大河ドラマ「光る君へ」の漢文とアナクロニズム
昨日かなり遅ればせながら、大河ドラマ「光る君へ」の第1回を観た。
力の入ったセットや小道具で、それらしい雰囲気が出ていてよかった。大筋で雰囲気が出ているから、細部にあるアナクロニズム(後の時代のものごとが紛れこむ時代錯誤)が、かえっておもしろい。
視聴前にこのツイートを見ていたから、多少の先入観があったことは否定できない。けれども、過去を描くのにアナクロニズムはつきものだ。無毒なアナクロニズムなら、アナクロニズムとして美味しく楽しめばいい。
第1回は少女時代の紫式部の話。ちなみに「少女時代の紫式部」という表現もアナクロニズムだ。彼女は源氏物語をまだ書いていないから「紫」要素がないし、父親の藤原為時もまだ式部省に勤めていないから「式部」要素もない。
ドラマの紫式部は「まひろ」と呼ばれているから、わたしもそう呼ぼう。というわけで、第1回は少女時代のまひろの話だ。
「光る君へ」を観るうえで、わたしの興味はまひろと漢文の関わりにある。だからドラマに出てくる漢文の描写のアナクロニズムをまとめてみた。
蒙求(02:00頃~、04:20頃~)
貞元2年のとある夜に雨が降った。その翌朝らしきシーン。歳末らしいから12月くらいか。西暦なら978年の1月に相当する。
まひろは拭き掃除をしながら、父の為時が蒙求を音読するのを聞いている。
蒙求は子供の教育に使われた。人名と有名なエピソードを覚えやすくまとめてある。たとえば「蛍雪の功」の由来になった孫康と車胤のエピソードは「孫康映雪 車胤聚蛍」とまとめられている。
ドラマでは、為時が息子の太郎に音読して聞かせている。小道具は作り込まれていて雰囲気が出ている。とてもよい。
小道具の蒙求は、蒙求のなかでも標題本という種類にあたる。「孫康映雪 車胤聚蛍」のような4字の句だけが書いてある。小道具は「長承本蒙求」と呼ばれている平安時代の写本をモデルに作ったんだろう。
長承本蒙求の高精細画像は、e国宝で「蒙求」と検索すれば見られる。見比べると、小道具のアナクロニズムが見えてくる。
漢字の隅に赤い点がある。これは漢字を読む声調を表す記号なのだけど、小道具だと点の打ち方が四声体系で、九声~六声体系だった平安時代の点の打ち方とは違う。
小道具には赤い字だけを書き入れた方が、ドラマの時代に合っていたと思う。長承本は、赤い字が10世紀頃に、黒い字が長承3年(1134年)やその後に書き入れられたと考えられている。
小道具が醸し出す雰囲気が、平安時代のものか、鎌倉時代のものか…と考えるのがおもしろいのだ。
史記(22:30頃~)
ドラマで年が明けた。この時点では貞元3年だけど、年末に天元元年となる。この年の除目で、為時は官職を得られなかった。
失意の為時は、まひろにせがまれて史記を読み聞かせる。
史記の秦始皇本紀から、俗に「バカ」の語源とも言われる(けどたぶん違う)箇所を読み聞かせる。
小道具は蒙求と同じく巻物で作られていて、雰囲気が出ている。よい。
注釈のつき方を見ると、この小道具は「集解本」という種類の史記だと分かる。古い写本は集解本が多いから、いいチョイスだ。(史記評林を書き写していても驚かない心づもりだった。)赤い点が句読点のように打ってあるのもいい。
これだけ作り込まれた小道具も、平安時代の写本と見比べるとアナクロニズムが見えてくる。
小道具だと人名などに赤い線が引いてある。こういう朱引と言われる記号は室町時代くらいに広まったものだ。為時は紀伝道を学んだから、人名を表す記号は下の図のように付けたとわたしは想像する。
小道具だと返点にレ点を使っている。小道具のようなレ点は室町時代くらいに広まったものだ。レ点の原型といわれる雁点が使われ始めたのも12世紀頃だ。
小道具にはヲコト点がまったくない。ドラマの時代の10世紀なら、ヲコト点と呼ばれる符号が漢字の周りにたくさんあったと思う。
小道具が醸し出す雰囲気が、平安時代のようでもあり、室町時代のようでもあり…と考えるのがおもしろいのだ。
蒙求(23:00頃~)
ドラマではすぐに桜の咲く季節になった。
あいかわらず官職のない為時は、息子の太郎に蒙求を読み聞かせる。が、太郎はまったく聞こうとしない。
これは蒙求の「孫康映雪 車胤聚蛍」を解説する注釈の一部。「宋略」とあるのがポイントで、「古注」と呼ばれる古い内容だと分かる。いいチョイスである。
ドラマだと「宋略車胤」と続けざまに読んでいて、ちょっと残念だった。故宮博物院にある写本のヲコト点からは「宋略に」と読んでいたことが分かる。「宋略」というのは書名なのだ。
論語(48:20頃~)
天元元年の秋。8月に藤原兼家の娘の詮子が円融天皇のもとへ入内した後のこと。
右大臣になった兼家の推挙で、為時は東宮の師貞親王に漢文を指南する。
為時は東宮に論語を素読させようとするが、うまくいかない。
東宮はまったくもって「重からざる」キャラだから、論語の学而からここをチョイスするのは、実によい。
この訓読ひとつにもアナクロニズムがある。「子曰」を「しいわく」と読んだり、通称「レバ則」の「則」を「すなわち」と読んだりするのは、いかにも江戸時代風といった感じがする。この時代なら「子の曰く、君子重からざるときは威あらず。学も固からず」なんて読んだと思う。
平安時代のストーリーなのに江戸時代が紛れ込んでいる。このアナクロニズムがおもしろい。
書き終わったらこんな時間になっていた。「光る君へ」第2回も是非見たい。
※2024/01/31追記
この記事をおもしろがってくださった方へ。二匹目のどじょう的に記事を書いたので、お手すきの折に読んでみてください。