20代の5年間を振り返る【7/24】


2015(金)

・でかい夢をみとくべきだった。格闘家で飯食う自信はなかったけど、純粋に格闘技をやりたいタイミングではあった。憧れというか、手本にしていた格闘家は、田中路教選手。柔道上がりのファイターは、自分と似てるんじゃないかと思って参考にしていた。打撃系だったら、西浦ウィッキー選手とか好きで。赤かピンクのショーツで戦いたいと思っていた。数ヶ月後のアマチュアデビューでは、赤のショーツを履いて出場した。

何も目指してはいない、ただ趣味でやってみただけ。



2016(日)


・格闘技は、時々練習に行く程度。本格的さはない。ただ格闘技の基本を学ぶとか初心者からスタートする分には、このくらいの小規模ジムで問題ないけど。

その後、自分はアマチュアの試合を経験して、もっと強い相手と練習できる環境がいいなぁと思って、4年後には鹿児島を出た。


この頃熱中できることといえば、読書だった。頭良くなってる気になったり、成功した自分を想像したり。現実がキラキラしたものではなかったので。映画や本は、日常に必須だった。

2017(月)

・彼女もいなくなり、仕事の時間以外は、格闘技や勉強にエネルギーを注げるようになった。宮田和幸さんの筋トレやDVDを買って、職場のジムワークで実践したり、スパーリングよりも自分自身でやるトレーニングを充実させた方が、前向きにいられる気がした。プロMMA団体で九州地区まで飛んできてくれるのは、修斗だけ。

代表はプロだったが、話を聞くとギャラが中々の安さ。交通費と宿泊費で無くなる額。


だから鹿児島でプロ格闘技1本でやるということにどうしてもリスクを感じて飛び込めずにいた。

2018(火)

・ニート中。鹿児島でも、昼に柔術の練習ができるサークルがあった。

仕事の休憩時間である30分から1時間の中で参加する人もいたり。


俺は仕事してないタイミングだったから、練習にはしょっちゅう行けた。まぁ失業中だなんて言わなければ、他人には分からないもの。


ニートにも良いことはある。時間あるから、情報を仕入れることができたり、普段時間なくて行けないような場所も行けたりする。


良い方にとらえるか、悪い方にとらえるかは、自分次第。


2019(水)

・経理職員をやっている。転職し、格闘技は、一旦諦めることに。でも何かに夢中になることが大切で、この時は、筋トレをメインに行動した。経理は、ホンマに俺に合わん。

金が1円〜10円でも合ってないと、どこで間違ったのかレジからレシート出して、朝からの会計データを調べて、帳尻合うまで探す。

俺1人で先輩いない時は、それがもう面倒で仕方ないから1〜100円は自分の金で数字合わせたりした。100円くらいまでなら、その後会社の至る所で拾えるもんだから。

数字とにらめっこの仕事なんて、他の人間に任せようと腹の底から思えた。二度とこういう仕事は、選ばない。人生は有限。苦手なことや苦手な人に時間を使ってるヒマなどない。

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