山雅が観たくて生きている。いちサポーターの私が、松本山雅FCで救われた話
まずはお知らせをいたします。
信州のフットボールを追いかけて、OWL magazineの皆が旅をした本が、いよいよ発売されました。
「埼玉編」に続くのは「長野編」ではなく、「信州編」。
そんなところにも、こだわっています。
他県の方々からは United States of 信州 などと揶揄され、地域で全く文化の異なる、我らが長野県。
その魅力が、どこか一ヶ所に偏ることなく伝わるように、OWL magazineの著者陣が丁寧に編んだ19編を収録しています。
私、薄荷(はっか)も、地元からの目線で一遍、寄稿しております。
「信州って、こんな魅力があったんだ」
「あの辺のことは、行ったことがなくて知らなかったな」
地元に暮らしていても、いや、地元に暮らしているからこそ、なかなか目に留まらない信州の魅力を、たくさん発見して、楽しんで、
「信州ってすごく良いところ!」
と、伝えている、そんな本です。
もちろん、緑のあのチーム、オレンジのあのチーム、はたまた赤いあのチームについても、ここでしか読めないお話が載っています。
↑のリンクページから直接通販の他、信州各所の書店でも取り扱っていただいております。
ぜひ、お手にとってごらんください。
ちなみに、信州の書店販売促進について、私、薄荷(はっか)が今後担当することになりました。POPや販促物など、鋭意制作中です。
見かけたら、どうか応援よろしくお願いします!
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もう少しだけ前書きをします。
私がこのOWL magazineで所信表明を書いたのは、2021年6月のこと。それから筆を取れずに、ずいぶん時間が経ってしまいました。
松本山雅FCの応援には、「どんなときでも俺たちはここにいる」と歌うチャントがあります。その言葉は、きっと一方通行ではなく、私のようなサポーターにとっての松本山雅FCもまた、「どんなときでもここにいてくれる」存在なのだと思っています。
そんな気持ちから、私自身に起こったことを、改めて書き記すことにしました。
スタジアムにこだまする歌声のように、この記事が誰かの心に響くのなら、私はとても嬉しく思います。
『松本山雅と出会った日』
サッカーで泣くことができるなんて幸せだ。
5/8、長野県サッカー選手権大会決勝戦。11年ぶりの信州ダービーを制する決勝弾は、ユースに所属する17歳の新星によってもたらされた。
まだ声出しが駄目なんてことは分かっている。でも、誰が止められるというのだろう!狂乱するゴール裏で熱く迫り上がるものを、そっとタオルマフラーで拭ったのは、私だけではないはずだ。
その翌週に行われたリーグ戦のことは、先日公開のオムニバスに寄稿しているので、お読みいただけると嬉しい。
6月からは、いよいよ声出しが解禁されていく向きもある。10月のサンプロアルウィンは、きっともっと凄いことになるだろう。
サッカーを観るのは、こんなに幸せなことなんだ、と、しみじみと感じる日々だ。
来週も、山雅を観るから。
その想いだけで、どん底のような日々をつないで、私はまたゴール裏に立っている。今週も、来週も、きっとずっと先も。
私は、サッカー観戦歴は長くない。
松田直樹選手の訃報を聞いたとき、彼が何者なのかさえ知らなかった。
地元がそんなに好きじゃなかった。
だからと言って、別にどこかに出たかったわけでもない。
塩尻の山麓で生まれて、松本の高校に通って、大学は駒ヶ根へ進んだ。幼い頃から、母親の背を追いかけて、看護師になるつもりだった。
物書きになるなんて、ちっとも思っていなかった。
