My Sweetie π
何度創っても、途中で失敗する。
本当に難しいわね。
天地創造って。
♡
天上の世界。
破壊の女神・カーリーが昨日創った星はピンク色で、緑の大地が可愛かったのに、ヒトを創って置いたら一晩であっという間に戦争が始まり、激しく転がり回って、眠っているカーリーの髪を戦火が焦がした。只でさえクルンクルンのカーリーヘアの一部が、熱のせいでチリチリになった。しかも幸福な惰眠を貪り、夢の中で素敵な彼と出会った瞬間に起こされた。
ーふざけるんじゃないわよ!
ブチ切れたカーリーは、どす黒く穢れ、ひび割れ、火を吹く醜悪の手鞠を踏み潰した。半分は既に腐り、壊死していた。元・可愛いピンクの星。途中までは、様々の生命体を創造してわくわくするのだが、神であるカーリーたちに近い生命体・ヒトを創った後、えてしてその星は穢れてゆく。何故なの?
ーHey,π!どうしてヒトを創った後、いつも星たちが穢れてしまうのよ!?
カーリーは、アカシャがバーチャルアシスタントとして具現化したSweetie πに話しかける。
ーときめき不足だからではないかしら。
煌々とした可愛いらしい声のSweetie πは、いつだって可愛らしい答えを用意していた。しかしその日和見主義の回答がご機嫌斜めのカーリーの怒りの火に油を注ぐ。
ーあんたも焼きが回った様ね。毎度毎度、似た様な事ばかり!あーつまんないつまんないつまんないっ!
カーリーはダンダンと地団駄を踏み、踏み潰したピンクの星を更に破壊した。
ーやめて!やめてったら!カーリー!カーリー!
気づくと足元には、シヴァがいた。例によって、カーリーに踏みつけられていた。
ーあ。ごめん、いたの?
ーえええっ、覚えてないの?ちょっと視察して来るよって、云ったじゃない。
ーちょっとぉ。居るんなら居るって云えばいいのに。ていうかさ、シヴァが居ながら何なのよ、このていたらくはっ!?
カーリーはシヴァを踏みつけていたことなど忘れて、激怒した。
ーええっ、そんなぁ……。
シヴァは只でさえ青い肌を更に青くしてショボーンとしてしまった。
ーで?何が問題だった訳?今回は。
ーん……。πが言う様に、やっぱりときめき不足、かな。
ーときめき、ねぇ。
カーリーは、知らない。ときめきなんて。生まれた時から極悪非道の破壊の女神だったので。と言っても、カーリーはパールバティが戦闘モードになったドゥルガーが更にアップグレードしたスーパー女神なのだ。だから、極悪非道に見える行動の根底には慈愛しかないのである。怖い女神としてのイメージが一人歩きしてしまい、迷惑ったらありゃしない。
ーねえ、シヴァ。パールバティとドゥルガーと私、誰が一番好き?
不意にカーリーは訊いた。シヴァは、答えに詰まる。間違えちゃ、いけない。彼女は今創造について学んでいるところなのだから……。
ーうん。全員君だからね、みんなを愛してるよ。
ーフンッ!いい子ぶってんじゃないわよ。どうせ私が一番苦手なんでしょ!?だったらそう云えっつーの!!
ーじゃあ、訊くけど、カーリーは僕のこと、好きなの?好きなんだったら、も〜ちょっと可愛くしてくれたっていいんじゃないの?
シヴァが訊き返すと、カーリーは考え込んでしまった。
ー好きかどうかって?う〜ん……。
ーえええっ!?酷くない?僕は足蹴にされても、こんなに君のことが好きなのに。
悲しい気持ちになってしまったシヴァが、云った。
ー君は生まれた時から、破壊モードしか知らない。サラスバティ姉さんの「恋する惑星ときめき☆コース」に参加してきたら?
ーえっ、何それ、楽しそう!!恋する惑星ってどんなかしら。
カーリーはさっそく、Sweetie πに話しかけた。
ーHey,π!サラスバティ姉様の所に行きたい!
サラスバティは、自宅の蓮池でいい香りのする大きな蓮の座に座り、可愛い孔雀と白鳥の為にヴィーナを爪弾いていた。水の上には銀河。
夫のブラフマーが最近創った「恋する惑星」と惑星たちが浮かび、クルクルと廻りながらサラスバティの奏でる天上の音楽に合わせて嬉しそうに輝く。
瑠璃色の星には緑が豊かで、沢山の種類の生命が順調に育ち、繁栄している。銀河に散らばる他の星からの生命体も興味津々で、空飛ぶ円盤で遊びに行くようになっていた。
ーサラスバティ姉様〜!!
ーあら。カーリーじゃない。どうしたの?そのチリチリの頭。
ー破壊ばかりじゃつまんないから、最近星を創ってみてるんだけど、いつも失敗しちゃうの!!昨日、可愛い星を創って、ヒトを放ったらひと晩で戦争よ!核兵器かな、多分。私の髪まで爆発しちゃったの。見てよ、この星!!
ーおいで、可愛い子。
サラスバティは、思い出し笑いならぬ思い出しギレしているカーリーを優しく抱きしめ、頭をヨシヨシした。カーリーから手渡された壊れた星を、そっと、水上の銀河に加えた。
ーSweetie πに聞いても、シヴァに聞いても、ときめき不足だって云うの!でも私、恋とか、ときめきとかよくわかんないし。シヴァは生まれた時から夫だし。パールバディとドゥルガーと私の中で誰が一番好き?って聞いたら、みんな君だからみんな好きだとかほざきやがったの。本っ当、ムカつく!……でも、私も、シヴァのことを好きとかよくわからなくって……。シヴァに姉様の「恋する惑星☆ときめきコース」に参加してくれば?って云われて。
ーふむふむ。そうだったのね。んー、私はカーリーはそのままでとっても素敵だと思うけどな。それで……シヴァのこと、好きじゃないの?
