深夜から朝方にかけての下北沢が大好きだ 泥酔してる人、泣いてる人、喧嘩してる人、弾き語りしてる人、始発まで語り明かしてる人、まだまだ夜はこれからな人、、、 色んな人がいて誰もそれを責めない 寂しいな~って夜はわざと終電を逃して朝まで駅前で人間観察をしてる 朝4時過ぎまで駅前は誰も責めない無法地帯と化しているがそこをすぎてくると朝日が昇ってきて段々と人はバラけていく、また今日が始まる絶望感と戦う時間 この時間ほど寂しいものはない なんで昨日帰らなかったんだ…今の方が
強い人間になりたい 強いってなんだ? 力が強いこと? 体力があること? 精神力があること? 私は起き上がる力を持っている人間だと思う 全て受け止めて倒れる 何度倒れても起き上がる 起き上がり小法師みたいな人 そんな人になりたい
この時間になると理由もなく不安に襲われる 将来のこと明日のこと自分のこと 私は一体将来なにになりたいのか 明日の私はちゃんと生きられるだろうか 自分はこのままでいいのだろうか 答えなんかない問いばかりがぐるぐると頭の中をまわっている 夜中というのは私たちに希望も絶望も見せてくれるから困る、 一人ぼっちの時、夜が来ると安心した みんな寝ていて私の孤独が隠されている気がしたから 朝日が出て鳥が鳴き始めると絶望した また今日が来てしまう、 不安な時、夜が来ると
大好きな人間の影響でベースを買った 人に影響は受けないタイプだと思っていたけどこのバンドマンの影響は沢山受けている 彼女の好きな音楽を聴いた オススメしていたお店に行った 好きだと言っていたご飯を食べた 来ている服を探して買った 思考まで全てわかろうとした、これはもう依存ですわ 好きだから応援したい、それ以上にその人になりたい 多分私がなりたかった理想の人間だから全てを吸収しようとしている それでも私は彼女になることは出来ない いつの日か「自分」を確立して
リア充・非リア(死語?)のように恋人がいるかどうかで幸せかどうかをはかる行為はあまりにも浅はか 恋人がいれば幸せ? 恋人が全て? それは違うだろう… たしかに幸せを感じる1つとして恋人の存在はあるかもしれないが、いなくても十分人生幸せに生きていける こういうことを言うと「またまた笑」とか「そんなこと言ってないでいい人見つけなよ」と言われるが本当に大きなお世話 多分私はすぐ人を好きになる、だけれども恋愛は苦手 幸せにするとかしてもらうとかそういうのが煩わしい 勝
死にたい 死にたい 死ねない その繰り返しでなんとなく今日も生きてる 死ねない理由なんて本当は1つも無いくせに何かと理由をつけては自分が生きていることを正当化しようとしている そうして今日も死にたい、死ねないと喚いてる そんなが私がなによりも醜い 初めて死を意識した時のことをハッキリと覚えてる 中学2年生の秋に中学校の卒業式を終えたら死ぬんだと決めた 卒業式当日、死ぬんだ死ぬんだと思いながら家に帰ってきてしまった 高校生の時、18歳になるまでに死ぬんだと決
久しぶりに高熱を出した 39.7、、、 扁桃腺がパンパンに腫れて喉も腫れ、熱も高くてまともにご飯どころか水分すら取れない… ヒーヒー言いながら寝込んでいると母親が大量のアイスとプリン、うどんや豆腐などとにかく私が少しでも食べられそうなものを買ってきてくれた。 2日で熱も喉の腫れも治まり元気になってきたところで小さい時のことを思い出した。 小さい時、私は具合が悪くなるのが嬉しかった。 もちろん、熱が出たり体調が悪いのだからそれは嬉しくない。 ただ、いつもは仕事でい
夏は好きじゃない 暑い、虫、汗、日焼け、日が長い、、、 それに加えて最低な思い出 去年の夏、恋人と旅行に行った1ヶ月後に振られた 仕事が忙しく私に割く時間はなかったらしい 18歳の私には理解できなかった 待ってると言ってるのに「それすらめんどくさいんだよ」と言われてしまったこと 一生呪ってやる 半年ほど前ライブ遠征で元彼と旅行した辺りまで行ったけどあの時の記憶はもう戻ってこなかった 暑いねと言いながらかき氷を食べたこと 靴だけ脱いで海に入ったこと 夜見え
