朝のご挨拶
あたしの大切な皆様、こんにちは😊✨
今日のめぐ地域はあいにくの雨スタート☔️
夕方には晴れますけどね☀️
そのせいか、起きてからずっと何か心までもが濡れているかのような、そんな気持ち…。
別に沈んでるとかではないんですよ✨️
雨を見ると…思い出す人が居るからなのです💘
(日曜日に逢ったばかりなのに、もう逢いたいと思うくらいのお人だから…🫶❤️)
今日は人を好きになるとはどういうことかをお話したいなと思います😊
コレはあたしのココロって意味ですが、お暇な方は読んでみてください✨
あたしは産まれた時から、産まれてきたことを疎まれていました。
母親が不倫して出来た子。
所謂、必要のない子と言われてきました。
そのため、母親は彼氏との結婚が大切なので、あたしは祖母に預けられ、育てられました。
大人になるまでは、内容は言えないほど学校では酷いいじめにあい、家は家で家庭環境が劣悪だったため、何処にも居場所がなかった、愛情不足の子供でした。
そんな中、愛される子供が羨ましく、妬みばかりでした。
そんなあたしが人を好きになる事を知ったきっかけって、言わずもがな「小野正利先生」なのです。
あたしの癒しは音楽でした。
でも子供が好きになるようなものではなく、何故か初めて好きになったのはLed Zeppelin。
それを好きになったのが小2。
最初に聞いた時まず「カッコイイ❣️」って思ったんです。
それからわけも分からないまま、あの手の音楽ばかり聞いてた、今思えば誰の何の曲かなんて分かりませんけどね😅笑
そして小4の頃に、これも何度もお話してますが、テレビから聞こえてきた、澄んだ声…
キレイな声、心に衝撃を与えた声と出逢うのです。
そしてその声の正体をその年の紅白歌合戦で知った時、胸を締め付けられるほど、そこに居る若かりし頃の小野先生に釘付けになりました。
今でも覚えてますからね、よく分からないのに、痛みを感じたのを…。
それがあたしの初恋でした💘
でもまだ人を好きになるなんてことを知らなかったあたしは、先生のお姿を見るたびに、声を聞くたびに胸が痛いことを病気だと思っていました。
祖母に話すも、「体調悪いだけ、寝てなさい。」とかしか言われない。
でも体調なんて悪くなくて、先生を見たり声を聞いたりしたら痛くなる…
その痛みに1人でずっと悩んでたんだけど、ある日同級生のお母さんが小野先生の曲を聞いたりする人だと知り(その子はいじめには加担してないタイプ)話をしたんです。
そのお母さんはあたしのために先生のCDをカセットにダビングしてくれて、プレゼントしてくれました。
その時にあたしの話を聞いて、お母さんが答えをくれたのです、それは「恋だよ💘」って。
でもそれを言われてもあたしにはすぐには分からなかった…。
だけどそのお母さんはこう言ったんです。
「大人になるにつれ、その人の事が頭から離れなくなっていくのよ、おばちゃんもそのお兄ちゃん好きだから…。おばちゃんもいつか会いたいなって思う人なんだよ」って…。
そしてそんな気持ちにようやく気付いたのは…
中1くらいかな…。
テレビで歌う先生を見てたら、周りに居る同級生なんか何の魅力も無いことに気づいた。
そして気付けば先生の事ばかり考えてた…。
「逢ったらどんな人なんだろう…優しいだろうな…笑顔も、歌ってる姿もカッコイイ…」なんて事を四六時中考えるようになり、いつしかあたしは「先生に逢いたい、そばに行きたい…何なら恋人になりたい…」とまで考える毎日になっていたのです。
でも自分の劣悪な環境を考えると不可能…。
歌を歌えば傍に行けるようになるかなって考えて、先輩達がやっていたバンドに誘われたことをきっかけに、ロックやメタルのカバーを歌い始め、先生の曲にもチャレンジして、ステージで歌うようになった…。