ー嫌いじゃない、けど。
ーそっか。恋したことなかったら、ときめきとか好きとか、よくわかんないわよね。どうする?行ってみる?新しく創った「恋する惑星」に行って、恋してみる?
ー行きたい!行きたい行きたいっ!
ーHey,π!カーリーがスッゴく楽しめて、ときめく時代と場所をピックアップして!
恋する惑星の名前は、「地球」。
Sweetie πが、カーリーの為に選んだのは、20世紀末、ニッポン・トーキョーという場所だった。
用意周到なサラスバティは、Sweetie πから20世紀末のトーキョーで暮らす為の予備知識を取り出すとカーリーのサードアイに移植した。
ー1980年代も面白そうなんだけどね。なんか、「バブル」とか云ってノリノリらしいわ。でも、なんかね、見た目とキャラクターが似てるらしいから、1999年の「ギャル」という種族が選ばれたようよ。青い肌のヒトはいないから、補正してっと。ニッポンジンにしては色黒だけど、「ギャル」は「ガングロ」って云って、わざわざ黒くしてるんですって。
ーうわー!何これ!面白そーう☆
ほんの数秒で全てを把握したカーリーは、わくわくした。「ギャル」。確かに私っぽいかも♡
ー名前は響きが似ているから「香里奈」がオススメだって。家族構成は、お父さんとお母さんと、お兄さん、と。
ーわあっ。私には親なんていないから、楽しみ〜。
ー困ったことがあったら、私が祀られてるジンジャ、という場所があるから、お参りするように。ニッポンという場所での名前は「ベンザイテン」よ。いいわね。
ーはーい!
ーそれから。これは学びの一環だからね、あなたの力というものは地球では弱められるの。あなたはとんでもない力を持っているけど、ヒトとして暮らすから、使ってはいけない。まあ、本当に危険な時にはどうせ勝手に発動しちゃうと思うけど。特に、極悪人に出会ってしまったら。まあ、仕方ないわよね。
サラスバティはヴィーナを爪弾き、カーリーはその星に送る為のマントラを唱えた。
ークルクルミラクルカーラカラ☆カラカラカーリークルンクルン☆
カーリーはあっという間に、しゅーっと収縮して行き、砂の一粒よりもうんと小さくなり「恋する惑星」に吸い込まれ、見えなくなった。
♡♡
そんな訳で、カーリーは「地球」という「恋する惑星」に女子高生「ギャル」として暮らすこととなった。
それにしても。ブラフマー兄様の創ったこの星は、とても面白いわ。こんなにも多様性に富んだ生命たちと種族たちが揃っているなんて(!)それに、この星の住人たちはとても創造的で、みんながみんなアーティストの様だと、カーリーは思った。きっと、サラスバティ姉様が天上の音楽を聴かせているからだね。
何よりも面白いのは、男と女、という性があり、恋して結ばれると、新しい命が生まれる、という点だ。
だから、恋する惑星。
1999年のトーキョーはエネルギーに満ち溢れていた。天上より降臨した女神・カーリー。人間としての名前は時田香里奈(トキタカリナ)。若干十七歳(設定)。
香里奈の家はナカノというところにあった。サラリーマンのお父さんとスーパーでパートする兼業主婦のお母さん、お兄ちゃんは浪人生。通っている学校は、偏差値は普通程度で、高校デビュー組の多い某都立高校。共学。制服は公立のわりになかなか可愛い。チェックのスカートと、白いシャツ、ネクタイもしくはリボン。それをギャルらしく着崩している。四月が新学期で、二年生からのスタートだ。
カーリーが……香里奈がまず最初にハマったのは少女漫画とTVドラマだった。特にお気に入りは池野恋先生の「ときめきトゥナイト」。香里奈の親友(マブダチ)のともちゃん……高橋朋美の愛読書で、知らなかったと言うと、全巻貸してくれたのだ。ともちゃんも高校デビューだけれど、筋金入りのギャルで、今や渋谷のギャル界隈では知らない人は居ない。「Popteen」ってギャル雑誌にもよく載ってる。シブヤで遊んでいた時、香里奈も一緒に載ったことがある。Sweetie πが選んだだけあって、カーリーはこの時代の地球・トーキョーにすぐに馴染めた。でも、正直、ギャル活動がそこまで楽しいとは思わなかった(本当はもっと沢山の漫画を読みたいし、アニメ「セーラームーン」をコンプリートしたかった。そう、どちらかと言えば、ギャルと言うよりもオタク寄りなのだった)。
世紀末。恋する惑星・地球では「世界の終わり」と実しやかに囁かれており、人々はやややけっぱち気味に、ならば楽しんでしまえ!と開き直って人生を謳歌している様に見えた。ギャル達も然り。後悔するなんて馬鹿みたいだから、思いっきり楽しもう!そのエネルギーが地球の自転のスピードを更にヒートアップさせている様だった。
中間テストが終わると、ともちゃんはギャルの進化版の「ヤマンバ」メイクを始めた。香里奈は元々まつげがバッサバサだったし、ほんの少し手を入れるだけですぐにギャルメイクが完了する。ヤマンバは、意外と手が込んでいるし面倒臭い(それに……もはや怪物!可愛くないよ……)。
ー香里奈もやんなよ!マジで、楽しいよ!センター街のアイドル状態だよ!
