「hundred=hand+red」的バカ

先日Twitterでこんな投稿を見かけた。

投稿についている写真は雑誌『杼』第1号(1983年)だろう。蓮實重彦がインタビューされている。この内容は『〈批評〉のトリアーデ』という単行本に入っていて、写真と同じ箇所が国会図書館のデジタルコレクションでもチェックできる

写真に出てくる渡部とは、最近セクハラ訴訟で控訴審でも賠償命令を受けたあの渡部直己だ。

蓮實が数字に着目して大江健三郎を論じている話を取り上げているのだけれど、そこで渡部が奇怪なことを言い出す。

渡部 (略)『万延元年のフットボール』の分析に使われた「」。蓮實さんがこの「百」を特権化してゆく過程を読んでいますとね、これはたぶん絓さんも同じでしょうけれど、ぼくなどはもっと特権化してみたくなるわけです。アメリカ帰りの「鷹四」を一方の主人公に持つあの作品でなら、「百」はたとえば容易に「ハンドレッド」ですね、つまり、「」と「」。
蓮實 ……。

『〈批評〉のトリアーデ』トレヴィル、1985年、20ページ
太字は原文ゴシック

渡部の奇怪な発言の理屈はこういうことだろう。

蓮實が取り上げる「百」という日本語は、アメリカ帰りの人物が登場する作品なら「hundred(ハンドレッド)」という英語へ翻訳していい。ハンドレッドというカタカナは、ハンドとレッドというカタカナに分けられるから(!)、「hand」(=手)と「red」(=赤)の組み合わせになる。

渡部の発言の直後にある蓮實の「……。」が、わたしは笑えて笑えて仕方がない。真面目に言ったのだとすれば、渡部はバカだと思う。語源的にも支持できないだろうし、何ならそこはレッドハンドじゃなきゃ駄目だろう笑

インタビューで蓮實が「正統派」を自称しているのも納得という感じだ。ある程度妥当な方法で読もうとする姿勢がある。もちろん妥当かどうかも恣意的な基準なのだけれども。

渡部のようなバカのやり口を、蓮實は「こっちまで崩れてしまう」と言っている。写真の中には無いが「どなたかがやるのはいっこうに構いませんけれど」などと付け加えているのも笑える。

水曜の夕方にTwitterでも書いたのだけど、ずっと反芻して笑えるのでnoteでも書いてしまった。これも閑居するが故の不善である。

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