感情のコントロールが人生を左右する
あなたはどんなタイプの人間か
自分の人生を肯定して生きるためには、自己のコントロールが大切。
自分の内的衝動を持て余しているようでは、
暗く深い海の底に似ているといわれる。
そこは人間の持つ偉大な力、潜在能力の源であると同時に、
人間が原始以来もっているあらゆる要素、
それは食欲・性欲・といった本能的な衝動、不安・恐怖・喜びなどの感情・情念・理性・良心・権力欲などが
ただよっている深海でもある。
この暗い深海からわきあがってくる潜在能力は、
そのまま放っておけば必ずしも良い方向へ、正しい方向へ働くとは限らないのは、
当然だろう。破滅を望む人間には破滅を、
不幸を招くような行動パターンの人間には不幸をもたらしてしまう。
潜在意識には、正義もなければモラルも同情もない。
それを意識するのは、ほかならぬあなた自身だ。
人間の意識の深海には、神と悪魔が同居している。
だから、扱い方次第でそれは毒にも薬にもなる。
そこで必要となってくるのが、自己コントロールということなのだ。
つい100年前までは、人間はマズローの欲求段階説でいえば、生理的欲求、安全の欲求を獲得するのに汲々としていた。
しかし、現代人はすでにこの段階から脱し、社会的欲求から自我欲求へと移行している。
科学技術の格段の進歩が、そういう高度な人間の欲求を求める時代をつくり出したのだが、
人間の意識がまだそこまでついていけないという側面もある。
成人病に代表される半健康人や、原因不明のノイローゼ、鬱病患者の増加は、
人間がまだ自分をうまくコントロールできないことを証明している。
タバコの吸いすぎや酒の飲みすぎがよくないことを知りながら、その悪い習慣から抜け出せない人、ギャンブルをする余裕もないのに、
のめり込んで生活を破綻させてしまう人、他人から命令されなければ何もできない人、
ただやたらに働きまくる人、他人の悪口や不平・不満ばかりを言っている人、何もせずにテレビばかり見ている人、
世の中の流行を盲目的に受け入れてしまう人、こういう人はいずれも自己像が確率されていないために、落とし穴におちいってしまった人たちなのだ。
それではどうやって自己を発見すればよいのだろうか。これには色々な方法があるが、何より大切なのは、自分を肯定的に考えることだ。
肯定的な思考が身につけば、自分というものに自信がつく。
人間は自分について何でも知っているようでいて、実は「自分のことを1番知らない」もの。
たとえば、あなたは次に掲げるどのタイプの人間だろうか。
① 自己肯定他者否定・・・ 自分は天才で、他の人間らは凡人だ
②他者肯定自己否定・・・ 自分はダメ人間で、他の人間らは天才だ
③自他否定・・・ 自分はダメ人間で、他の人間らもダメだ
④自他肯定・・・ 自分は天才で、他の人間らも天才
①は、自分を肯定するが、他人を認めないタイプ。このタイプは自信家に多いようだ。
自分は何でもできる、才能があると思っているのだ。このこと自体は悪いことではない。
しかし、他人を否定するところに問題がある。それは他人にとってでなく、その人にとって問題なのだ。
なぜなら、人間社会は1人ですべてできるわけではないから。
他人を認められないという性癖の人間は、他人とのコミュニケーションがうまくいかない。
そのため、最終的には肯定的な人生を送ることができない。
自分以外の人間について否定的な感情に満ちていて、肯定的な人生を送れるわけがない。
②は他人が立派に見え、自分はダメな人間だと思う気持ちが強い自信喪失タイプだ。
何度か失敗や挫折を経験するとなりやすいのだが、生来の性格からくる場合も多いようだ。
自分を否定する気持ちが強いため、とても物事を肯定的に考えることなどできないのだ。
③は②よりも、より否定的で破滅型だ。自分もダメなら他人もダメ、一切認めないのだから、どうしようもない。
しかし、このタイプは過去に何か心のキズを受けたりして、
今のような考え方になったため、きっかけさえつかめば反対に自他肯定タイプに転じることができる。
つまり、自他否定は自他肯定の楯の両面であることが多い。
④は自分も他人も肯定するのだから、もっともバランスのとれたタイプ。
