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【エッセイ】#01 文章が上手くならないのは、〇がたりないから。もっと〇にまみれろ。

 文章が上手くならないのは、〇が足りないから。もっと〇にまみれろ。


 文章が上手くなりたいという人から私は相談を受けることがある。結構な頻度で言っていることを今日はご紹介します。キツく聞こえるかもしれないけど、よかったら読んだってくださいな。

  正直、文書なんてものは書いているうちに少しずつ身についていくものなので、人に習うより、まずは本を読み、そして書き続ければいいというド正論をぶちかましてみる。
 
文章は、小学校や中学校の国語で習ってきたというが、本当にそうだろうか?
 これらの時分にきちんと内容を理解し、自分の書く文章にしっかりと適用してきた人がどれだけいるだろうか?

 はっきりいって皆無であろう。
 そんなに意識的に文章に向き合う小学生や中学生が居たら私はその子に師事したい。

 いや。
 そんな子とはお近づきになりたくない。

 それくらいの年齢の子どもは、遊ぶことに全力であってほしい。
 それが「ああ、その文章は反語と隠喩を用いて~」なんて言い出したら、それこそ張り倒してしまいそうだ。
 あなたが文章を書くことがうまくなりたいと思ったきっかけは何だろうか?

 ああ、一部の例外(幼い頃から文学を愛してやまない、小中学文芸部のオタクな子どもたちなど)を除けば、高校生や大学生が論文や発表会でいいカッコがしたいなどがイイところではないだろうか?
 
 いや。そんなときでさえ文章能力を向上させたいなんて思わないだろう。


 では、どんなときが多いのだろうか?
 
 丁寧な日本語を海外の人たちに伝えたいから。
 ビジネスで取引先に失礼の無いようにしたいから。
 SNSなどで注目され、フォロワーを増やしたいから。
 自分の商品を売りたいから。
 会社で一目を置かれたいから。
 本を書きたいから。

 最初に書いたような人は、すでに文章能力を向上させるために何らかの努力をしているし、むしろ聖人君子ぶっていて私が最も苦手なタイプなのでシカとしよう。
 
 2番目以降がもっともな状況ではないだろうか?
 文章がうまくなりたいあなたも近からず、遠からずといったところではないだろうか?
 

 これってね。どれをとっても「欲」があるからこそ、文章能力を向上させていと思っているのよ。

ビジネスで取引先に失礼の無いようにしたいから。
 →失礼な奴だと思われたくない。

SNSなどで注目され、フォロワーを増やしたいから。
→自分のSNSでの発信を見てほしいから。

自分の商品を売りたいから。
→商品を売って、お金が欲しいから。

会社で一目を置かれたいから。
→仕事ができるように見られたいから。

本を書きたいから。
 →本を書いた自分を認めてもらいたいから。

 ああ、先述した「幼い頃から文学を愛してやまない、小中学文芸部のオタクな子どもたち」だって、「幼いのにそんな難しい本や言葉を知っていてすごいねと言われたい」という自己顕示欲の現れだったりする。

「そんな欲のために文章がうまくなりたいわけじゃあない」
阿呆でもそんなことは言わないでほしい。

先の例の「丁寧な日本語を海外の人たちに伝えたいから」だって、その先にあるのは、「丁寧な日本語を教える自分」というステータスを手に入れたいのが潜在した欲求だったりする。
聖人君子のようなことをいっていようとも、その根源には「欲」がある。

だからね。本当に文章が上手になりたいのであれば、自分の中にある「欲」をしっかりと認め、貪「欲」になってみたらいいんじゃあないか。

その「欲」が本当に満たしたいのであれば、そのために一生懸命になるでしょ?
絶対に満たしたい「欲」であれば、その手段である文章をマジで学ぶでしょ?
お金がほしい、商品を売りたいという「欲」が本気であれば、売るための手段である文章をしっかりと学ぶでしょ?

もっと「欲」にまみれて、「欲」をもっと欲すれば、その手段である文章はおのずと上達する。

文章が上達しない? あなたは本当に「欲」を満たしたいのであろうか?
適当に文章を書いていたら、上達するものもしない。

「自転車にはじめて乗ることに挑戦したとき」と同じだ。
自転車に乗りたい「欲」を純粋に求め、自転車に乗るためにバランスを取り、ペダルをこぐことを練習する。最初は怖いけど、気が付けば自転車を乗りこなせていたりする。

これって今回は、文章で説明したけど、歌やスポーツなどなんでも同じなんだよね。
上達したいことがあったら、その先の「欲」に真剣に向き合い、まみれろ。
上達しないのは、あなたの「欲」がすくないから。
「欲」に対して、真剣に考えてみて。

あ、そういえば、私、いつまで経っても「忖度」がうまくならないや……。

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