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「何かを始めるとき、まずノートをつくる」


 倉下忠憲さんの新刊「すべてはノートからはじまる」をようやく読んでいます。


読み進める中で、今日のタイトル「何かを始める時にはまずノートを作る」という考え方がとても気持ちよくて、うっとりしていました。

 何かを始めるたびにノートが増えていくんです。

 僕は「また何か始めた!」の人です。
これまでに「また何か始めた!」と呆れられながらも、いろんなことをすすめてきました。

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プロコーチになるための勉強であったり、
メルマガのスタートであったり、
電子書籍の執筆であったり、
マイクラ実況YouTubeチャンネルの解説であったり、
コーチングのための動画「ほのぼのコーチング」であったり、
20冊並行読書であったり、
チリツモ読書であったり

もう本当に、このメインブログである「知的生活ネットワーク」で始めた自分プロジェクトは、いったいどれだけになるのかわからないほどです。


これらを始める時には、ぼくはだいたいWorkFlowy にノートを作ってきました。

50歳からのブログ運営戦略」を執筆する時には、まず「電子書籍 50歳からのブログ運営戦略」というノートをつくり、その下の行から1段下げて、アイデアを書いたり、調べたことを書き込んだりして,構成を練っていきました。


最終的には、このノートの下でアウトラインが完成し、その項目ひとつひとつに本文を書いていく形で、最終的な原稿ができあがったのでした。


なにかを始めるときにはまずノートを作る
この考え方は、そんな僕にぴったりと入り込んできました。

そして思ったんです。

これまでWorkFlowyでやってきたことを紙のノートでつくるとどうだったんだろうって。

きっと、ノートが無尽蔵に増えていきます。
それらのノートは、プロジェクトが完成したら、叱るべき棚に並べられて保管されるでしょう。
本棚がノートで一杯になります。

それがたまらなく魅力的に感じたんです。


「いやいや、場所がなくなるでしょ。すでにデジタルでやっているならそれでいいでしょ」
という自分の声が聞こえます。

しかし、僕は、これらをアナログのノートで行うことにものすごくひかれたのです。
どうしてかはまだよくわかりませんが、おそらくこうだとおもうのは、

◎ そこにある、という自分プロジェクトへの愛おしさを感じられる
◎ 倉下氏がかいているように、そのノートの存在が「物リマインダー」になって、そんな自分プロジェクトを進行させているんだということを忘れずにすむ

そういうことであるように思われます。


僕は今回、B5のノートを1冊買ってきました。
さて、このノートを何を始めるときに使おう・・・と2,3日ワクワクしていました。

この、「何に使おうか」と用途を考える時って、僕らわくわくしませんか?
至福の時ですよね。

「いや、何か始めてからノートうんだろ?先に買ってどうすんの」と言われそうですが、何か始めるときってこんなもんです。

僕は、まずノートがほしかったんですよ。
結果的に、僕は、本を新しく買ったので、その読書ノートをとることにしました。
その本というのは橘玲さんの「無理ゲー社会」。
本屋に入った時パッと目に入ってきたんです。


「あ、これ話題になっていたやつだな」と思い、目次を見ると、ここしばらくずっと追い続けているメリトクラシーとか、ダークホース的生き方とか、今後の人の生き方とか、そのようなこととつながっているんですよね。


人間のアンテナっておもしろいなと思います。
そういう本がぱっと目に入るんですから。

で、この本のためにノートを一冊つくりました。

この経験はとても面白いですね。

これまでは、WorkFlowy というデジタルにつくってきた読書目メモを、これからアナログでやる。
デジタル以前には当然やっていたことです。

また、カードに1冊分書き留めて、それをKJ法でまとめて一つの記事につくりあげたこともありました。


でも違うのは「その一冊のために、ノートを一冊つくる」という経験です。

この経験はこれまでしたことがありません。
読書ノートはよくとっていましたが、それは雑多な本のごちゃまぜなメモでした。
しかし、1冊まるまるこの本のために使うのです。
ぜったいあまります。
空白だらけになるはずです。

そして、それがいいんです。

「物」であるがゆえに、有限。
有限であるからこそ、空白が生まれる。
 この空白が可視化されることがいいのです。

空白が可視化されたことで、その空白になにかうめたくなる。
それが、関連本の記述であったり
自分の考えであったり、
図解であったりするのです。

 ・・・・というようなことをいろいろ考えながら、僕はノートを開きました。
そして1ページ目になんでこの本を買おうと思ったのかという、購買理由を書きました。
その本から何かを学び取るための、「うき」のようなものです。

次のページには、目次を読んで、その時点でわからない言葉や考え方をどんどん疑問形でかいていきました。
これで、問題意識をもって攻めるように読むことができるようになります。

本を読み上げた後、このページを見て自分なりに答えられたらOK.
答えられないなら、もう一度そこの部分を読み直したらいいんです。


今のところここまでです。
これから実際に本の中身を読んでいくわけですが、おそらく、僕は言葉の書き抜きというより、読んでいる最中に頭の片隅で考えたことを書き留めとくという書き方をするのだと思います。

何かを読んでいるときに頭に浮かんだことは、これまでなかった、ニューロンの結びつきだからです。

これは、書き留めておかないと、強化されないまま埋もれてしまうことになります。
一回性の非常に貴重な思考なんです。

書き抜きはしなくてもいいんです。
だって、ページを折り曲げておけばいつでもその文を読めるのですから。

しかし自分の経験や知見と、本の文章との何らかのスパークは、これは戻ってきません。
これらの記録は、後で僕オリジナルの書評を書くのに使えるはずです。

ということは、本の内容が僕の血肉となってインストールされるということでもあります。

できた空白には、後日何らかのメモが追加されるはずです。


だいたいこんな感じですね。
ぼくにとっての本を読むときにつくる一冊のノートの作り方は

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