20023年10月を振り返る
10月はしばらくMMAを休みながらも、柔術・キックスパー・筋トレなどをこなしていた。
読書したり、YouTubeを視聴する時間も作れたので、
怪我については、ポジティブに考えて過ごしていた。
休めるうちに楽しいこと考えて過ごしておこうと。
普段、どこも痛くなく格闘技で動き回れていた日々のありがたみを再認識した。
「人生、困ったことは起こらない。なんとかなるだろう」
格闘技をやる以前からピンチの時こそ、前向きな言葉を自分にかけてやることを人生では心がけている。
10月中旬頃からは、MMAのスパーに参加できるまで回復してきた。
これから練習での勝ち負けはどうでもいいから、毎回ちゃんとプロ練の時間にジムに来て、2時間きっちり練習に集中してケガなく終われば、その日の自分に拍手を送ろうという気持ちで臨もうと。
五体満足で格闘技を楽しくやれている事実。大雑把に考えれば、これでいいと僕は思う。
柔道をやっていた学生時代から、自分はケガ知らずな頑丈タイプだった。
多少のケガはあっても、すぐにコロッと治っていた記憶がある。
だからは、本当はとっくに治っているのにまだ休みたいから、練習を休んでいたりもした。
柔道は、あらゆる部活の中でも運動量がハードできついスポーツだと自負している。
だから怪我人も続出する。
そんな中で、10年間大きなケガをせず、練習や試合をやっていけたというのは、「なんて自分は幸運の持ち主なんだ」と思っている。
大人になってMM Aという競技に参加するようになり、これまでやってきた柔道での投げ技や極め技に加えて、パンチ・キックがあるから、
アザだらけで家に帰ってくることもある。
けど10年ケガなしでやってきた柔道が自分の精神を支えているから、多分これからも、治りの早い牧瀬武蔵であると思う。
それから10月といえば、11日に父親が誕生日で、21日に僕の誕生日。
父親は、58歳になり、自分は30歳になっていた。
家族に会う時間は、年に1回帰る何日間と限られた中でしか今は会えていないが、
自分が格闘技と仕事で稼いで、自分の家と親にマンションを買うまで達成できたら、
親との生活をしていきたいなぁとも考えている。
30歳といえば、自分の父親なら4歳の兄貴と2歳の自分を育てている。
凄いなぁと思う。
自分には持っていない家庭。ただ今は、持っていない家庭のことを考えたってしょうがないから、
今は自分ができることにただひたすら集中するしかない。
自分ができることといえば、書くこと、格闘技、たまに喋るyoutube用のラジオ、昼間の労働。
くらいのもんかもしれない。
今無いものは、これから先で手に入ってるもんだということにして、
仕事、格闘技だけやってよう。
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