ーえええっ!?私はいいよ。バイト出来ないじゃん、ヤマンバメイクだと(それにヤマンバは、絶対にアイドルなんかじゃないってば)。
そう。香里奈は先月から近所のレンタルビデオ屋「TATSUYA」でバイトを始めたのだ。暇なときには、幾らでもアニメや映画を見ててもいいので。
若い子が大好きな店長・石神達也は、女子高生の香里奈に甘くて、香里奈は放課後は毎日沢山のビデオを見ることが出来た。
平凡なギャルとしての日々を、淡々と過ごしながら、香里奈はときめきを探し求めていた。少女漫画やアニメ、ドラマや映画。沢山のラブストーリーたち。面白くて夢中になれる作品は山ほどあった。けれど。香里奈はまだときめきを知らない。只々、恋に恋する乙女だ。見た目はイケイケのギャル、なのに。
最初にときめいたのは真壁俊で、だけど、ダーク・カルロの方が好き!でもカルロ様は現実のトーキョー・ナカノには居なかった……。そして最も近しい男性陣である高校のクラスメートや先輩、先生にも、全く!ときめかなかった。
ーあーあ。ときめきなんて現実には起こらないものなのかな。
ため息をついて、香里奈は頬杖をつく。
ー折角地球くんだりまで来たのに、全然ときめかないなんて。つまんないつまんないつまんない!きっと、あちらではまだ数秒しか経ってないんだろうけどさ〜。サラスバティー姉様は見守っているのかしら、私のこと……。
そう云えば。香里奈は思い出した。サラスバティは、云っていたではないか。ジンジャにお参りしろと。
ー店長。
ーどうしたの、香里奈ちゃん。
ーこの辺で「ベンザイテン」を祀ってるジンジャってありますか?
ー弁財天様?ああ、それなら、井の頭公園の中にあるよ。どうしたの?
ーイノカシラコーエンって、キチジョウジですよね。
ーうん、そうだよ。なになに、デート?
ーデートなんかしませんてば(相手もいないし……)!ちょっと、サラスバティー姉様に……弁財天様にお参りしたくて。
ーだよねぇ。井の頭公園でカップルがボートに乗ると別れるってジンクスがあるからね。
ーえ、そうなんですか?
ーそうだよ〜!彼氏が出来ても一緒に乗らない方がいいよ。
ー覚えておきます。キチジョウジは、ナカノからも近いし、土曜日に行ってみます。
初夏の井の頭公園は、確かにカップルだらけだった。けれど、カップルだけではなくて、家族連れや友達同士、独りの人もいたし、皆それぞれの時間を楽しんでいた。緑が豊かで、サラスバティ姉様のおうちを思い出す。姉様。地球はとっても楽しいけど、カルロ様と真壁俊にしかときめかないよ。
ーあ、白鳥だ!
香里奈は独り、スワンボートに乗った。水の上をユラユラと漕いでいると、サラスバティの声が聴こえた。
ーカーリー!よく来たね。元気そうで良かった。
香里奈も心の声で答える。
ーありがとう。地球、結構面白いって云えば面白いんだけどね。
ーなあに?なんだかご不満そうね。
ーねえ、こちらに来てもう数ヶ月だよ?ときめかないよ!全然!いつになったら恋出来るの?
ーふふふ。
ーふふふじゃないよ!恋する惑星ときめき☆コースなのに、ときめいたのは「ときめきトゥナイト」だけだよ!
ーまあまあ。果報は寝て待て、って云うものよ。
ーてゆうかさぁ、姉様、カップルにヤキモチ妬いて、別れさせてんの?ヤバくない?
ーあらあら。すっかりギャルの話し方を身につけたのね。私がそんなことする訳ないでしょう?ボートに乗って直ぐにフラれた子がそう云いふらしただけよ。ヒトって、なんでも誰かのせいにしたがるのよね。本当、困っちゃう。全部自分が創り出した現実なのにね。まあ、まだこの頃、それを知っているのは一部のヒトたちだけだったし、仕方ないか。……カーリー。もうすぐあなたは恋するわよ。ここは、恋する惑星なんだから。
ー恋する惑星……マジで?(…あ、やば。またギャルの癖が)。
ーそう。恋する惑星。忘れないでね。
それが、サラスバティからのメッセージだった。あ、お参り、するの忘れちゃったけど、まあいいか。とりあえずジンジャに向かって合掌した。ありがとう、姉様。
数日後。学校が終わり、香里奈がバイト先であるレンタルビデオ屋に着くと、入れ替わりで店長が遅めの昼食を取りに出て行った。香里奈は特に見たいものがなくて、ぼ〜っと店内を流れる有線を聴いていた。
♪Don't wanna close my eyes,I don't wanna fall asleep♪
は〜あ、最近この曲、よくかかるなぁ、「アルマゲドン」借りてく人も多いし。世紀末だからかしら。そう思った瞬間、自動ドアが開いて、爽やかな風と共にお客さんが入って来た。若い男性だ。
ーいらっしゃいませ。
彼は、香里奈の声に、ニッコリと微笑んだ。タオルを頭に巻き、ニッカポッカと安全靴のちょっと暑苦しい土方スタイルにも関わらず、彼が纏う空気は森林を吹き抜ける風の様に清涼だった。
……キュン!
ん?
今。胸が。キュン!って。した!?
香里奈は彼から目を離せなくなってしまった。
ドキドキドキドキ。
な……何なの、この胸の高鳴りは?
まさか。まさか?
香里奈の鼓動はどんどん速くなる。地球に来て、こんなにドキドキしたのは初めてだ。そうこうしている内に、彼はビデオを選び終えてカウンターにやって来た。
ーお願いします。
……きゃうん♡なんて素敵な声なの。心臓がバクバクして、上手く呼吸出来ない。
ーかっ、会員カードをっ、お願い、します……。
彼はお尻のポッケから財布を出して会員カードを取り出し、香里奈に会員カードを渡した。香里奈は、バーコードを通しながらさりげなく名前をチェックした。椎葉虎太郎……。彼が選んだビデオのタイトルを確認する。
ーこっ!恋する惑星!?