肯定人生は、自他肯定によってはじめて可能なのだ。
さて自分をよく考えてみて、どのタイプに属すと思われただろうか。
どのタイプであれ、④の自他肯定のタイプを目指す必要がある。
私たちは、自分で自分のシナリオを書かなければならない。
自分の人生を、他人に委ねることはできない。
人生とは、自作自演の映画のようなもの。悲劇もシリアス物も、あなたのお望みのままだ。
しかし、監督が出演者の個性をつかんでいないと、いい映画ができないように、
あなたも自分のタイプをきちんとつかまえておかないと、あなたの人生をいいものにすることはできない。
人生のさまざまな事柄をどう受けとめるかで人生の明暗が決まる
自分自身をコントロールできるということは、精神的にも肉体的にも自己を抑制し、調節できるということ。
たとえば心配事があったとする。ふつう人はそういう場合、クヨクヨと考えがちだ。
そして、考えに考えたあげく、胃を壊したりする。神経性胃炎だ。
ある女性は友人から「あなたもそろそろ更年期障害がおこる頃ね」といわれた。
彼女はそれまでそんなこともなく、大変健康だったのだが、この友人の言葉を聞いて以来、
頭にこびりついて離れなくなってしまった。
そして、そのうち本当に更年期障害の症状があらわれてしまった。こういう例は多いもの。
また昔から「腹が立つ」という言葉があるが、人間は怒りをおぼえると、
本当に胃に変化があらわれる。怒ってばかりいると、
胃が痛いし、心臓は酷使され、血管はふくれあがる。
そしてやがて胃腸障害、心臓病、高血圧、などといった本当の病気になってしまう。
病気になればだれでも不快感が伴うし、考え方も消極的になっていく。
とても肯定人生どころの話ではなくなってしまう。
そのため、怒りっぽい人、
気の弱い人、心配症の人が、いつも明るくほがらかな性格の人よりも、健康に関しては不利な状態にいることは容易に想像がつくだろう。
しかし問題はそれだけにとどまらない。
ひとたび病気になると、こんどは肉体が精神に作用しはじめるのだ。
胃腸障害に悩まされていれば、どんな人もイライラが高じるし、前向きの姿勢をとりにくくなる。
心と身体、精神と肉体の関係は、掌と甲の関係に似ているのだ。
掌、あるいは甲のどちらか一方だけでは手と呼べないように、
精神、あるいは肉体の一方だけでは手と呼べないように、精神、あるいは肉体の一方だけの存在をわたしたちは「人間」と呼ぶわけにはいかない。
両者の統一がとれて、はじめて健全な「人間」ということができる。
そのため、肯定人生を歩むためには、ただ気持ちだけで肯定的になろうとするのではなく、
肉体的にも精神的にもそれなりの努力をしなければならない。
実際、わたしたちはちょっとした事柄で不快になったり、憂鬱な気分になったりする。
反対に、天気がいいとか美しい景色を見たというだけでも気分は明るくなるもの。
これはいわば右脳が作用しているからだ。
賢い左脳を使って、右脳が喜ぶような日常生活というものを設計しなくてはならない。それが肯定人生への出発点になる。
自動成功装置を機能させるためには、感情を管理することがぜひとも必要。
自己コントロールというが、これはほとんど感情の管理といってもいいもの。
最新の進んだ大脳生理学では、感情は大脳の下にある間脳の視床下部というところにあるといわれている。
動物実験で、この視床下部の部分を刺激すると、感情的な行動をするのだそう。
感情のコントロールということで重要なのは、抑圧しないこと。
抑圧がすぎると、あるとき一気に爆発して、それまでの人生を破滅するようなことをしてしまう。
この点からも人生を肯定的に考えることの大切さがわかるはず。
人から何かいわれて、腹を立てるのと、素直に聞くのとでは、天と地の開きが出てくる。
素直に聞けば、感謝こそストレスにはならない。
ところが腹を立てれば、怒りの感情にかられるか、あるいは抑圧することになる。
その場で不快な顔をすれば、人間関係はうまくいかなくなり、
新たなストレスを作り出す。
また、自分を抑圧して笑っていても、それは心にマイナスの貯金として残る。
人生のさまざまな事柄を「どう解釈するか」は、人生の明暗を決める決定的問題だ。