【美術】さいたま国際芸術祭2023<メイン会場>
行ったほうがいい。ぜひ行ってほしい。
さいたま国際芸術祭2023のメイン会場を観るにあたり、必要なものを列記する。
▢3時間程度の時間
▢歩きやすい靴
▢脱ぎやすい服装
▢水分補給用の飲み物
▢A4のクリアファイルがあると便利
リストから想像がつくように、3時間、会場をぐるぐる歩き回る展示だ。
階段が多いので汗もかく。薄い服を何枚か重ねた服装が、体温調節しやすくておすすめ。
クリアファイルは、会場マップやその他チラシ類がきれいに収まるし、チケットの出し入れにも都合がいい。
ディレクターは現代アートチーム、目[mé]。
目[mé]は2019年の千葉市美術館『非常にはっきりとわからない』展で、賛否両論の大反響を呼んだことが記憶に新しい。私も(ネットでバズっているらしい)と知って出かけたミーハー美術ファンのひとりだ。
『非常にはっきりとわからない』展の記事
『わからない』展と同様、本芸術祭も、歴史ある建物全体をインスタレーション作品として展開する手法がとられている。
1970年に開館し、昨年その役目を終えた「旧市民会館」が今回の舞台。長く市民に愛されてきたことが伝わってくる、趣のある建物だ。
見えているのにたどり着けない。透明な障壁。
受付でチケットを買って、まずはと目の前の展示空間に進もうとすると、入れない。透明なパーテーションで区切られているからだ。
てっきり、自動ドアだと思ってその前で数秒、待ってしまった私は、ばつの悪い思いでそこを離れる。
(なぜ、スタッフは順路を案内してくれないのか?)
軽いいらだちを覚えながら、もらったばかりのガイドマップを参考に、違う方向へ歩き始める。
1Fの盆栽の展示を見て、ミュージアムショップそばの階段を上がる。すると、特に展示のない空間が広がるのみ。
首をひねりながら降りて戻る。そして、さっき入れなかった1Fの奥を指差し、「ここに行くにはどうしたら?」とそばのスタッフに尋ねると、
「一回この建物を出てですね、あの外階段を上がって中に入っていただきまして、そうしたら1Fに降りる階段があります」と、丁寧に説明してくれた。
つまり、1Fに行くのに一度2Fに上がる必要があるということ。なにそれめんどくさ……あっ。
私は千葉市美術館の展示を思い出した。そうだ、目[mé]って、こういう人たちだったよ!
スタッフが自分からは案内しようとしないのも納得。迷うのもアートのうちだから。
作品と建物は一体。効率的な動線を遮断する、邪魔っけなパーテーションも、作品の重要な要素。
高尚な演劇・音楽ホールが、いたずらっ気たっぷりのびっくりハウスに変身する。イライラはどこかに消え、代わりにわくわくした探検気分がやって来る。
会場スタッフとのコミュニケーションも、作品の一部。
このあとも大勢のスタッフに、何度も何度も行き先を尋ねることになる。
会場マップが、おそらく意図的にわかりづらく作ってある。まさに、「非常にはっきりとわからない」。
当初、人に頼るのはよほど困ったときという意識があってためらったが、途中から気軽にばんばん訊くようになってしまった。
同じところを何度も通るので、さっきお世話になったスタッフに、
「無事に3Fの展示、行けましたか?」と話しかけられたこともあった。
また、スタッフ自身も道がよくわかっておらず、一緒にマップをのぞきこみながら
「ここからこう行ってこうですかねえ~」と知恵を出し合ったこともあった。
極めつけは、「この展示を観たいのですが」と例によってスタッフさんに尋ねていたら、みるからに現場のリーダー格だろうというオーラのある男性が通りかかって、すぐにその場に案内してくれたばかりか、会場内に隠された、遊び心のあるオブジェをいくつか教えてくれたこと。
帰宅後、WEBを見ていたら、芸術祭の紹介記事内にお写真が。
目[mé]のおひとり、南川憲二さん!
