「主体的に生きる」と「内省」
主体的に生きると決めてから、心の声が聞こえる様になった。
例えば自分には派手すぎて似合わないと思っている赤い服。でも着てみたくて自分の体に当ててみる。
「そんな派手な色着たら恥ずかしいよ」
赤が似合わないなんて、誰にも言われたことないのに、どうしてそう思うんだろう。
例えば職場の半分仕事のような飲み会ではなく、私自身が楽しむための飲み会に参加するとき。
「子供のことを置いて、夜で歩くのは母親としてどうなのかな」
以前はこの心の声に、耳を傾けすぎて、行きたいという思いを殺していた。
今までこうしない方がいい、これは違う気がすると感覚的に判断していたのが、自分の中で言語化されて、本当にそうなのかなと思うチャンスをくれている。実際この心の声は、自分自身の中にある過去の経験からの囚われや、思い込みなどアンコンシャスバイアスが作用している。
無意識に自分には赤が似合わないという思い込みや、母親は無闇矢鱈による外を出歩かないという囚われが私の中にあったのだ。
それは過去の経験から蓄積されたもので、あまり意識していなかったものたちだ。
赤色の服が着たければ着ればいいし、母親だってたまにははしゃいだっていいのだ。
自分の中にはこういう思い込みがあったんだな、と気づき認めることで、自分を許し、自分の選択を肯定できるようになっていると、強く感じる。