読書が強迫観念になった話
ここ二週間位精神状態が悪かった。結論から言うが、その原因は読書だった。
私は前職で適応障害からうつ病を発症した。運良く転職先に恵まれた為、正社員として労働しながら五年近く心療内科に通院している。長年の投薬が功を奏し、今では調子が悪い時でも気分がどんよりとする程度になってはいる。
しかし、それにしてもここ二週間位は本当に調子が悪く、謎の焦燥感が酷かった。元々季節の変わり目は調子が悪くなりやすかったが、それにしてもいつもと比べて精神状態が悪かった。精神状態が急変する場合、大体トリガーとなるような出来事があるが正直全く思い当たる出来事がなく謎に精神状態が悪かった。
何もやる気が起きないのに何かをしていないことに罪悪感を持つ。私の適応障害が悪化してうつ病になってしまった要因として、「生産性」のない時間に罪悪感を持っていたというのがある。学生時代は出来た1日12時間以上勉強する限界勉強法も、社会人となり加齢すると体力的に厳しくなり、意図的に空白の時間を作る必要が出てくる。賢い人は学生から社会人になり、環境が変わる時に休憩を上手く入れるようになる。私は発達障害特有の要領の悪さで方法のマイナーチェンジが下手くそな為、体力のあった頃のやり方をやり続け、その上発達障害特有の空気を読まないムーブを繰り返し(※これは女性がやると男性よりも周りから数倍のブチキレポイントを獲得する)、精神を爆発させて前職を逃げ出した。
今はカウンセリングを経て、「休憩」の重要性を認識しているはずなのに、何故前と似たような精神状態になっているのか、謎であった。
しかし、ふと思い返すと最近ノルマ化しているものがあった。それが読書だった。
私は毎年読書記録をつけているが、今年九ヶ月で三百六十三冊読了している。月換算で約四十冊、つまり毎日一冊以上読み終わっているのだ。
元々私はかなり本を読むのが速い。小説なら三百頁程度なら二時間以内に読み終わる。勿論人文書等読むのに時間を要するものは同じ文量であってももっとスピードは落ちている。しかし、元々学生時代を専門書を読んで勉強して終わった(※個人的にこれは良い学生時代の過ごし方だったと思っている)ので、専門書も平均よりも速く読んでいるとは思う。
読書好きな人なら知っていると思うが、「読了」はそれ自体が快感である。読み終わった!という体験は簡単に達成感を得られるからだ。
本を読むこと自体は色々な方向性がある。読むのが楽しいから読んでいる人もいれば、実質的な勉強の人もいると思う。私は元々は読書=勉強であり、書いてあることを知り、知識を増やす為に本を読んでいた。小説は義務教育時代以降読んでおらず5年前位に独立系書店巡りを始めるまでは、楽しいから本を読むということをしていなかったので小説を読み始めたのは割と最近である。
去年は百冊読んだ位で終わったが、今年は映画を観る気力がなくなった分読書をする気力が沢山あり、とにかく読書をしていた。最初は楽しくて読書をしていたが、記録をつけて日々増えていくペースを見ていると「前の月より本を読もう!」となってしまった。
これがきっと良くなかった。
いつの間にか読書は前月を超える必要のあるノルマになってしまった。その結果、空き時間に本を読まないことに罪悪感を持つようになってしまった。そのため、休憩を設けずに読書をしてしまい、脳の疲労が酷くなってしまったのだろう。その結果、精神状態が悪くなった。何もやる気が起きないのに、余暇に何もしていないことに罪悪感を持った。
その状態に早めに気がつけたのは幸いだった。一週間断食ならぬ断読をすることにした。強制的な休憩をすることで前月は絶対に超えられない状態を作り、ノルマの意識を解消するためだ。
今回の経験で、記録をして可視化することも割と弊害があるんだなと気づかされた。これは私の過集中しやすい気質もあるだろうが、皆さんも気をつけてください。
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