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雀の涙、猫の額。
ポテチなんかの最後をこれ最後あげるよといってあげると、雀の涙ほどしかないやんけぇ、と言われる。雀が泣いているところなんて見たことないが、雀ほどのサイズの生物が流す涙など、ごくごく小さな雫なのだろう、それで少ししかないことを指して、これは使われる。つまりは遠慮の塊じゃないかというわけだ。
実は、友達の弟がインフルエンザになった。今日の朝、別の友達と車に乗っているときに連絡が来た。用事を済ませるともう昼近くになっていたが、その友達とお見舞いを買いに行こうという話になった。インフルになった弟君、まだ小学四年生。何がいいかなと二人で話しながら、スーパーに走る。
まず目に入るのはリンゴ、柿だ。ここの辺りは結構食べるよなぁなどと話しながら進むと、ブドウがあった。種なし、皮ごと食べれますというやつだ。これだろうと思い、かごに入れる。あとは何がいいだろうか。友達がコロナに感染したときのことを話してくれた。アイスやゼリーみたいな、さらっとしてて冷たいものの方がいいそうだ。じゃあそれで行こうじゃないか、冷蔵、冷凍のコーナーへ。自分自身はゼリーやプリンといった類のものをほとんど食べないのでそのコーナーにいって驚いた。めちゃくちゃ種類がある。。。てなわけでゼリー数種類と、アイスをかごに入れレジへ向かう。
買い物を済ませ、車に乗り込む。家へ届けるのだが、なにせインフルなので、ピンポンを押して会っていいのか、ドアにかけておいたほうがいいかの確認を取る。その子の家に向かって車を走らせていると、返事がきた。見てみると、インフルになったのは弟だけで親もまだ動けるから気持ちだけもらっとくね。とあった。おいおいもう買ってしまったんだぞ、どうしろというのだ。そうは言われても買ってしまったし、もう家まですぐのところまで来てしまっていたので、買っちゃったから!といってドアにかけといたから!と返事をして、帰った。
ここまでだけだと、美談に思えるだろう。プレゼント、お見舞いは難しい。今日言いたいのはこれだ。気持ちだけもらっとく。ということは物はいらない、なのに渡したことになる。半ば強引である。きっと一言インフルといっただけのに気を遣わせたことが申し訳なかったんだろう、それに本当に自分たちも動けるので必要なかったのだろう。確かにそれはわかる。でも親切でしただけなのに、実はそれをただ押し付けただけなのではないだろうか。そんな思いがふと込み上げてくる。もしかしたら、向こうは、一言言っただけで持ってこられるなら、次なにかあってもあまり言わないようにしようと思うかもしれない。もしかしたらすでに弟君のためにアイスなど似たようなものを自分たちで買っていたのかもしれない。自分が勢いで動いてしまったことを少し反省しながらこのNOTEを書いている。相手のことを考えて行動したつもりが、自分がお見舞いを持って行って誰かのために何かをしたという自己満足にいつの間にかすり替わっている。でもだからといって相手の状況を100%把握することも無理だ。そんなことできるのはストーカーだろう。そう、犯罪レベルだ。
こうして考えるとプレゼントは難しい。たいそうな物をあげなくてもちょっとしたもので喜んでくれることもある。こないだなんかはポテチを大げさにLAKOREのギフトバッグに入れて別の友達にあげたらめちゃくちゃ喜んでもらえた、プレゼントはちょっとしたものでいい、そう思えた矢先にこれだ。自分としては他人に使うお金は浪費ではない、なんなら必要経費だとおもう。まぁ、ポテチもアイスとゼリーも高価なものではないんですけど。。
早く良くなるといいな。。。