映画『いちごの唄』 感想
小学生の時、幼馴染が交通事故で亡くなりました。ピアノ教室の帰りに車通りの多い道路で迎えに来たお母さんの車を見つけて飛び出したのだと、後になって聞きました。
学年全員で参加した葬儀では焼香を待つ間ずっと彼の好きだった坂本龍一さんの曲が流れていました。それを聴きながら、最近は全然話してなかったな…とか、小さい頃に2人で砂場の砂を全部掘り返してプールにしようとして怒られたな…とか、夏休みのお昼に彼の家でそうめんをご馳走になったな…とか、いつの間にあだ名でなくて苗字で呼ぶようになったんだっけ…とか、先週の放課後に大縄飛びで遊ぼうと誘われた時になんで「うん」と言わなかったんだろう…とか、取り留めもなく考えていました。
ご家族が、特にお母さんが泣き崩れている中で、「きっと私が死んでもこんなに悲しむ人はいないのに、なんで私が生きてるんだろう」と思いました。そして葬儀から学校に戻ると、彼とは全く親しくなかった数人の女子が「授業なくなってラッキーだよね」と喜んで笑いあっていて、「なんで彼が亡くなったのに、こいつらが生きてるんだろう」と思いました。
私は生きているから死んだ後のことは想像に過ぎないし、彼女たちは子どもらしく残酷に不謹慎だっただけで、彼が轢かれたのは自身で飛び出したせいなのに、私は自分や彼女たちの命の価値を彼よりも下げたのです。
「命の価値は平等」なんて綺麗事で、みんな心の中では命の優先順位をつけています。時に、自分より他者の順位が上がることもあります。そして亡くなった人が大切な人だったなら、その命の優先順位はずっと自分より上のままであり続けます。「なぜ他の人でなくあの人が」という気持ちは残り続け、自分の人生に暗い影を落としていく……。
映画『いちごの唄』の主人公のひとりである千日(石橋静河さん)は、そんな想いを抱えて生きている人間です。共感できるなんて烏滸がましいことは言えないのですが、その気持ちは想像できる気がしました。
もうひとりの主人公であるコウタ(古舘祐太郎さん)は亡き親友の想い出を背負って生きていける優しい青年ですが、大学に行かず冷凍食品の加工工場で働く所謂ブルーカラーです。社会的な評価は決して高くないはずなのですが、千日はそのコウタよりも自分が無価値であると感じるようになっていきます。
最初は千日もコウタの話す“なんでもない毎日”を心地よく感じていたに違いないのですが、コウタのよいところを知るたびに自分の価値が下がっていくように感じたのかも知れません。コウタの素直で明るい性格や屈託のない笑顔、そして無償の優しさは眩しいほどです。交通事故で命を落とした中学時代の親友・伸二とコウタが密かに“天の川の女神”と呼んでいた千日は、そのコウタが恋する理想の女の子と自分のギャップに苦しんでしまいます。
千日がなぜ自分の人生を肯定できないのか、伸二はどうして自分の命をかけて千日を救ったのか、コウタの恋の行方はどうなるのか……銀杏BOYZの楽曲に乗せた青春の物語の行く末に、キレイな涙がこぼれてしまいました。
繊細な感情が初夏らしい爽やかな空気感で描かれていて、とても優しい世界でクスリと笑える所もあり、観終わったらあたたかな気持ちになれる映画です。