集団にいると自分が分からなくなる
私は、一人行動が好きだ。気兼ねなく自身の好きなことができる。誰かに合わせる必要がない。集団行動が苦手なのだ。ずっと一人がいいとかではなくてもちろん友達や好きな人と遊ぶのは好きである。ただ、仲良くもない集団とずっと一緒だとつらい。集団にいるといつの間にか自分を見失ってしまう。たぶん無意識レベルで今この人たちは何を求めているんだろうと思って行動してしまう。周りに完璧な自分を演じなければと思って、ずっと気が抜けない。そして結構体が悲鳴を上げるまで自身では無理をしていることを気づかない。そして自分何したいんだっけていう状態に陥る。だから、誰にも気を使わない一人行動が好きだ。自分を出すのとひっこめるバランスが難しい。
最近、根本さんのブログにはまっているんだけれど、これに私めっちゃあてはまる。
「バリバリ自分軸で自立系で武闘派な私」と「他人軸で周りに振り回されちゃう依存的な私」の両方が共存するとどうしていいのか分かんなくなるよね? – 根本裕幸 (nemotohiroyuki.jp)
すなわち、
「自分で何とかできるもの」については主体的かつ自分軸で動けるけれど、
「相手があるもの」については受動的かつ他人軸になってしまう。
これは、自分の意見を討論とかの意見や事実を言い合う場合で、誰も傷つけないものに関しては、ばんばん言えるんだけれど、
この発言が自分だけでなく相手ありきのもの、例えば、自分の進路に関しては、親が、部活の方針などに関しては、先輩がってなると、言えなくなる。
あと、他人がかかわるけれど自分が責任が取れるのもの、決定できるものに関しては、自分の意見が言える。研究室の行事決めなど。
そして、相手があるものについては受動的かつ他人軸になってしまって、自分の意見が言えなくなる。前のブログで書いたように、
ただ、自身の意見を言う際に、この人からどんな意見が帰ってくるかを想定して言わなければならない。自分が意見を言うのが慣れていないから、一生懸命言って、頑張ったと思ったのに、否定されたら傷つくので。