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自分って単純だなぁ、と思う。
仕事でインスタ投稿してて、ちまちまCanvaで作っているのだけど、作ってる最中は面倒くさいよー、性に合わんわー。とグチグチ言ってても、なんとなく形になって、投稿しちゃえば、楽しかったかも。ハート一つ貰えれば、私向いてるかもなんて思っちゃったりして。
これいいよ、って先輩から教えてもらったネットの仕事のやり方の記事に刺激を受けて、すぐに試してみちゃうとか。
4ヶ月ぶりに開いたnoteで、フォロー
noteを始めて良かった話
目まぐるしく変化する毎日で、すっかり自分の気持ちを言語化することに逃げていた、今日この頃。
時間が少し出来たので、2023年を振り返ってみようと思う。
今年は自分の気持ちに素直になる、を念頭に置いて動いた一年だったように感じる。
noteを始めたのもそのひとつ。
誰も読んでいない、誰も求めてない、だから何も発信しない。
そう思ってSNSからは距離を取っていたのだけど、自分が書きたいんだから書
慣れると楽しくなることもある
息子が生まれて、やる様になったことの一つが料理だ。
学生の頃から一人暮らしをしていたので、簡単な料理は作れる。
気に入ったらそのメニューが何日続いてもいい、そんな性格だったので1週間キムチ鍋とか、1週間豚とキャベツのパスタとかそんなことばっかりやっていた。手の込んだメニューは面倒で、作り慣れているものばかりを作っては食べていた。
そして家の近くにはいつもコンビニがあった。お察しである。
とはい
「継続」と「連続」は別物ということ これでもいいのだを読んで
私は隠れ完璧主義者である。
だから日記を書き始めても、書く時間が取れなく空白のページが出来るともう嫌になってしまう。その日記帳に空白があるということは、完璧な日記ではない様な気がしてしまうのだ。継続することに意義があるのは分かるし、一日二日書かなくたって、飛ばして書いてしまえばいい。そしてそこからまた再スタートを切ればいいのに、やる気が出なくなって二月半ば頃でやめてしまった日記帳が家にはたんまり
本屋さんへの憧れと畏敬
私は本がある空間が好きだ。
本屋さんも図書館も本が売りのカフェも服屋さんの片隅に置かれた本も、自分の本棚も。
見せる前提の公共の場で少しでも本が置いてあれば、どれどれと見てしまう。
逆にプライベートな場で本があったら目を背けてしまう。それは個人的なものでジロジロ見たら失礼なんじゃないかと思ってしまうから。でも興味はすごくあるから、見てはいいかと聞いてから、見る事も多い。
私は私の蔵書をあまり
「主体的に生きる」と「人との関わり」
前回、自分が何か行動を起こそうとする時に、心の声が聞こえるようになったと書いた。
人と関わる時、特になんでこの人はこういう言い方をするのだろう、こういう行動をするのだろう、とモヤモヤする時。はっきり言えば不快な時に心の声が聞こえるようになった。
不思議だね。褒めてもらえたり、肯定してもらえた時は聞こえない。自分と同じ考えだと認識しているから、心の声もおとなしくしているのか。
例えば、会社で何
「主体的に生きる」と「内省」
主体的に生きると決めてから、心の声が聞こえる様になった。
例えば自分には派手すぎて似合わないと思っている赤い服。でも着てみたくて自分の体に当ててみる。
「そんな派手な色着たら恥ずかしいよ」
赤が似合わないなんて、誰にも言われたことないのに、どうしてそう思うんだろう。
例えば職場の半分仕事のような飲み会ではなく、私自身が楽しむための飲み会に参加するとき。
「子供のことを置いて、夜で歩くのは
私は私で、最高だ くもをさがすを読んで
30歳を数年過ぎて、恥ずかしいと思うことが減ってきた。
もっと若い頃、二十代の頃までは近くのスーパーに行くのにもメイクをして、きちんと着替えて買い物に行った。誰に見られる訳でもないのに、ボサボサ髪で外に出るなんて考えられなかった。だから実家にいる時なんて、両親からあんたは出掛けるのに時間がかかりすぎると小言を毎回言われていた。
それが今や近所への外出なら、髪をとかして、その時着ていた部屋着にシ
すんなり終わらないエピソードトーク
母親になってから、息子を交えた場で話が1回ですんなり終わったことがない。
例えば実家に帰省しで父母私息子で食卓を囲んでいるとしよう。
私
そう言えば仕事でね、研修があってさ、前話した先輩がー、
息子
ねえねぇ、今保育園でダンス踊ってるんだよね!
私
そうだねえ、踊ってるって先生も言ってたもんね
(返答しながら、そう言えばこのダンスの可愛いエピソード教えてあげようと思ってたんだ!と父母に話を