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[小説]故人消失 #2

 なんとか台所が終わった。涼さんはどうだろう。様子を見に行ってみる。

「おう、仁、台所は終わったんか。ここもあとちょっとだからよ、手伝ってくれ。」

 すごい、休憩をしてからほんの1時間ちょっとしか経っていないのに、もうこの和室が終わるだって?こんな人と一緒に仕事ができているっていうのに、俺はさっき何を馬鹿なことでふてくされてたんだ。俺は休憩前に涼さんと一緒に半分終わらせた台所を仕上げただけだっていうのに、なんでこの人は一部屋をほぼ終わらせられるんだよ。自分の無力さが急に込み上げて来た。何年やっても自分はペーペー。涼さんはあっという間に係長に昇格して、次期部長候補だなんていわれている。俺は計算すると今年で6年目の年だそうだ。ちょうど3年前、この家に来てからすべてが変わってしまった。3年間で取ってきた新規の仕事は0件。それまでは新人なりに、若いなりに頑張って、なんとか年に数件は仕事を取っていた。この家のせいにすれば楽だ。悪いのは自分だ。でも確実にここの現場を終えてから自分の中で何かが変わってしまった。

「突っ立ってないで手伝ってくれよ、もう腹減ったんだよ俺。」

 涼さんの言葉で我に返る。比べたって仕方ない。とりあえず仕事を明日までに片付けないといけないんだった。和室の押し入れを開けて整理する。日焼けした大学ノートがどっさりと出てくる、そうだ、これは徹さんが亡くなった時に、ツバキさんにこれだけは置いておいてくれってしつこく頼まれたノートだ。その時はなんとも思わなかったが、そこまでして残したかったものってなんだろう。不謹慎だと思ったが、少しだけ覗いてみることにした。人となりに触れることのできるこんな時間が俺は好きだ。

 でもこの仕事は別にしたくて入社したわけではない。20社近く落とされてもうやけくそでかたっぱしから応募したらたまたま受かってしまった。でも面接では口が裂けても言えないので、亡くなられた方と残された遺族の方とかかわることで自分を広げられると思ったからです。などと上辺だけの志望動機を述べていた。でも最近本当にそう思うようになってきた。この仕事は家の中から故人が住んでいたという証を消すことなので、確かに寂しさはある。ただ生物学的に人が死んで骨になり、消え失せるだけでなく、この世にその人が存在していたという事実すら消すかのようなものだ。作業が終わってしまえば、故人はもう遺族や友人の記憶の中にしか残らない。業者が依頼を受けて遺品整理をしたとしても、業者からすればその遺品はただビジネスでしかない。でも俺は現場の一件一件が心の中で屍のようになり、生きなければならない、と思わされる。当の本人たちはそんなこと微塵も思っていないだろう。ただ俺がどう感じるかは自由だ、生きよう、そう思わせてくれる。この大学ノートだって例外ではない。表紙には、かすれてはいるがはっきりと日付が書かれている。その中に最初の1ページ目しか使われていないノートがあった。開けてみると六/二と書いてある。たった2行しかない。字は行からはみ出し、お世辞にも奇麗とはいえない。すこし震えながら書いたことが読み取れる。

『    ツバキ、苦労をかけたな、もう長くはない。
 六/二 待っている。』

 冷や汗が出た。日付が漢数字で書かれていてすこし震えているせいで六と/の記号が少し被って見える。そこに漢数字の二だ。名前を呼ばれたような気がしてならない。たまたまだろうがどうも「仁」に見える。日付がずれて二行目に書かれているせいで、「仁、待っている。」と読めてしまう。

「何故人の遺品読んでんだ、早くしろよ、こっちもう終わったぞ。」

 少し強めな口調で涼さんの声がした。急いで大学ノートを袋に詰め、押し入れに入っているものを全てかき出す。

「なんとか昼までに2部屋できたな。そういや娘さんまだか?飯持ってきてくれるんだよな。」

 涼さんと玄関の方へ出て行くと、ちょうど車が入ってきた。楓さんだ。

「すいません。遅くなってしまって。お弁当屋さん混んでて。。。
整理は進みましたか?」

「とりあえず午前中に台所と和室は終えました。午後からはもう少し人数を増やして作業する予定です。」

「そうですか、よろしくお願いしますね。あ、それと先ほどは取り乱してすみませんでした。私昔から霊感強くって。なんかまだこの家にいるような気がして。それでつい。」

 楓さんは深々と頭を下げた。なるほど、そりゃ怖いはずだ、遺品も何も残したくないのもそのためだろう。
 と、そんな会話をしていると、また一台の車が入ってきた。奈緒だ。

「この度はお悔やみ申し上げます。」

「涼君、順調?」

「あ、上田君、お疲れ。」
 
 10秒のうちにテンションを3段階に変えるんじゃねぇよ。楓さんへの挨拶はまぁいい、涼さんは仮にも奈緒より年上だろう、仕事中くらいは敬語にしろよ。それに涼さんと付き合いだしたくらいから、俺のことも「じんたん」から上田君呼びに戻しやがった。奈緒を嫌う理由はここにある。はきはき喋るし、運動部のマネージャーの経験もあるのに上下関係がちょっと抜けているところがある。そしてあからさまに俺への態度が変わったからだ。それまでは社内でも割と仲良く話していたのに、急に他人行儀になり、自分は存在していないのかと思うほどに冷たくなった。

「こら、奈緒。仕事中だぞ。」

 注意はするものの、涼さんもまんざらでもなさそうだ。似たもの同士だな。

 お昼ご飯を食べると俺はいつも昼寝をする。今日もいつものように寝ようと思い、楓さんにことわりを入れて、横になる。いつもはすっと寝れるし、別にどこでも寝られるタイプなのに、なぜか寝付けない。ずっと「待っている。」が頭から離れない。本当に関係ないんだろうか。仕事中に感じた劣等感がまた戻ってきて、ダブルパンチだ。幼なじみからも相手にされない、仕事は平凡、挙句の果てには故人に待っていると言われた。実際に言われたわけではない、多分いや、きっと自意識過剰なんだろう。でも脳にこびりついて眠りを妨げてくる。俺の存在ってほんとなんなんだろう。


※物語はすべてフィクションであり、実在する人物、団体などとは一切関係ありません。


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