友達って一体何なのだろうか そんなことを考える日ばかりが増えていく 友達ってなに? 離れないものってなに? ここはどこ…私はだれ…友達って何… 恋人には「付き合おう」だとか「好きだ」とか本人の本当の気持ちはどうなのか分からないにしても、その関係になるための言葉が存在する。 しかし友達はどうだろう。 友達なろう、だとか私たち友達だよねだとかそんなことを言うのだろうか。 いや、きっと言わない。 いつからなのか分からない、だけど「友達」だと思っている。 だからこ
恋愛は娯楽であり嗜好品。 恋愛一辺倒にはなりたくない。 そう思いながら何度も既読がついてないか確認する。 インスタがオンラインになってないか確認する。 起きているかストーリーを上げて確認する。 1番でありたいと思ってしまう。 好きな人の好きなものを知りたいと思う。 玄関の開く音がすると急いで起き上がる。 常にどこかで恋人のことを考えている。 結局恋愛にしか生きられない。 可愛いね、私。
私の書く文が好きだと言ってくれる友達がいる、それだけで全てが救われるくらい嬉しくなる。 きっとこのnoteも見てくれているのかな。 言葉を褒められるのが何よりも好きだ。 言葉はその人が経験してきたことの全てを詰め込んだものだと思っている。 それまで読んできた本、してきた・聞いてきた話、観てきた映画やテレビ、そんな全てが詰まっている。 私は私の書く文章が好きだ。 だからこうしてnoteに残している。 別に自分の文が上手いとは思わない、だけど好き。 昔は自分の思考
「死」っていうのはどうしてこう私たちの感情のすぐ近くにあるんでしょうか 何かある度に死にたいと思ってしまう 夜になると不安 なにが不安なのかはわからない とにかくなにかが不安 自分という人間の存在する意味、そんなものばかりを考えて死にたくなる 自分がこうなってしまったのは歪んだ過去のせいだ、もう自分は普通の人間にはなれない、死んだ方がマシだ、、そうしてまた1人で布団にくるまる そんな夜ばかりが増えていく 死にたい夜は自分の過去を変えたい、変えられない、の葛藤の
1番になりたい。 誰かにとってかけがえのない存在になりたい。 私はいつも何番目かの人だ。 1番の友達だと思っている子にはまた別の1番の友達がいる。 そんなの当たり前なのに何故かそれを実感した途端に死にたくなる。 2番目の人、代わりが効く人、いてもいなくてもいい人。 そう言われてる気がしてならない。 人からの評価で自分の価値を決めている、自分のそんな性格がさらにこの1番になりたいという1番に対する執着を高めているのだと思う。 自分の価値を自分で決められない。
気が狂う。 恋愛とかもう無理、。 そう思ってもまた誰かを好きになる。 人を好きになるってなぜこんなに苦しいのか。 私は恋愛になると気が狂ってしまう。 そして今が今までの恋愛で1番狂っている。 昔は好きな人に何でもしてあげたいとか与えたいとかそういう気持ちが一切わからなかったし、ずっと与えられる側だった。 しかし今の自分はと言うとなんでも買い与えたいし、何時間かけてでも会いに行く。 これは愛なのか、それとも対象への依存なのか。。。 よくわからない。 今も1人
大人っていつから大人になるんだろう 昔は20過ぎたら勝手に大人になると思ってた 経済力も学もあって精神も行動も落ち着いていて、、、 昔考えていた大人の年齢に近づいてわかったこと、それは〈勝手に大人になっていくなんてことは全くなかった〉ということ。 いつまで経っても子供のまま、ただ飲み込まなければいけないことが増えただけ 私が憧れていた人たちもきっと沢山のことを飲み込んでいただけ、そんなもんか いつか私が憧れてた〈大人〉になる日のために今はもがきながら生きないといけな
あつい。 あつい。。 あっっっつい。。。 暑すぎる、既に人間が活動していい温度を越えている。 こんな中外に出て学校や仕事に行かないとなんて気が狂ってる。 夏のイベントといえば夏フェス、BBQ、海、プール、花火大会、お祭り……… 全部外に出ないとできないじゃん、、、 私の夏に期待するのはやめた。 花火大会も家から見れればいいしお祭りは人混みだから行きたくないし海もプールもBBQも日焼けする。 夏フェスは行きたいけど… それよりも涼しい部屋で好きな人とゴロゴロ