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「やる気がないなら帰れ」と言われて。

いかにも学生時代の体育会系の部活の鬼コーチや監督から飛んできそうなフレーズだが、わたしは社会人1年目の冬、アパレルの販売職に就いている時にこの言葉を浴びた。


年始のセールの忙しさも落ち着いた頃のとある平日の午後、突然店長から「今日はお声がけの特訓をしよう!」と提案された。
『お声がけ』とは、アパレルのお店に入って商品を手に取ると店員さんが「これ可愛いですよね〜」などと即座に声をかけてくるアレのこと。「ウザい」とか「ほっといてほしい」と不評なのは百も承知だが、【お客様にとって居心地のいい雰囲気を作る】とか【困った時に声をかけやすくする】という効果があるとされていて、わたしの配属されたブランドでは「積極的にお声がけをしよう」という方針だった。
「人と接するのが好き」「自分の接客でお客様を楽しませて満足させて帰ってもらいたい」━━そんな志望動機と目標を高らかに表明して入社したのを店長が知っていたかどうか定かではないが、もうすぐ1年だというのに思ったほど数字(売上)が伸びてきていない状況を見かねて言ってきたのだろう。
ちなみに店長は一回り以上年の離れた当時30代後半の女性。以前はオフィスワークをしていたらしいが面白みを感じられず、バイトから始めたこの仕事で正社員→店長とのし上がってきたガッツある人というのは伝え聞いていた。それゆえか自分に厳しく他人にも厳しい、人を寄せ付けないストイックさみたいなものがあり、わたし以外のスタッフも20代前半の同世代ばかりの店では常に店長のご機嫌を伺うというか一挙手一投足に怯えながら過ごしているような感じであった。



お声がけの特訓が始まった。
「まずは見てて」と店の外の通路に立たされる。(※路面店ではなく、ショッピングセンターのテナントとして入居しているお店だった)
棚にあるトップスを畳みながら入店してきたお客様を観察、動きに合わせて店内を移動しながら声をかけ微笑む━━やることはわかっている。
わたしがやってみる。何かが違うらしい。違うのはなんとなくわかる。タイミングとか言葉のチョイスとか。オロオロして声が震えたり自分でも何が言いたいのかよくわかんなくなっている感覚はあった。
今度は店長の後ろを付いてこいと言われる。付いていくだけで実際に声をかけるのはわたしだ。(店長は「いらっしゃいませ」くらいしか言わない)
いっぱいいっぱいになりながらもその時の自分が思いつく限りのことを最大限やってみた。そのままバックヤードに連れて行かれた。そしてさっきまでお客様に振りまいていた笑みがすっかり消えた顔で店長は言い放った。「やる気がないなら帰れ」と。

今ならパワハラで訴えることができるんじゃないかと思う。15,6年前の社会人なりたてのわたしはまだ知らなかった概念だったけれど。
やる気がないわけでは決してなかった。店長が考える「正解」が出せなかったからそう映ったんだろうと思った。だが、そもそも「特訓をしよう」と店長が提案してそれに乗っかる、その姿勢が受け身だから「やる気がない」に見えたのかもしれない。

ちなみにわたしは帰らなかった。ここで帰ってしまったら明日出勤しづらくなってそのままずるずる欠勤を続けて退職してしまうかもしれない。ド田舎な地元を離れたくて勤務希望地を提出して薄給ながら念願の一人暮らしをどうにかやり始めた手前絶対戻りたくなかったし、転職するにも辞めてから探すのではリスクがありすぎる…などという考えが瞬時に頭の中を巡った。
いつの間にか溢れてきた涙を沈める時間だけくださいと言ってバックヤードに15分くらいこもってから店頭に戻ったことだけは覚えている。



この出来事でわたしはやる気を本当に「なくしてしまった」。
四大卒で入ったんだから3年で店長になるくらいじゃなくちゃ、なんて入社当初に息巻いていたとは思えないくらい「今日をどうやり過ごすか」しか考えなくなった。他のスタッフから見たら完全に"お荷物"になっていた。
店長はこの年の夏くらいに自ら志願して大規模新店舗の店長に立候補→異動していったことで店の雰囲気は変わったが、それでもわたしのやる気が戻ってくることはなかった。申し訳ないと思いつつも新しい店長(※バックヤードで涙を拭いていた時に寄り添ってくれた先輩)に「辞めたい」と切り出したけれど万年人手不足な業界ゆえすぐには取り合ってもらえず、なんだかんだ結局トータル7年半もやる気のない店員が店頭に立ち続けてしまった。



今思い出しても悔しくてやりきれなくて屈辱的なのだけど、新卒で入社したあの時に鍛えてもらったおかげでちょっとやそっとのことじゃへこたれない打たれ強さを身につけることができたな、とも思っている。「社会人とは」を一から、徹底的に叩き込んでくれたのもあの店長だから。
そして当時の店長と同じくらいの年齢になった今だからこそ思うのは「店長なりに必死だったのかも」ということ。一回り以上年の離れた無礼な奴にどうやって「社会」というものを、「仕事」というものを説いていくのか試行錯誤していたのだろうということは想像に難くない。
それらを踏まえて。
今のわたしは誰かの上に立って何かを教えたりする立場ではないけれど、もしそういう場面が訪れた時、自分が言われて傷ついたからこそ「やる気がないなら帰れ」なんて言葉絶対に使わないし、違う角度から気づきを与えられるような促しができる人間で在りたいなと思うのであった。

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ミキティ
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