ーえ?
ーあ、いえ、すみません、なんでもないです。
香里奈はドキドキしたまま、彼の選んだ映画の中身のビデオをピックアップする。「恋する惑星」「パリ、テキサス」「カーマスートラ」「花様年華」。四作全部、恋愛映画だ。ビデオテープをバッグに入れようとして、手を滑らせて、ビデオテープが宙を舞う。
ーあっ!!
彼は素早くビデオテープを受け止め、香里奈に手渡した(その一連の動きがスローモーションに見えた)。
ーはい。落ちなくて、よかったね。
ーす、すみません、ありがとうございます。えっと何泊にしますか?
ーじゃあ4泊5日で。
彼が去っていく時にも、爽やかな森のそよ風を香里奈は感じた。その風は香里奈を恋する乙女にする魔法だった。恋する惑星!!サラスバティ姉様の云った通りだわ。私、恋しちゃったんだ、椎葉虎太郎さんに。その印が「恋する惑星」。そんなタイトルの映画あるなんて、知らなかった。香里奈は映画「恋する惑星」を見始めた。
ああ、なんて素敵なの?なんて可愛いの?でも……はっきり云って犯罪者じゃんね、この子。でもきっと、恋するって馬鹿になることなんだわ。今度は、いつ会えるのかな。発育の良すぎる香里奈の胸は、彼への想いではち切れそうになる。きっと、返却日だよね。でも、早く見終わったらさっさと返しに来ちゃうかも。香里奈はシフト表をチェックした。いけない、かったりぃなんて思って休み多めにしてたんだった!
そこに店長が帰って来た。
ーただいまー。ごめんごめん、今日はオムライス食べたくて「 白猫亭」に行ったらさ、なんと、解体中でさ。仕方ないから、インドカレー食べて来たよ。忙しかった?ごめんね。
ーあの!
ー何?なんか、あった?
ーシフトなんですけど!やっぱり、明日から通して5日間入りたいんですけど!
ーえっ、どうしたの?香里奈ちゃん入れるなら、こちらも助かるけど。
ーありがとうございます!ちょっと、欲しいものがあって。
欲しいのは、ときめきの先にあるもの。恋。
香里奈は椎葉虎太郎のビデオの返却日まで、毎日バイトした。学校が終わったらTATSUYAへダッシュした。どうか彼がまだ返却しに来ていませんように!レンタル中のビデオのリストをチェックして、彼の名前を見つけるとホッとした。彼が借りている他の映画も毎日1作ずつ鑑賞した。どの作品も面白かった。そして、切なかった。恋って、ときめきだけじゃないんだ……。
生まれて初めての感情移入を体験し、バイト中にも関わらず、ポロポロと涙を流して泣いた。
ー大丈夫?
ーあ、す、すみませんっ、いいですね、この映画。
香里奈が振り返ると。
声をかけたのは、彼だった。はい、と青いハンカチを渡してくれた。香里奈はドキドキしながらも受け取り、涙を拭いた。
ー「パリ、テキサス」だね。俺も何回も見たけど、また昨日見ちゃったよ。やっぱり、凄く良かった。あ、これ、返却、お願いします。
香里奈はビデオの入ったバッグを受け取り、確認した。
ーあの。今度、いつ来ますか?ハンカチ、洗ってお返しします!
ーいいよ、そのまんまで。
ーいえいえ、それはダメです。
ーじゃあ、またそのうちに来るよ。それか、すぐそこの「白猫亭」の建て替えで、解体してるからそこに来てもらっても。
ーはい……シイバトラタローさん、ですね。
ーハハハ!コタローだよ!
ーあっごめんなさい、シイバコタローさん。
ーうん。じゃあまたね。
ーありがとうございました!
きゃうーーーーーんっ♡♡♡♡♡♡
なんて素敵なの、椎葉虎太郎さん……。香里奈は彼のハンカチを胸の前で握りしめ、彼の背中を見送った。
その夜、ときめきによる興奮状態の香里奈は眠れなかった。彼のハンカチ(まだ洗っていない)を枕の横に、あれこれと思いを廻らす。彼の微笑み。彼の連れて来た爽やかな風。ニッカポッカと安全靴。宙に舞うビデオテープ。彼の声。何度も何度も脳内シアターで再生する。
ー好き。
つぶやいてみる。きゃーーー♡香里奈はベッドの上でジタバタする。
想像してみる。彼はこう言って私を抱きしめるの。
ー香里奈。好きだ。
きゃうーーーん♡
ていうか。このハンカチ、いつ返しに行こう。何かお礼、したいな。
少女漫画にありがちな手口、いや、手法を使いデートに誘うべきだと思った。映画に誘っちゃおうかしら……きゃーーー♡ジタバタ。ジタバタ。
香里奈は寝不足のまま、朝を迎えた。意味不明な心身の軽やかさよ(そして寝不足によるナチュラルハイ)!ハンカチを手洗いし、丁寧にアイロンをかけ、可愛い紙袋に入れた。バッチリメイクをして、お洒落した。映画館に行き、前売りチケットを2枚購入した。
1999年7の月。
アンゴルモアの大王が地球に降り立つという。でも香里奈にとってはそんなことはどうでも良かった。生まれて初めてときめかせてくれたコタローと生まれて初めてのデート(しかも自分から誘ってしまった……!)が何よりも大事だったから。ちょうどその頃公開されたこの映画、きっとコタローも好きだと確信していた。ハンカチを解体現場に届けに行った時、香里奈は勇気を出して誘ったのだ。
ーうわあ、ありがとう!絶対に観に行こうと思ってたんだ。
(それにしても解体している彼は輝いてた!
