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【エッセイ】#30 人間万事塞翁が馬というけれども
私は結構、適当だ。
気分や感情で仕事をすることが多い。
こと執筆に関しても自らの心の内をなにも忖度せず、ポロポロと書きこぼす。そんな文章はあまりいいとはいえないかもしれないがある意味ストレス解消になっているのも事実だ。
若いころから比べ、この年齢(44歳)になると、ずいぶん性格も変わってきた。
今までは、血の気が多く、細かいことにもピリピリしている性格だった。だが、最近では「ど~でもいいよ~」ということが多くなっている。
本業で命に係わる仕事しているためか、たいていの失敗には寛容だ。
いうなれば「死ななければ、なんだっていいよ」って感じだ。これまで、「死ぬような失敗」や「人生終わった」と思うような失敗も重ねてきた。でも、少し時間を置き、冷静になればなるほど、どうでもいいと思えるものばかりだった。発生してしまった時点では、大変に感じていても、終わってみれば「こんなもの?」と首をかしげる案件もあった。
要するに「騒いだ損」。
こういった人生を送ってきたからこそ、周りからは「血の気が多い」「生き急いでいる」「幼い」「一人であせっている」と揶揄されていたのだ。
今振り返ってみても、顔が赤くなるほどに恥ずかしい性格をしていた。
この「ど~でもいい」という感覚が身についてきてからは、楽に生きられるようになったと感じている。
過去の私はなんでそんなにもピリピリしていたのかもとも思う。仕事や家族、友人や生活に関しても楽になった。
「なるようになるさ」「どうにかなる」と思うようになることで自分も周りの人も楽になった。こんな状態を「人間万事塞翁が馬」というらしい。
んでもね、この状態があまりにも長引いたり、この思考が定着してしまったりしてはいけないとも思う。なされるがまま、流されていくというのは、周囲に責任を求めてしまうこと。
つまり他責思考になりやすいのだ。まあ、「自分はこんなに緩いんだから、この結果で当然か~」と素直に受け取れないのが私の問題の性格であり、思考的欠点だと思う。
ある程度の意識の高さや向上心、前向きな姿勢を持ち続けなければ、思考としても行動としても堕落してしまう一方だ。そう、人は安きに流れやすいからだ。
要はバランスなのである。
いい具合のテキトー加減と緊張感。
相反する二つのバランスをとることで、無理をしない生き方ができるような気がする。
あなたにも無理をせず、ときどきに合わせた楽な考え方をしてほしい。