書くことは好きだけど、ただの趣味。根暗で、漫画と小説が好きで、夜な夜な誰にも見せない絵や文を書いては引き出しの中にしまっていた。
おしゃれ、興味ない。スポーツ、運動神経最悪だし。結婚、しないだろうなあ。
ずっと、ずっと、山間の箱庭の中で、ふわふわと暮らすのだと思っていた。
だから、関東に就職すると決めたとき、それはそれは驚かれた。「まさかあなたが、県外に出るなんて思わなかったよ!」と。
そのとき初めて、行き先を自分で決めたのである。当時まだ日本にたった一ヶ所しかなかった分野で、働きたかったのだ。
ちょうど松本山雅FCが、長野県内初のJクラブとなった頃だった。そんなニュースも知らないまま、入れ違うように私は箱庭を出ることにした。
10年後の今になって『クラシコ』のDVDを探し求めたのだから、分からないものである。
人生が駆け足になり始めたのは、その頃からだ。
キラキラした都会なんて一生、縁がないと思っていたのに。三年は働いてみよう、と決めて暮らした関東は楽しかった。だって、何でもある。「やろう」とさえ思えば、何でもできる。
一本のレールだった人生を逸れて、片っ端からやりたいことをやった。それまでの鬱憤を晴らしたかったのかもしれない。
行きたいところが、たくさんある。知らない場所に飛び込むって、なんて楽しいのだろう。
永住する気はなかった。なら、今やらなきゃ、一生できないことばかりだ。私はそこで、全然知らなかった私と出会った。箱庭の封印から解き放たれた私は、本当は貪欲で、ストイックで、行動力の塊だった。
都会は、楽しくてお金も稼げるけれど、遊ぶために「行く」ほうがきっと性に合っている。すっぴんで出かけるのを躊躇ってしまうような空気は、嫌いじゃないけど、息が苦しい。
三年経って「帰って」きた地元は、やっぱりあんまり好きじゃなかった。だけど、暮らすなら田舎がいい。
北アルプスを眺めながら深呼吸をすると、心がすうっと落ち着く。
それが当たり前の風景じゃないことを、箱庭の中にいた頃の私は知らなかった。何にもないと思っていた田舎には、澄んだ空気に冷たい水、新鮮な野菜にみずみずしい果物、そして、穏やかな人々がありふれていた。
ここでずっと暮らしていくんだろうな。じゃあ、好きになりたい。私の生まれ育った、この場所を。
ある日、「皆んながすなる山雅といふものを、私もしてみむ」とて、行ってみた。
そうしたら、いとをかし!いや愛おしい。もはやこれは、愛としか呼べない。薔薇色ならぬ、全緑の日々の始まりである。
ここでずっと暮らしていきたい!山雅のある、この場所で!
たちまち私は、この街が好きになっていた。
サポーターになって二年ほど経った頃、一本のnoteと出会った。
そうか、私は山雅に恋をしたんだ。
貪るように一気に読んだ。とても引き込まれる文章だった。そうなんだよ、松本山雅って、そのサポーターってすごいんだよ。
それをこんなに丁寧に、力強く伝えられる人がいるなんて。
中村慎太郎さんのことを、当時は知らなかった。『サポーターをめぐる冒険』で2015年のサッカー本大賞を受賞した著者であり、OWL magazineの代表、そして現在は西葛西出版の社長でもある。
嬉しかった。外から見た松本山雅の姿が、とても魅力的に書かれていたことが。
私も、もっと多くの人に、この感情を伝えたいと思った。一度来れば分かる山雅の魅力が、もっとたくさんの人に伝わればいいのに!
そのとき、はたと気がついた。
私のやりたいことは、これだ。溢れて止まらないこの気持ちを書きたい。
教室の片隅でちまちまと書いていた、あの頃と同じこと。大好きなものへの思いの丈を、自分の言葉で形にできたらどんなにいいだろう。そして、中村さんのnoteを読んだ私のように、「山雅ってこんなに魅力的なんだ」って思ってもらえたら。私も、読んだ人も、松本山雅FCというクラブも、皆が幸せじゃないだろうか!