元々破壊の女神カーリーであるところの香里奈は、一緒に解体に参加したくてウズウズした)。
デート当日。ギャルメイクは封印、髪はポニーテールにして、ちょっとお嬢様っぽい白のワンピースを着た。
映画館の前で待ち合わせた。コタローは香里奈の知っている土方スタイルではなく、大学生の男の子らしい、ジーンズに清潔な白いリネンのシャツで現れた。爽やか過ぎる♡
予想通りの切なくて可愛いラブストーリーだった。香里奈は隣りで映画に夢中になっている彼を、愛おしいと思った。
映画館を出ると、コタローが云った。
ー素敵な映画だったね。誘ってくれてありがとう。香里奈ちゃん、お腹空いてない?映画のお礼にご馳走したいな。
ーはい!お腹空きました。
嘘。本当は胸がいっぱい過ぎて、お腹なんか空いてない。でも、彼ともっと一緒にいたい。カフェに入って、食事しながら、たくさんお喋りした。緊張しているから彼の質問に答えるので精一杯だったけど、椎葉虎太郎について、沢山知ることが出来た。美大の4年生で学科は映像学科だということ。将来の夢は映画監督。解体の仕事はアルバイトで自主制作の映画の製作資金を作る為だということ。ニルヴァーナが好き。TATSUYAのすぐ近所で下宿していること。
ー香里奈ちゃんも、映画が好きなのかな?
ーはい。だからあそこでバイトしてるんです。映画も、アニメも大好き。
ーそっか。アニメも一通りは見てるけど、そんなに詳しくないから香里奈ちゃんオススメ教えてね!もっといっぱい映画見たいし。またお店で会えるね。なんか嬉しいな……。あっ、あのさ。デザートも頼まない?俺、実は甘いもの大好きで。
きゃー!なんて可愛い人なのかしら!(キュンキュン♡)
ーそうなんですね。可愛い!
ーあはは、ちょっと、恥ずかしいな。
ー私が頼んであげます!
ー大丈夫、一緒にいてくれたら、頼みやすいし。
ーうふふ。何にしますか?
ーパ、パフェを。桃のパフェ。
ー桃!7月の旬のデザート……いいですね。「ピーチ姫のお気に入り」。すごい名前ですね(笑)。じゃあ、私も桃にします。「桃のスウィーティー・パイ」!
彼はウエイトレスを呼んで、桃のパフェと桃のパイを注文した。
ーお待たせしました。「ピーチ姫のお気に入り」のお客様。
彼は恥ずかしそうに手を上げる。その姿が可愛過ぎて、香里奈はジタバタしそうになるのをグッと堪えた。
ー「桃のスウィーティー・パイ」はこちらでよろしいですか?
ーはい。
桃のパフェも、桃のパイも、可愛らしくて美味しそうだ。
ー知ってる?英語でね、スウィーティー・パイって可愛い子ちゃん、って意味なんだよ。
彼が云った。微笑みながら。香里奈はドキッとしてフォークを落としそうになった。
ーベイビー、とか、ハニーとか、ダーリンって云うでしょ。
ーはい。
ースウィーティー・パイは、可愛い子ちゃんって意味なんだよ。
じっと見つめられた。香里奈は勇気を出して、云った。
ー私、あなたのスウィーティー・パイになりたい。
ーダメだよ。
彼が即答した。
ーえっ。
香里奈は泣きそうになる。勇気、出したのにな。唇を噛みしめる。
涙を堪える香里奈の口元に、桃とアイスクリームを載せたスプーンを差し出し、彼は云った。
ー俺に云わせてくれなくちゃ。香里奈ちゃん。俺の可愛い子ちゃんに、なってくれる?はい、あ〜ん。
ーはい!あ〜ん。
香里奈は元気よく返事をして、桃とアイスクリームをあ〜んして貰った。
さっきの涙は嬉しい涙に変わり、桃とアイスクリームを更に甘くした。桃の魔法にかかった二人は、ピンクのオーラに包まれた。
幸せ過ぎる夏が始まった。
♡♡♡
二学期が始まった。校庭の木々からはトチ狂った様なセミの合唱が響き渡っているし、暑くて暑くて仕方ない。ともちゃんは4時限目の終わりに登場した。香里奈とランチするためだけに初登校したそうだ。涼を取るためにはりきって冷たいそうめん弁当を作って来てくれたそう。
ー結局、地球も人類も滅亡しなかったよね。だから夏休みの宿題やらなかったのにさ〜。それにさぁ、結局、世紀末って云うのは、2000年なんだって。
ーへぇ、そうなんだね。じゃあ、来年じゃんね。アルマゲドンなんて、ないと思ってたけど、まだ油断できないね。
ーねえ。香里奈。
ーん?
ーなんか、私に報告すること、あるんじゃないの?
ーあ、うん。そうなんだよね。
ー彼氏、出来たんでしょ。
ーうん。ごめん、もう夏休みに入ってたから、報告しそびれた。
ー何よ。家電にでもかけてくれば……ってゴメン、私も家にいなかったね。
ーそうだよぉ。私はケータイも持ってないし、何度か家に電話したんだよ?
ーゴメンゴメン。おめでとう!香里奈って男に興味なかったから、びっくりしたよ。こないだ、香里奈が男と歩いてたの見かけちゃって。おったまげたよ!しかも恋する乙女って感じで、一瞬そっくりさんかと思ったくらい。可愛かったよ、あの白いワンピース。
ーともちゃん……ありがとおぉぉぉ(涙)!本当に夢みたい。まだ信じられないけど、彼女になれたよ。
ーで?