するともっともっと先生に逢いたい気持ちが募り始めた。
中高生の時はずっとバンド。
でも同じ学校で知っているのはたった一人、あたしの味方で居てくれた女の先生。
その先生はLed Zeppelinが大好きで、あたしがカバーしてるとポロッと言ったら、そこからめちゃくちゃ応援してくれ、ファンとしてバンドも見に来てくれてた、もちろん誰にも内緒の約束で…。
そしてあたしが小野先生を好きなことを知っても、周りの大人達みたいに変な子扱いしなかった。
(当時、あたしの周りは同級生と付き合うのが普通、せいぜい年上だとしても2個まで、それ以外は何か偏見が凄かったんです。)
そればかりか誕生日には小野先生のCDやポスターなどをプレゼントしてくれたり、その中にはサイン入のものまであったりと、もう今は祖母と叔父に捨てられたからないけど、ほんとに貴重なものを頂いてました。
あたしはそのCDやポスターを癒しにしながら、過酷な環境を生き抜いてきました。
しかし、バンドはお遊びだったことを知ったあたしはショックでした。
実はプロを目指していたため、デモテープなどをレーベルに送ったりしてました。
だけど、バンドとしてはお呼びが掛かってもあたし一人ではどうにもならず、諦めざるをえなかった。
あたしは生きる糧を失ったかのように塞ぎ込み、19歳の時には「死」を考えました。
社会に出てもなお、親の呪縛からは逃れられず、実際39歳まで解放されませんでしたからね…。
でも、そこで命を繋げたのは「1回でいいから先生を一目見たい…」というその想いでした💘
そこからの人生は惰性ではあったけど、「生きてればいつか逢える」それだけを信じてきました。
もちろんその間、色んな音楽も聞いたし、普通に恋愛もしました。
でも満たされることは無かった…。
気付けばあたしの頭の中には「小野正利さん」の存在が絶対にあった…。
他のどんな人よりも魅力的で、カッコよくて、歌えば素晴らしい歌唱力を持ち、笑うと可愛くて…
20歳くらいの時にはどっぷりハマってました💘
でもいっときして、あたしの恋は一度玉砕します。
ある日テレビで先生を見た時、先生の左の薬指には指輪💍が…。
その時、すごく悲しくて悔しかった…。
涙が溢れて止まらなくて…
…てかバカでしょ❓
その当時まだ先生と逢ったことも無いのに、こんなこと考えるほど、好きだったんですよ😅
でもその時にあたしはホントに「小野正利さん」という男性に「恋」をしている事を知ったのです。
小4からずっと頭から離れなくなった存在が、まさかこんなにも自分の中で大きくなってたなんて、知る由もなかったですからね…。
気付けば「本気の恋」でした…。
だから、先生が結婚したんだーって知った時ホントに悲しかった…。
でもそれからもテレビで見たりするからずっと好きで、忘れられなくて…。
勝手に恋して勝手に玉砕したくせに、諦めるためにあたしは先生の曲を聴いたり、テレビで見たりするのをやめてしまったほど、先生が大好きでしたね…💘
それから10年ほど、音楽も惰性でしか聞いてなかったし、プロを目指すこともいつの間にか諦めてました。
家庭環境の事も精算しなきゃ出来なかったのもあり、どうにも出来ないと思い、塞ぎ込みがちになりましたね。
そんな中、コロナ…。
仕事も上手くいかず、心まで病んでる時に、ダンナがあたしを外に連れ出してくれた時のこと。
ドライブしてる時に不意に「めぐちゃんってどんな人の声が好きなの❓好きな声の歌手とか居る❓」って聞かれたんです。
その時に言った言葉…
今思うと自分でも驚くのですが…
「色んな音楽聞いて、色んな声を聞いてきた中でずっとずっとブレずに大好きなのは小野正利さんの声かな😌」って言ったんですよ、あたし。
それまで先生の声聞くのも辛いと思うくらいに勝手に玉砕してたのにね笑