そう思っては見たものの、現実はなかなか非情だ。
noteを書こう、と思い立った2019年は、松本山雅FCがJ1に残留できなかったシーズンである。
反町監督やベテランの選手達との別れの年が明けて、また一から走り出そうとするのを待ち受けていたのは、新型コロナウイルスの蔓延という事態だった。
応援に行けない。
行っても、声が出せない。
あの一体感が、声援がない。
そのせい、と口に出して言う人はいないかも知れないが、きっと心の中で思っている人は多い。
その状況で松本山雅FCがどうなっていったかは……。敢えて書かずとも良いだろう。
キーボードを叩きつけるようにぶちまけたnoteがきっかけで、なんと、中村さんに声をかけてもらった。
「OWL magazineで書きませんか?」
とても嬉しかった。『松本山雅に出会った日』を、何度も読み返しては、「このマガジンで書いてみたいなあ……」なんて、こっそり憧れていたからだ。
OWL magazineは、有料で運営しており、原稿料を受け取れることなども含めて説明を受ける。つまり、プロの世界である。それまで私がしていたように、感情にまかせて綴るばかりを良しとはされない。
できるだろうか。でも、やってみたい。
不安よりも、自分の言葉で山雅を伝えたい気持ちが勝って、私は物書きの世界へと踏み込むことにした。
山雅が好きだから、つないだ命
「やってみたい」と言ったものの、やはり現実は厳しかった。
松本山雅FCの低迷と時を同じくして、私自身も、それまでの生活から転がり落ちていた。
2020年まで、私には仲の良い夫がいた。シーズンパスは家族単位で購入して、北は札幌ドームから南はレベスタまで、日本全国を一緒に駆け回った。
「J2に降格してしまったけど、沖縄に行けるよ。去年は札幌に行っておいて良かったね」
アウェイの旅程を話し合っては、二人でシーズン開幕を待ちわびていた。
それなのに、コロナ禍と同時に綻び始めた夫婦関係を、修復することができなかった。
ずっと悩みながらも、蓋をしてきた夫婦の事情。コロナ禍の激務によってもたらされた、すれちがい。いろんな要因が全部重なって、坂を転がるように関係が崩れていった。
時々、夫が山雅の話をしてくれたのを、私は全然相手にしなかった。私が山雅サポになったのは、彼と一緒にサッカーの話をしたかったからなのに。
サッカーを観る余裕なんてなかった。沖縄どころか、アルウィンにさえ行けないまま、私たちは家族であることをやめた。
しんどかった。とても、つらかった。
コロナ禍以前のことを、思い出した。どうしても行きたかったアウェイ旅行の直前に、無理が祟って私は入院した。山雅が久しぶりに快勝したその日、病院のベッドで泣く私の背を、ずっと傍でさすってくれる人だった。
また行けるよ、いつでも行けるから。
それは彼の実家へと、帰省を兼ねた旅行になるはずだったのに。
もう行けない。私は、一人だ。
ちょうど、著名人の自殺報道が続いていた頃だった。
あんなに素敵な俳優さんでさえ、死んじゃうんだ。
なら、私なんて、死んじゃってもいいよなあ。
そう思って、自分に寒気がした。
看護師だった私は、自分を生かすために、メンタルクリニックの門を叩いた。そんな状態で、人の命を預かれるはずもなく、仕事から離れることになった。休職が、退職になり、自分の命すら儘ならなくなったのが、2021年の夏頃のこと。OWL magazineで所信表明を出した後だった。
どうやって生きていたのか、ほとんど思い出せない。
やっと観客を入れられるようになったアルウィンに行ってみる日や、noteを書いてみる日もあったけれど、そんな日は稀で、大半を布団の中で過ごした。
その間に、松本山雅FCはJ2にも残留できず、J3へと降格していった。
病状が最もひどかったときは、息をするだけで精一杯だった。
睡眠薬に頼っても、眠ることができない。なのに、食事どころか、トイレに起きることすらできない。
でも、それをしないと死んでしまう。生きるのって、こんなに大変だったっけ。
なんで生きてるんだろう、私。もう何もないのに。
それでも毎週、山雅の試合を観ていた。
「来週も、観なくちゃいけないから、来週までは生きよう」
自分との約束にして、一週間ずつ、かろうじて命をつないでいた。
勝ってくれれば少しは気分も晴れるのに、負け続ける試合の何が楽しみなのだろう。
でも、観なくちゃ。そのために今週も生きたんだから。
カーテンを閉め切った部屋で、DAZNを点ける。画面を見るだけで、疲れてしまう。見るのを諦めて、ぼんやりと聴く。得点、失点、勝ったのか負けたのか。分かるのはそれくらいだ。
苦しいなあ。勝ちたいなあ。
まだ死ねないよな。だって、隼磨さんがまたピッチを駆けるところを見たいから。
生きなきゃだめだ。来週は、勝つかもしれない。負けないでほしい。
負けても、折れないでほしい。
