自分と自分
最近、仲良い人ができた.でも会ったことがあるのはたった数回、しかもそのうちの一回はメチャクチャに怖がられていた.でも気がつくとずっと連絡をとっている.お互い入り込みすぎないように連絡は用事のある時だけにしようと言ったのに、ずっと話している.今日も仕事と仕事の間でやることがないわけでもないのに、その人の影響で一銭にもならない文をただ、つらつらと書いている.物書きの真似事だ、雰囲気を出すためにスマホではなくわざわざタブレットの外付けキーボードを使って書いている.何か書きたいことがあるわけではない、書かなければ何か失うというわけでもない、でもなぜか指は動くし、脳も働く.原動力は何かと言われると、すぐには答えられない.不思議なものだ.
仲良い人、ここではNUさんと呼ぶことにしよう.知り合ったのはつい最近だ、でも多分、いや確実に自分の中ではとても大きな存在だ.そう感じられるのは波長が合うからだろう。波長と一言に言っても、好みが全て合うということはない、自分はスポーツが好き、NUさんはそれほど、自分は自撮りや自分が写っている写真を見られることにさほど抵抗や嫌悪感を感じない、NUさんはそれが大の苦手らしい。それでも波長が合うと言えるのは、会話のテンポ、ペース、根本の考え方が似ているからなんだろう。いや、そうでもないか、会話のテンポは合うが合っていない。NUさんは基本連絡を放置するタイプらしい。自分は通知が溜まっているのが嫌だからすぐに返信をしようとする。自分と連絡を取るようになって放置癖は多少マシなようだが、そんな人と連絡を夜中までとっているのだからこれもまた不思議だ。きっとこの文章の中で何回も「不思議」って使うんだろうな。
NUさんはよく褒める人だ、対して何もしていない自分を褒めてくれる、その時自分はすぐ調子に乗る。字面だけを見ると謙遜するが、内心よくわかってくれたー!と感じることがある。自分はつくづくクソみたいな性格をしているなと思う。褒めてほしくて、心配してほしくて、かまってほしくて用事もないのに連絡をする。さも必要な連絡だったかのように装って。頑張ってるアピールをして、忙しいアピールをして、いかに努力しているかを認めてもらおうとする。でもいざ労われると、いやいや頑張ってないよと、自分なんて何もできていないなどと調子の良いことを抜かす。認めてほしいくせに、自分で認めることはしようとしない。法を犯す奴ほどクソだとは思わないが、そんな奴らよりも自分のこの性格はタチは悪いと思う。なんなら自分で自分の努力を認めたらそれで成長が止まるだなんて考えている。だったら他人からの承認も求めなければいいのに。でもたまに自分は才能のある人間だと考えている時がある。そんな時はそう、調子に乗っている。ただ自分はよくできた人間であると自分で思っていてもそれだけではなんの意味もない、この世界は他人からの評価がものを言うからだ。それで他人からもよくできた人間だと思われようとして良い顔をしようとする。物事に対して泰然自若なふりをして、イライラしてもそれを表に出していないふりをして、あわよくば他人の評価を下げてやろうとする。しかも自分の評価は下がらないようにそれとなく伝え出す。世にいう八方美人ってやつだ。でもこんなことをしている時点で才能のある人間なはずがない。本当によくできた人間はわざわざこんなことをしようとしなくても他人から良い評価を得るはずだ。NUさんにはこのクソな部分を曝け出しているというのに引くことなく仲良くしてくれる。不思議だよな。
もっというと自分は人を信用することが苦手だ。自分自身が内面はクソなのに外面だけはよく見せようとするタイプである自覚があるからこそ、周りの人間も人間関係で波風立てないように褒めてくれているだけだと感じるからだ。離れないと言っていたはずの人が離れたこともある。そうしたことが重なると、人を信用することはマイナスに思えてくる。どうせ裏切られるのだから、どうせ仲良くしたいなって本気で思っていないのだから、こう考えた方が離れられた時傷が小さくて済むじゃないか。無理にでもそう思っておかないと突き落とされて精神を殺される。ここ10年近くそう思って生きてきた。だから余計に承認欲求が強いのかもしれない、本当に信頼して100%心を許せる人が現れたら自分が壊れるような気がする。現れることなどないのかもしれないけれども。。。
本当の自分がどんな人かいまだにわからない、色々な自分に気がつく、NUさんと話すようになってそう思うことがふえた。外面だけよく見せる自分、内面ではブチギレていたり、とてつもなく悲しんでいたり、凹んでいたりする自分、良い人であろうとする自分。様々な自分に囲まれて、どれが正解かわからない。どれが正解なんてないのかもしれない、どれも正解なのかもしれない。これからも自分は、自分と自分の間に挟まれ、葛藤して生きていくのだろう。