私自身、確かに健康でありたかったし
病気になったのは悲しいけれど
私が病気にかかることに何か意味があるのだろう。
私が病気になってお母さんが受けるべき厄を私が代わりに受けて回避できたならそれでいい。病気といっても目が見えない人や耳が聞こえない人に比べたら
見た目は健康な人と何ら変わらないし
自分できちんとコントロールすれば
寿命まで生きられる病気だから良かったじゃないか。
と、子供ながらに病気を受け入れることはできていました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?