私だって、また戦いたい。立ち上がって、顔を上げて、またゴール裏に行きたい。
J3降格が決まって迎えた最終節、アルウィンに行くつもりだった。
でも、無理だった。そんな体力がなかった。
いいんだ。J3に降格したって、山雅がなくなるわけじゃない。
その頃には、いくらか肩の力が抜けていた。来シーズンも行くことはできる。だから、来年も、それを楽しみに生きるんだ。
いろんなことに諦めがついて、ただ息をするだけの生活をしながら、それでも私は山雅を観たいんだと思ったら、なんだか可笑しかった。
もしも私がこのとき死んでいたら、松本山雅FCの本部に化けて出たに違いない。なぜ、勝ってくれなかったんだ...…。と、かりがねサッカー場を夜な夜な漂う、怨念になっていたかもしれない。
そんなことにならなくて、本当によかった。
きっと私は死ぬまで、いや、死んでもサポーターをやめない。
なら、いっそのこと山雅を生活の軸にしてしまえば、楽になれる気がした。そのために何をしようかと考えて、少し楽しくなった。
何にもなくなったから、何をやったっていい。終わりは、新しい始まりなのである。
好きこそ、物の上手なれ
山雅を観られる環境が最優先。
私の、今年の抱負である。
新年の挨拶がてら、中村さんに連絡を取ったとき、折りしも『すたすたぐるぐる 信州編』出版準備の真っ只中だった。私の近況を気にかけて下さっていて、色々とお話をした。
「本の原稿、今から書いてみますか?」
「スケジュールはギリギリだけど、薄荷さんなら何とかなるかも!」
またしても、そんな言葉をもらった。
OWL magazineのメンバーとして、信州の本に自分の文章を載せる。問答無用で、プロの仕事である。
最初の一歩にしては大きすぎるが、やれることは何でもやってみたい。元気だった頃の私が戻ってきたようで、嬉しかった。
テーマを絞り、悩みながら文字を打つ。簡単な作業ではない。本に載る原稿なのだ。わざわざ読んでもらうからには、それなりのものを書く必要がある。
とはいえ、無理は禁物。また布団から出られなくなっては元も子もない。
葛藤しながら、少しずつ、少しずつ書き進めて、ふと気がついた。
楽しい。
ストレスらしいものを、まったく感じない。山雅を観ることも、休むことも、書くことも、誰にも遠慮しなくていい。
嬉しかった。何よりもやりたくて、無理をしないままできることだった。
心が決まった。書くことを勉強しよう。
私は、山雅さえあれば生きられるのだ。だからきっと大丈夫。
決めてからは早かった。
戻る職場もないし、顧みるべき家庭もなくなった。ということは、今年のホームは全部行ける!気付けば、躊躇うことなくシーズンパスを購入していた。
あまりの変わり身に、自分でも笑ってしまうが、思い切りの良さは長所だと自負している。
山雅を観て、松本に暮らして、書くことで働けるのなら、こんなに嬉しいことはない。
そんな気持ちが伝わって、少しずつ仕事をもらうようになった。
少しずつ自信と元気を取り戻して、私は、山雅でつながった人たちに、どんどん会いに行くようになった。
知らない場所に飛び込むって、やっぱり、なんて楽しいのだろう。
ゴール裏でも、スタジアムにいないときも、私はいろんな人と出会い、語らい、笑っている。私が山雅サポだから。理由はそれだけでいい。
人の数だけ山雅の姿があり、それぞれが想う山雅を知るたびに、私がその話をいつか書きたい、と思う。
山雅を観ながら、命をつないだおかげで、生きるのがとても楽しくなってしまった。
もしも今、苦しむ人がいるなら、希望をもってこう言いたい。
好きなことを諦めないでほしい。それだけで、人は生きていけるよ、と。
そして、どこかで私と出会うことがあったなら、あなたの大好きなものへの想いをたくさん聴かせてほしい。
そういう想いをかたちにできる物書きに、私はなりたいと思っている。
ゴール裏の中心で、チャントを歌うように
ずっと引け目を感じていたことがある。
2017年からサポーターになった私は、自分が何も知らないのだと思っていた。
地獄と謳われる北信越リーグも、松田直樹選手がいたシーズンも、最初のJ1昇格さえも、私は見ていない。
だから、山雅サポを名乗って人前に出ることが、いつも怖かった。
でも、私は山雅のことを書きたい。そのために、もっと知りたい。
まだ見ぬ困難も多いだろうが、きっとやれると思っている。自分の命を諦めかけても、山雅を観ることは諦めなかったのだから。
“才能なんてない、だから努力を続けるだけ。”
敬愛してやまない、田中隼磨選手の自著にある言葉だ。長期離脱している彼が、ピッチに戻るのを私は待ちたい。彼の言葉と一緒に、ずっと松本山雅FCを応援したい。
これからも、何があろうとも、「どんなときでも私はここにいる」。
トラメガも、太鼓も、フラッグも持っていない代わりに、私は筆を取ることにした。
雷鳥と共にまた、頂を目指せ!