ニコニコして愛想が良く、とっても感じのいい方だった。お会いできてとてもラッキー。
案内ついでに、「会場内の自販機で売っているオリジナルのコーヒー飲料、おいしいですか?」と伺った。すると少し眉をひそめて
「あれ買うんですか?高いですよ?」
お値段は800円。アート作品と思えばむしろ安い方では?と思っていた私に「高いですよ」と何度も言われるので面白い。
お味の方は、「う~~ん」と返事を濁された(笑)。
そして、自販機の近くに、空き缶を投げ込むためのゴミ箱の作品があると教えてくださった(本当に投げてはいけません)。これは見逃していた。戻って、無事に観ることができた。
南川さんに、「何度も同じところを通るの、迷っているみたいでちょっと恥ずかしくて」と言うと、
「いやいや、とんでもない!5回でも6回でも、何周でもしてください」と元気よくおっしゃった。
こんなコミュニケーションも、アート体験の大事な一部だろう。
ざっくりと作品感想。
今村源『うらにムカウ』
ワイヤーで表現した水面を境界にして、上下に鏡像が展開するオブジェクト。
ふたつの異なる世界が同時に見えているようで幻想的。窓からの採光も美しく、うっとりと見入った。
これは誰もが気に入ってしまうのではないだろうか。
『スケーパー研究所』
SCAPERとは、風景をかたちづくるものという意味の造語で、会場内に点在する、ちょっとした不可解な物品や、展示スペース内に展示物として佇む人間を指す。
宝探しの感覚で「あっ、スケーパー発見」「あれもそうじゃない?」と楽しめる。スケーパー役の人は募集もしているようだ。
もちろん、スケーパーと思わせて、単なる市民会館の備品だということも多々あるので気が抜けない。
スケーパーを見つけたら、研究所でリポートを書いてもいい。壁にはお客さんのリポートが貼られている。
L PACK.『定吉と金兵衛』
これは必見。さきに触れた缶コーヒー販売機も含む、複合的なインスタレーション作品だ。
内容はコミカルな落語風。ナンセンスで楽しい。
『大ホール』
これは作家の作品ではなく、市民会館が誇るホールに手を加え、インスタレーション化したもの。1Fからは観客席に、2Fからは舞台や舞台袖に入れる。どのように手を加えたのか。ぜひご自分で体験してほしい。
作品と自分に境界はない。それが「わたしたち」。
現代美術を意識的に観るようになったのは、旅行がてら出かけた瀬戸内国際芸術祭がきっかけだ。
第2回と第3回に行っており、実は両方で目[mé]の作品も観て、印象に残っている。
民家や廃校、砂浜など多様な場に展開されるアートを観て、美術館のホワイトキューブにあるものだけが美術ではないと初めて知った。
そこから徐々に、自分にとって、美術の定義が広がっていく。
1 絵画や彫刻
↓
2 絵画や彫刻の形式にとらわれない作品(空間展示、映像やパフォーマンスなど)
↓
3 作品を観るという観客の身体的体験
↓
4 作品を観たあとの観客の意識の変化
現代美術は、3や4も作品に内包していると思う。
さいたま国際芸術祭に関していえば、3は、階段を上り下りしてなかなか大変な鑑賞体験にあたる。
そして、透明なパーテーションで区切った空間を観客が移動することで、観客自身が「スケーパー」にもなる。観るだけではなく、観られている。大きなインスタレーションの一部になっているのだ。
私は上のリストに、
5 作品を観ている観客自身
も、定義に加えなくてはいけないかもしれない。
そんなふうにあれこれ考える「意識の変化」がスリリングで面白く、得難い体験になった。
観客=私と作品との境界は溶け合い、「わたしたち」となる。
芸術祭が今回のテーマとしている「わたしたち」。その定義は私にとって柔らかく、温かく、曖昧なものになった。
長くなったが、さいたま国際芸術祭には、
行ったほうがいい。ぜひ行ってほしい。
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