ーん?
ーどこまで行ったの?
ーあ、映画館。あ、一回エノシマに行ったよ!それで、サラスバティ姉、じゃない、ベンザイテン様のお参りした。ペルセウス座の流星群も一緒に見たよ。流れ星、幾つか見れたの!後は私がバイトしてる時、迎えに来てくれて、一緒にごはん食べたりとか。あ、1回、解体現場の仕事も手伝った!やっぱりブッ壊すって気持ちいいよね!
ーおいおいおい!そうじゃなくて!
ーえ?
ーキス、とかさ。
ーえ?えええっっっ!
ともちゃんはため息をついた。
ーそんなこったろーと思った!
ーう、うん。
ーでも、安心した。このまま隠れオタクになっちゃうんじゃないかって心配してたんだ。よし!ケータイ、買いに行こう!今日はバイトないよね?
ーうん。ケータイ、欲しい!……でもさ、ともちゃん、今日はヤマンバメイクしないでね。
ーえっ?なんで?
ー目立ち過ぎだから……。
ーわかったわかった!
放課後。ともちゃんと久しぶりにシブヤに繰り出す。相変わらず、人人人だらけ!シブヤのスクランブル交差点を渡る間、巨大モニターが映し出すのはもうすぐリリースされるモー娘。の新曲。
♪ニッポンの未来は wow,wow,wow,wow
世界も羨む yeah,yeah,yeah,yeah
恋をしようじゃないか Dance! Dancin' all of the night♪
香里奈はポケベルも持ったことが無かったから、ケータイを買うなんて!とちょっとわくわくしていた。音が煩くて苦手な電気屋さんも楽しく思えるくらいに。
ー最近は、ケータイゼロ円とかだからね。ゲットして、彼氏といつでも連絡取れるようにしとかないとね。このこのこの〜♡
ともちゃんは、自分のことみたいに嬉しそうに、熱心に選んでくれた。本当にいい子だよね、ともちゃん、大好き!ケータイを購入し終えて、ともちゃんに云われるまま、コタローに電話をかけた。発信音を10回聞いて、香里奈は電話を切った。
ーなんか、忙しいみたい。
ーなーんだ、残念!あのね、香里奈……。
ともちゃん、なんだかもじもじしている。
ー実は、ね。私も彼氏、出来たの。会ってくれる?
ーえええっ!そうなの?早く言ってよ〜。で、どこにいるの?
ーうん。スペイン坂にいると思う。
ー行こう行こう!
ともちゃんの彼は、スペイン坂でアクセサリーを売っている外国人だった。
ーえーっ!超ビックリなんだけど!
ーえへへ。トーメル!この子が私のマブダチの香里奈だよ。
ーOh!トモチャン!My sweetie pie♡カワイイコ♡
キリストの絵にそっくりな髭面の外国人が、ともちゃんを抱きしめ、チュッチュチュッチュとキスの雨を彼女の頭に降らせる。香里奈は呆気に取られて眺める。きゃっきゃっ云いながらキスを受け止めるともちゃんは、本当に可愛かった。良かったね。ともちゃん。幸せそう!
ーねえ、香里奈。代々木公園行かない?恋バナ、聞きたいし、聞いて欲しい!
ーうん。いいよ、行こう!
香里奈にも、ともちゃんにも、話したいことはいっぱいあって。二人は公園通りに出て、コンビニに入って飲み物を買った。トイレに行ったともちゃんを待って、雑誌コーナーで今まで見たことのなかったファッション誌を手にする。ギャルファッションは卒業して、「バッファロー'66」のクリスティーナ・リッチや「パリ、テキサス」のナスターシャ・キンスキーみたいな女らしい服を着てみたいな。
コタローさん、忙しいのかな。電話、かかってこないな。私の番号だってわからないから出なかったのかな。
香里奈はふと顔を上げ、公園通りを歩く人々を眺めた。
……え!?どうして?
コタローが、女の子と歩いていた。女の子はひらひらしたベビーピンクのワンピースを着て、ツヤツヤのセミロングの髪をなびかせて、目をハート型にして彼に微笑みかけている。心無しか彼の鼻の下が伸びてデレデレしている様に見える。
瞬間的に怒りモードに入った香里奈は顔に青筋を立て、目は正にヒンドゥの破壊の女神・カーリー(注※本人。地球に来てみたら、カーリーたち天上の神々はインドという国のヒンドゥ教の神となっていた)の如く見開かれ、目には見えぬが怒りの炎を発している。
ーお待たせ〜!香里奈?どうした?
ーともちゃん。どうしよう。
ーえっなになに?香里奈、顔、超怖いんですけど……。
ーあれ、私の彼氏です。
ーえっ!女連れじゃん!か、香里奈、こ、怖いよ、その顔。
ー代々木公園に向かってるみたいだし、私たちも行きましょう。
ーう、うん(ひぃぃ。敬語も顔も怖すぎる……)。
香里奈とともちゃんは、コタローと女の子(あざとい)の後を追った。ともちゃんは、こんな怒り狂った香里奈を見るのが初めてで、ビビっていた。すれ違う人々もギョッとして振り返る程の殺気。つけられていることなど気づかぬ彼らは公園内をどんどん進んでいく。
ーあっ!何してんのよ!!
女の子が彼の腕にしがみついたではないか!怒り狂った香里奈は、ダンダンと地団駄を踏んだ。
その瞬間。
地面にヒビが入りそうなほど派手に地面が揺れた。
ーきゃぁっっっっ!!
