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マーブルとツートン
バナナはお菓子に入りますか?
小学生が遠足のお菓子を買うために、先生に質問をする。300円程度の限度額なのに、バナナが許されるかを質問する、その子は果たして、お菓子に入りますという答えを得たとき、それを本当に買うんだろうか?遠足のお菓子の買い出しといえば、電卓を片手に、なんとかピッタリ使ってやろうと10円や30円のお菓子を時間をかけて選んだものだ。楽しかったな、あの時間。
さて、今日のテーマはバナナではない。何事も最近境界線というものが薄くなってきている、ということだ。分かりやすく目に見えるものでいうと、服装ではないだろうか?学校の制服では女子もズボンを選べるところがあるそうだ、一般的にも男性がスキニーを履いたり、女性が男性らしいファッションをする、いわゆるメンズライクも当たり前になってきた。男性がメイクをし、ピアスを開ける。女性が刈り上げをする。一昔前では有り得ないもの、男性がするもの、女性がするものとして区別されてきたことが、どちらがしても良いような風潮になってきている。今では性別の境界線さえぼやけてきている。同性婚が認められたり、なにかの会員登録をするときに選択する性別の欄に、「どちらでもない」という回答が選べるようになっていたりする。ジェンダーレスだ。ただ、私はこれに関して語弊を恐れずに言うと、さほど関心がないので深くは語らない。
一番言いたいのは関心や気遣いと干渉だ。誰かに関心を向けるのは何も悪いことではない。むしろ必要だ。友達に、元気?今日なにしてたん?と尋ねる。これが会話であり、コミュニケーションだ。しかしこれは一定の距離間を保っているからこそ成り立つものなんじゃないかと思いだした、家族になると、この距離感が急に保たれなくなる。昨日もそうだ、午後から友人と出かけようとしていた。外はかなりの雨が降っていた。でも警報が出るほどでも、台風が来ているわけでも、津波の危険があるわけでも、傘があおられるほどの強風が吹いているわけでもない。廊下でまず父親に会う。「お、出かけるんか。誰と行くんや」。母親がちょうど2階から階段を降りてきた。「え、出かけるん。誰とよ?こんな雨なのに別に今日行かんでもいいんじゃないの?」親心と言ってしまえばそうなのだろう、でもあえて言う。最高にめんどくさい。そっちからしたら初めて聞いてくることかもしれないが、こっちは同じ質問を何度も答えている、たった二回じゃないかと思うかもしれない、残念、家には姉もいる。最高3回同じ質問をされる。しかもたちの悪いことに3人とも違うベクトルのめんどくささを持っている。父親は少し耳が遠い、高すぎる音や低すぎる音がどうも聞こえにくいらしい、老化だから仕方ないとは思う。そして私の声は低い、テレビの音があったり、近くで水仕事などをして雑音があるとなかなかこちらの声が通じない。問題は次の二人である。母親はとにかく話が通じない、余計な心配が多い、それを聞いて何の関係がある?ということまで細かく聞いてくる、誰と、どこに行ったか、ごはんを食べてきたらどこの店に行ったのか、その店で何を食べたのか、友人は何を注文したか、そのメニューはいくらだったのか、どちらが会計をしたのか。尋問だ。姉は姉で、また癖がある。帰ってくると質問が来る、楽しかったか?何をしてきたのか?でも姉は少し気が回る。あ、みんなのいるところで聞くわと言ってくれる、ここまでは良い。と思うだろう?これがどうにもひっかかる。質問しちゃったけど、あなたが嫌がることに気付いて一歩引きましたよ、良い人でしょ?というにおいがプンプンする。ひねくれているがこう受け取ってしまう。あとから訂正して質問をやめるなら、ちょっと考えてから最初の口を開けばいいのにと思ってしまう。
とにかく、○○したら?これ食べたら?と勧めてくる。幼稚園児や小学生じゃないんだから、自分で選ぶ。こんなのがあるよ、と教えてくれるだけならまだしも、その選択肢を選ぶように突き付けてくる、いや、今日はこっちにするから、と言っても、なんでよこっちもすればいいじゃん、こっちにすればいいじゃんと返される。自由意志を行使できないのか?人のことに干渉してくんじゃないよ、良い迷惑だ。
こんな環境で育ったので、私はあまり周りのものに干渉しなくなった。いや、関心すら向けることができなくなった。良い意味で自分の損得勘定だけで行動している。自分に影響のないことを知って何が変わるんだと思っている。
境界線はない方が良い物もある、人種間や国籍間の境界線はなくなれば良い。でも家族は、家族だからこそ境界線は必要ではないか、友人との付き合いならそれぞれのプライベートに入りすぎないようにして境界線を越えないようにするのと同じように、家族の間でもある程度の距離感は欲しい。
境界線がなくて美しいものが存在する、でも境界線があることで美しいものもたくさんある。
そう、マーブル模様と、ツートンカラーのように。