この記事を書く勇気をくれた二つの記事を紹介して、結びの挨拶とさせていただく。
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おまけ:『すたすたぐるぐる 信州編』内緒話
こんなに下まで読んでくださって、有難うございます。
お礼に、少しだけ本の内緒話をしようと思います。
表紙を、じっくりごらんください。
お蕎麦、わさび、野沢菜に信州サーモン...…。可愛らしいイラストを散りばめたデザインのなかで、悩んだのが山の色。実は、最初は緑色でした。
「表紙に緑が多くなってしまって、どうしたものか」と悩む現場に、「北アルプスは青色に見えます!」と、すぐさま写真を撮って提出いたしました。
山が青いというのは、常日頃から眺めている私たちならではの感覚なのだなあと、しみじみ思ったエピソードです。
普段、山を眺める機会の少ない地域の皆さん。信州にお越しの際は、すぐそこに見える日本アルプスの絶景をご堪能ください。
表紙については他にも、長野Uスタジアムとサンプロアルウィンの配置、という悩みがありました。どっちを上に置こうか、というわけです。
皆で考えて、考えて、出した結論は...…。「地図では長野市が上のほうにある」。決して、他意はございません。
ちなみに、アルウィンの上空に描かれた飛行機を、「ぜひ緑色に!」と強く要望したのも私です。
ホーム戦のときに飛ぶ飛行機が何色なのか気にする。山雅サポあるあるだと思っています。
ところで、この本には、私は松本山雅FCのことをほとんど書いていません。
私のテーマは「おやき」。
見た目にはまったく映えない(と、弊社代表の中村慎太郎に言わしめる)、地味な郷土料理について紹介し、探し求め、そして食レポしています。
おいしいものを、ちゃんとおいしくいただいて、どんなにおいしいのかを伝えることが、食べ物とお酒に対する礼儀だと、私は思っております。
なぜなら、三度の飯とお酒が、山雅と同じくらい大好きだから。
そんな私の食レポも、ぜひお楽しみください。この記事とはまた雰囲気の違った食いしん坊全開の様子を、微笑ましく眺めていただけたら幸いです。
お読みいただいた方にはお分かりの「ファーマーズガーデン うちだ」には、高崎寛之さんの白ヒラタケも並べられておりますよ!
高崎寛之さんと言えば、CUE Cafe。
松本山雅FCで現役選手を続けていた頃に、長野県松本市にドッグカフェをオープンされました。
明日、5/29の今治戦では、アルウィンにキッチンカーで出店されます!
みんな待ってた緑色のドリンク!
他にも、思わず写真に撮りたくなるような、それでいてお腹も大満足なメニューがたくさん。今後のホームゲームでも出店されますので、InstagramやTwitterの情報を要チェックです!
そして、忘れてはいけないのが、「おやき工房 旬菜花」さん。名物スタグルである限定おやきの販売は、こちらもTwitterをお見逃しなく。
今治戦で販売されるのは...…。なんと、私への感謝おやき!!?
あまりにも感激して、ただただお礼を申し上げるほかございません。
旬菜花さん、本当に有難うございます。
「大葉なす」。食べる前から食レポができそうなくらい、おいしさが約束されていますね。
写真をじっくり見てみます。映えてますよ、中村さん!!
焦げ目のついた皮は、いかにも香ばしそうです。ほどよい厚みが、なすの汁気と相まって大変ジューシーなことでしょう。
あふれ出そうな茶色いところは、お味噌でしょうか。なすの甘味と、味噌のパンチと、大葉の爽やかさが、口の中でじゅんわりとろけ合うのを想像するだけで、もう涎が止まらなくなります。
おっと、この続きは、食べてから。明日のお楽しみにとっておきましょう……。
明日、ホーム今治戦にお越しの皆さん。ぜひ、私と一緒に旬菜花さんへ!
たいへん長らくお付き合いいただき、有難うございました。
このあたりで、いったん筆を置かせていただきます。
それではまた、次の記事でお会いできることを願って。
ここから先は
OWL magazine 旅とサッカーを紡ぐWeb雑誌
サポーターはあくまでも応援者であり、言ってしまえばサッカー界の脇役といえます。しかしながら、スポーツツーリズムという文脈においては、サポー…
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