女の子が悲鳴を上げ、彼に抱きついた。
お前達……何をしているのだ。
香里奈の怒りが爆発した。先刻まで晴れていた空が一瞬で薄昏い雨雲に包まれ青い稲妻が走った。ともちゃんはビビり過ぎて香里奈を止められない。
ーコタローさん。
ドスの効いた声に、彼は振り返る。
ーあ、香里奈ちゃん。
ーどういうことなの?誰よ、その子。なんなの?
ーあ、この子はいとこの瑠花。獅子戸瑠花(シシドルカ)ちゃん。今度、僕の映画に出て貰おうかと思っていて。
ーいとこ?
ーはじめまして。瑠花です。コタロー兄ちゃんの婚約者でーす♡
ーこ、婚約者ですってぇぇぇ!?
ーち、違うよ!香里奈ちゃん!瑠花、それは子供の頃のお遊びでしょ。俺の彼女は香里奈ちゃんなんだから。
俺の彼女は香里奈ちゃんなんだから!
俺の彼女は香里奈ちゃんなんだから!
俺の彼女は香里奈ちゃんなんだから!
その言葉は頭の中で響き渡り、香里奈の怒りを鎮めてしまった。
ーえ。彼女?この、怖いヒトが?
ーそうだよ。香里奈ちゃんは怖くないよ。可愛いんだよ!だから勘違いさせる様なこと、言わないでくれよ、瑠花。
ーコタロー兄ちゃん、酷い。約束、したじゃない。大きくなったら結婚しようねって。うわーん。
瑠花が子供の様に泣き始めた。すると、香里奈が先ほど呼び寄せてしまった雨雲から、大粒の雨が降り、あっという間に激しい豪雨となった。
ーうわぁ、降って来た!皆、雨宿りしよう。
コタローがそう云って走り出す。皆も歩道橋の下まで走った。
ーこれじゃロケハンも中止だな。ちょっとカメラも回してみようと思ってたんだけど。
そう云って彼はケータイで電話をかけた。
ーあれ?この番号、誰だろう。
ーコタローさん、それ、私の。さっきケータイ買ったの。
ーそうだったんだね。後で登録するね。……あ、もしもし?真珠(まじゅ)ちゃん、今日はもう無理そうだから帰ろう。悪いんだけど、迎えに来てくれる?
迎えを待つ間、コタローはともちゃんに自己紹介をして、泣いている瑠花を宥めた。瑠花は全然泣き止まなくて、だからなのか、雨もなかなか止まない。暫くして、ワゴン車が現れた。
ーみんな、乗って!
運転手は思わず二度見してしまうほどの眼鏡美女だった。全員車に乗り込んだところで車が走り出す。
ーすごい雨だね。みんな大丈夫?あーあー。コタロー、みんなもびしょ濡れだね。とりあえず、家に向かうね。
ーいい湯っだっな!アハハン!いい湯っだっな!アハハン!
コタローが楽しそうに唄う声が、女湯にも響き渡る。
真珠の家に着くとすぐに、全員、銭湯に連れて来られた。香里奈もともちゃんも瑠花も、家のお風呂しか知らなかったから、ちょっと緊張していた。でも大きな浴槽や電気風呂やジェットバス、壁に描かれた富士山……。なんだか楽しい気持ちになってしまった。瑠花もすっかり泣き止んで、電気風呂でビリビリしては爆笑していた。
風呂上がりには、真珠がみんなにフルーツ牛乳を買ってくれて、みんなで腰に手を当てて一気飲みして笑った。
ーよかった。みんな子供みたいないい顔してる。
真珠がそう云って笑った。外に出ると、夕暮れのピンクに染まった空に、虹が出ていた。
ーわぁ!虹が出てる!
ーおお〜!綺麗だねぇ。
虹を見上げるみんなは子供みたいで可愛くって、地球ってなんて素敵な星なんだろう、と香里奈は感動してしまった。
銭湯のあとは、みんなで丸いちゃぶ台を囲んで、真珠の母が用意してくれた夜ごはんをご馳走になった。
ーみんなで食べるごはんは美味しいね。
またいつでもおいで。でも喧嘩はなしだからね。わかった?香里奈ちゃん、ご近所さんだし、これからも宜しくね。
真珠はまた車を出して、ともちゃんと瑠花を送ってくれた。香里奈は近所だから、コタローに送って貰った。初めて、手を、繋いで。
ー香里奈ちゃん。今日、初めて香里奈ちゃんの怒った顔見たけど、超怖かったよ。
ーごめんなさい。
ーなんで謝るの?
ーだって、勘違いして……。
ーふふっ、嬉しいな。嫉妬してくれたんだ?
ーコタローさんの馬鹿っ!
