【斎藤1人】幸せは、ある程度の頭と努力が必要。
例えば駅そばを食べてると
駅で立ってそばを食ってるとしますよね。
これがよく分からないけど300円だとかという話をすると知らない人がそれを見たときに
「ずいぶん貧しそうな生活してるな」とか
「今日はあの人ラーメンか 納豆定食か」
とかありますよね。
例えば私もそういうものを食べてるんです。
その時に必ず
「今日は寿司にしようかな」
「かつ丼にしようかな」
「スパゲッティーが良いかな」とか
「でも今日はラーメン食べたいな」とか
色々考えた挙げ句の納豆定食なんですね
いろんなものを、蹴って納豆定食ですから
豪華なんですよ。
ここが問題なんだけれど
納豆定食だから侘しいんじゃないんですよ
納豆は美味しいんですよ
フランス料理食べてるときはフランス料理が美味しい
だから人間というのは色々な食べ物を食べた時に
納豆を食いながら「フランス料理食べたいな」と思うと急に侘しくなってしまう
で幸せとはその場でどういう風に幸せになれるか。幸せというのは、ある程度の"頭"と"努力"がないと、なれない。
不幸は来るんです。頭があったら嫌なことがあったら勝手に考えるようになっている。
だけど幸せはある程度の頭と努力がいるんです。
手があって幸せ。目があって幸せ。
要は人の気がつかないことにどんどん気がつく。
だからもっと細かいことに気がつく。
幸せというのは頭と努力があって初めて幸せになるんだよ。
そうするとどんな環境であろうが
納豆食っていようがご飯に塩かけて食っていようが「ありがてぇな本当に幸せだな」と
そこを考えなきゃダメなんだよ。
太っていても幸せ。痩せていても幸せ。
なんでも幸せ。
何があっても幸せと思うということは努力なんだよ。
努力と頭なんだよ。
その努力と頭をずっと続けられる人だったら仕事だって今きたらどんなんだってお客さんの評判得られる。
ここをこうやって改良して笑顔で今を幸せと思って一生懸命やれるんだよ。
不況が来たら「どうやってお客さんに喜ばれて儲かる会社ができるだろうか?」って
要するに精神的にどんなときにも幸せになるって気持ちがあったら
どんな不況の時にだってお客に喜ばれる会社ができるんだよ。
だから仕事も精神的なものも私は「同じだよ」その通りにやってごらんって言ったら俺は日本1になる。
そしたらみんなも俺に付いてきて幸せになれたんだよね。
だから
「精神的なことをやってた人が仕事をやってうまくいくんですか?」
行くに決まってんだよ。どんなときでも幸せになろうっていう努力と知恵が出せる人間だったらどんな不況が来たって幸せになって
お客に喜ばれて売れる会社だってできるんだよ。
だから全く同じことなの。
始めたときはうまくいかない。
だけどそれを改良していけばいいんだよね。
次々明るく明るく改良するいつも笑顔でいるんだよ。
それで勢いをつけるんだよ。それで小さなことにまで感謝していく。
「これってどこで使うんですか?」
ある程度の頭と愛情があってやってんだよ。
それさえできれば仕事だって何だって上手くいくんだよ。
怠けてんじゃないよいつまでも。
怠けててくるのは不幸だけだよ。
あんたずっと待ってたって人間の脳っていうのは
幸せを考えなきゃ幸せにならないんだよ。
ただぼーっとしてたって心配事ばっかりするようになってる。
なぜかって言うと心配をしないと怪我しちゃったりなんかするようになっているんだよ。
だから人間の体・脳が放っておくと心配するようになっているの。
だからそれを切り替えていかなきゃいけない。
そのために人間は考えるように脳をつけてくれてるの。
それをさらに否定的についつい悪いことばっかり考えちゃう。
あんた何も無い考えてないから悪い方に行っちゃう
考えてない時に悪い方にいくんだよ。
それを、さも考えているように思っている
悩んでいるの。悩んでいるのは考えているんじゃないの。
放っておけばそうなるの。それをそうだ改良しよう。人間って不完璧なんだよ。
完璧なのは神なんだから。だからやってみて改良しようよ。人から好かれる笑顔になろうよ。
笑顔になってダラダラやるよりテキパキやろうよ。そしたら運勢が良くなるじゃないか。
こんだけいいことができたら精神も仕事も全く同じですよ。
「精神的なことから仕事に入って珍しいですね」って
珍しくないよ。何のことはないよって。