そしたらダンナも「俺もあの人の声好きよ、良い声してるよね🥰」って言ってくれたことをきっかけにまたあたしの中で何か火が付いたんです。
めちゃくちゃ胸が熱くなったの、覚えてるもん。
そしたら急に声が聞きたくなって、必死にYouTubeを漁って、聞けるだけの小野先生の曲を聞きまくりました。
そしたら再燃しちゃったんですよ、あたしの熱い恋心が…💘
んでそんな時に見つけた…
「GALNERYUS」というバンド。
そのバンドが何故か気になり、聞いてみると…
音に惹かれて、演奏に惹かれ、そして…
歌っている人の声に心が吸い込まれていった…
何故なら、小野先生だったから…。
ずっと恋しかった人が、すごく好きな音の中で歌ってた。
その前に先生のソロを聴き漁ってたので、めちゃくちゃ心が熱くなってたんだけど、そこからのGALNERYUSがあたしに燃える想いを爆発させました。
そのバンドを見たあたしは、すごくその音を生で聴きたくなり、それと同時に先生に逢いたい…と思うようになったんです。
コロナ禍の中、39歳のあたしは今度こそもうこの世にサヨナラを言おうと思っていたのですが、サヨナラを言うならせめて一度だけ好きな人に会ってから…と。
でもその時の日本はどこもかしこも移動制限。
鹿児島も時短営業、遠征自粛など、とてもではありませんが会いに行ける状況ではなかった。
だけど、奇跡が起き、ツアーが始まる前に規制が解除され、逢いに行くことが許された…。
そして…29年の時を経て、あたしは一番大好きで、誰よりも会いたかった人に会ったのです。
そこからはもうお分かりですね❓
それを経ての今…。
先生を好きになったあの頃よりももっともっと、あたしは小野正利先生が好きになっています💘
今も声を聞きながら、胸きゅんモードでこの文章を書いておりますが、あたしは先生を好きになってなかったら、今の歳まで生きてはいなかった。
「好き」の想いってすごいですよ。
ほんとにあたしが生きてきた環境は想像を絶するものでしたが、先生に逢いたい、先生が好き…
ただその想いだけがあたしの命をつなぎ止め、先生のお姿が、お声が、テレビの向こうとはいえ、見えている、聞こえていることが、あたしの心をどうにかこうにか強く居させてくれたのだから…。
何度となく死にたかったけど、そんな度胸もない弱虫で、結局惰性で生きてきたけど、でもそこにはたったひとつだけ、ブレない想いがあった。
そして今となればあたしは先生の生徒として、一緒に居られるようになったのですが、そのためにまた、惚れてしまったあたしが居ます。
恋や愛としては絶対叶わないけど、音楽仲間として大切に想ってくださっているその姿に、また…
人を好きになるって、素晴らしい事だなって思います😌💘
もちろん、永遠の片想いだから辛いなーって思うこともあるけど、今となれば先生が元気に、そしていつも笑顔で、お幸せにいて下さることが、あたしにとっての幸せだから、これからも末永くお幸せで居てもらいたいなと願ってます💞
そしていついつまでも歌い続けて欲しい…。
だからあたしはめいっぱい逢えるうちに逢いに行きたいと思っています。
だって…誰よりも大好きで大切だから…❤️
いつ会えなくなるかなんて分からない。
ならば、逢える今を大切にしたいからです…。
人を好きになる気持ち、ずっと大切にしてきて良かったと、今改めて思うことですね💕︎
しかしまぁ長くなったなー、今日は😅
というわけでそろそろいつもの行きます🍀✨
皆様に何事もなき、平和でお幸せなお時間であることを「祈」って…🕊🙏💭💗
本日も皆様にとって…🍀✨
そして…誰よりも大切な、憧れの、めちゃくちゃ尊敬してやまない、大大大好き💋💞な小野正利先生❤️と、その周りに関わる全ての方々にとっても、穏やかでステキで楽しく幸せなお時間でありますように🌈 💕🎶
皆が今日も笑顔でありますように☺️