ーごめんごめん。
コタローは香里奈を抱きしめた。
ー云ったでしょ。俺の彼女は香里奈ちゃんなんだから、って。
ーうん。でも、心配になっちゃったの。
ー香里奈ちゃん、好きだよ。
ーコタローさん。大好き♡
初めてのキス。
このまま、空だって飛べそうなくらい、幸せだった。
幸せ過ぎて怖いくらいだった。
♡♡♡♡
香里奈とコタローはデートを重ね、日々愛を深めていった。デートは映画を観に行くことが多かった。コタローの部屋でも映画やアニメのビデオを観た。コタローは脚本を書くと真っ先に香里奈に見せてくれた。コタローは想像力が豊かでアーティスティックで、香里奈はますます彼を好きになる。
或る日、コタローの部屋で「アルマゲドン」を観た。あんなに流行っていたのに、ちょっと天邪鬼なところのある二人はあんまり興味を持てなかったのだ。1999年は世界中が地球滅亡を騒いでいたから。
カーリーであるところの香里奈は出来損ないの星を幾つか壊している超本人なので、星が壊れることの重大さへの実感が沸かなかった、というのもある。
しかし、地球にやって来て数ヶ月(天上の世界ではほんの数秒)、ヒトたちと触れ合い、恋に落ちて、地球を好きになった香里奈は、この星を大事にしたいと思う様になっていた。だから、コタローといちゃいちゃしながら「アルマゲドン」を観てリブ・タイラーに感情移入して泣いてしまった。
もしも、地球が壊れてしまったら。想像するだけで悲しい。胸が苦しい。
「恋する惑星☆ときめきコース」はいつまで続くのかしら。私は帰りたくなったらいつでも天上に戻れる。そうだった、私、女神だしね。どうせ、天上では数秒しか経っていないしね。
いつ帰るのかを決めるのは香里奈なのだ。
「アルマゲドン」を観てからというもの、香里奈は塞ぎ込んでしまった。食欲も無くなり、夜もあまり眠れなかった。ムチムチピチピチしていた香里奈はどんどん痩せていき、みんなが心配してくれればくれるほど、苦しくなった。コタローは何も云わずに、ただ香里奈に寄り添っていてくれた。
ー香里奈ちゃん。また流星群が来るんだよ。今度は車を借りて、山奥で見ようか。
ーうん。コタローさん、ありがとう。大好きよ。
ーおいで、可愛い子。
コタローは香里奈を抱きしめ、頭を撫でながら云った。
ー俺も香里奈ちゃんが大好きだよ。何があっても、香里奈ちゃんを守るから。
その言葉に、その愛に包まれて、香里奈はとても幸せだと思った。
ー私も。私も、コタローさんを守るからね!
二人はぎゅっと抱きしめ合った。
その日、初めて二人は結ばれた。
♡♡♡♡♡
獅子座の流星群に混じって、過去、観測されたことのない巨大な彗星・カーラが地球に近づいていることがニュースが世界中を騒がせたのは、その翌朝のことだった。
世界中がアルマゲドンだ!とパニック状態になった。
……駄目よ、絶対!
彗星ごときが、地球を破壊するなんて赦さないわ。
私が行く。
さようなら、コタローさん。
さようなら、お父さん、お母さん、お兄ちゃん。
さようなら、ともちゃん。
憎たらしかったけど瑠花も。優しく色々教えてくれた真珠さんも。 TATSUYAの店長も。
みんな、ありがとう。さようなら。
香里奈は、みんなにお別れの手紙を書いた。
イノカシラコーエンに行き、ベンザイテン様をお参りした。コタローと一緒に行ったエノシマを思い出してしまい、涙が止まらない。楽しかったな。弁天丸。立派なジンジャ。海水浴。海の家で二人で食べたたこ焼きとラーメン。抹茶ミルクかき氷。花火大会。走馬灯の様にコタローとの恋の日々がよみがえる。香里奈は号泣しながら、サラスバティと交信する。
ーサラスバティ姉様。私、巨大彗星を壊したいから、そっちに戻る!素敵なコース、ありがとう。
ーカーリー、あらあらそんなに泣いちゃって。大丈夫?こちらに戻るのね、わかったわ。
サラスバティのヴィーナが聴こえて来た。
それを合図に、カーリーは天上に戻る為のマントラを唱えた。
♡♡♡♡♡♡
来た時と同じ様に、数秒で、香里奈は、カーリーは天上の世界に戻った。
戻るやいなや、サラスバティの蓮池にばしゃばしゃと入って行き、水上に浮かぶ銀河に浮遊し地球に向かっている星の欠片・彗星を捕まえて蓮池に沈めた。
ーカーリー、おかえり。
ー姉様ぁぁぁ。
びしょ濡れになりながら、カーリーはサラスバティに抱きついた。
ー間にあったかしら。地球、大丈夫だった?
ーHey,π!地球、カーリーが救えた?
サラスバティが、Sweetie πに訊いた。
ーカーリーのおかげで、地球は粉々にならずに済みました。時田香里奈が行方不明になり、彼女の残した遺書が物議を醸していましたが。暫くの間、新聞や雑誌で騒がれていました。
ーえっ、何それ、凄いわね。ちょっとその記事を読み上げて。
ー『リアル救世主はギャル?17歳の少女が地球を救ったのか!?
世界を震撼とさせた巨大彗星が日本の首都である東京に落ちると言われた前日、東京都中野区の女子高生・時田香里奈さんが遺書を残して行方不明になった。
その遺書は家族・恋人・友人などに宛てられており、恋人への遺書には、「あなたと出会えてとても幸せでした。私にときめきを教えてくれてありがとう。地球は本当に素敵な恋する惑星ね。地球を壊したくないから、私が彗星をブッ壊しに行きます。愛してる」とだけ書かれていた。彼女が行方不明になってすぐに彗星は消失しており、NASAも今世紀最大の奇跡でありミステリーであると動揺を隠せずに伝えている』
カーリーは胸を撫で下ろした。
ーあー良かった。でも、私が地球にいる間に本当にアルマゲドンがあるなんて思わなかったからビックリだよぉ。原因は何だったの?
ー原因はこれだよ、カーリー。
シヴァが、カーリーが創造して破壊したピンクの星を人差し指の上でクルクル回しながら云った。
ーええっ!?じゃあ、あの彗星は私のせいだったのね……。
ガックリと肩を落としたカーリーを、シヴァは抱きしめた。
ーおかえり。カーリー。香里奈ちゃん。いっぱいときめいた?
ーえっ。もしかして……シヴァが、まさか、
言いかけたカーリーの唇がシヴァの唇で塞がれた。
キュン♡カーリーの胸が反応する。
この感じ……やっぱり!驚いてシヴァを見つめるカーリーに、シヴァが云った。
ーおかえり、僕のスィーティー・パイ。
了