試合前もしものために書いた会葬礼状
これまで、私の人生にお付き合い下さり、ありがとうございました。
私はとても幸せな人生を過ごすことができました。
私の今世は、主に2つのテーマで、
1.人生を楽しむ
2.武道への向上
を求めた魂でした。
そのせいか、格闘技の練習やトレーニングを好んでやり込む人間でした。
やりたくない日もたまにはありましたが、基本的には毎日やっていたいくらい好きでした。
幼い頃は柔道と相撲だけは、夢中になれて、決して強くはなかったですが、柔道は小学1年生から10年間以上続けることができました。
生まれながらの強さ・センスはなかった分、夢中になって続けられる力・怪我しにくい体質、格闘技が好きな感情などは、神様から授かってたかもしれません。
楽しいと思えたのは、練習を重ねてると出来なかったことが出来るようになったり、負けてた相手に勝てるようになったりと、
成長を感じられることがあったからです。
大人になっても、年齢なんかで自分の可能性を捨てず、成長を楽しみに練習していました。
柔道・格闘技と合わせて10年以上続けたから、沢山思い出に残る出会いがありました。
同じ武道に興味を持ち、練習をやり込む"類友の法則"で、自分と似たような人間と一緒に過ごす時間が多くありました。
その他にも、学校・仕事・遊び・恋愛・趣味など色々なシーンでの出会いも楽しいものがありました。
全て人生で必要なときに出会ってる人たちだったと思います。
生まれた場所は、鹿児島県の種子島というところでした。
中々珍しい土地で生を授かったと思います。
なぜここで生まれ、育っていったかは分かりませんが、
もしかしたら自分の人生が楽しくなるようなプランとして空の上で人生を決めてきたのかもしれません。
大人時代は、九州から離れた場所に暮らしていたため、年に1〜2回で来る種子島の訪問が観光客気分になっていました。
とても気に入った場所です。またもし生まれ変わってたら、種子島には惹かれていくと思います。
人生でいっぱい思い出す景色となっています。
家族・実家も大好きでした。
牧瀬家で育っていく以外は、考えられないくらいです。
そしてこの名前を付けてくれてありがとうございました。
自分の名前らしい生き方をしていたと思います。
小学3年生の時に先に他界したじいちゃんもとても優しかったです。
西之山に住むじいちゃんばあちゃんもです。中学まで出ていた相撲大会の応援を毎年欠かさずに、来てくれていました。
幼い頃は特に落ち着きがない子供だったから、両親・じいちゃんばあちゃんを困らせてしまいました。
それはとても反省してます。申し訳なかったです。
私は思春期を超えたあたりからは、親孝行したいとしょっちゅう思っていました。
自分で稼げるようになりたいからという理由で、大学も行かず警察に就職しました。
けど、どうしても追いかけたい夢や好きなことで生きていきたいという思いを、無視できずにいました。
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