養育院について。

 2022年2月10日日本テレビは、「「養育院」創立150周年「世界を驚かせるような成果を」小池知事」のニュースを配信した。いきなり言われても、何のことか分からない。
 現在でも養育院やその名称は名古屋や大津市をはじめ全国各地に存在する。東京都の養育院は東京都老人医療センターと東京都老人総合研究所の3施設が合併し、09年4月東京都健康長寿医療センター(板橋区 550床)に発展した。
 同センターは高齢医療の実践では、04年に設立された国立長寿医療研究センター(愛知県大府市 301床)と肩を並べる。わが国の老年学研究の草分けで、病院と研究所を擁し、それ以前まで高齢医学、とくに認知症と脳卒中の臨床と研究、神経病理学を牽引してきた。
 当時老年学は市民権がなく、62(昭和37)年に東京大学に老年医学講座が設けられ、70年頃から他の大学にも広がり、大病院における老年科や老人医療センターが設置された。95年にわが国の人口の高齢化率は14%を超え、急速に高齢社会や介護と長寿の問題が注目されるようになった。
 当センターは9日「養育院」創立150周年を記念する講演会を開催した。1872(明治5)年に設立された養育院は、ホームレスや病人、孤児などの窮民救済を目的とし、病院、乳児院、孤児院、養老院などの機能を併せ持った福祉施設から始まった。
 わが国の資本主義の父と言われる大実業家で慈善家の渋沢栄一が初代院長を務め、40年に91歳で亡くなるまで約50年間院長を続けた。養育院廃止論の逆風を受けながら、寄付を募り、養育院を存続させた。渋沢の意思と努力によって養育院は時代の求めに応え
た医療・福祉事業を展開し、そこから精神病、ハンセン病、結核、児童福祉などの様々な専門施設が誕生した。
 講演会ではいかに渋沢が養育院の発展に尽力したかが紹介された。そして、小池・都知事は、「人生100年時代、センターがこれまでの知見の積み重ねに磨きをかけ、世界を驚かせるような成果をあげてほしい」と祝辞を送った。
 ここまで聞くと、合点がいき、小池氏の気合いの入った式辞に頷く人も多い。当センターは研究所の大きな業績としてブレインバンクがある。死亡した人の脳の半分を将来の研究のために凍結して保存した脳は17年に3千個に達している。
 現在のセンターは医学ばかりでなく、薬学、生物学、基礎医学といった研究者に加え、福祉や介護、医療経済などの社会科学分野の研究者が参加し、高齢者の心身の特性に応じた適切な医療の提供、臨床と研究の連携、高齢者のQOL(生活の質)の維持・向上を目的とする活動を展開している。また高齢者の健康増進、健康長寿の実現を目指し、大都市東京における超高齢社会の都市モデルの創造の一翼も担う。

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