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【エッセイ】#11 好きな作家は伊集院静さんだ

 はじめて狂ったように読んだのは伊集院静さんの作品だった。

 私が、35歳を越えて本を読み始めたときにどうしても彼の本を読み、どういった人物なのか知りたかったのだ。
 彼との最初の出会いは、私が高校生の頃だった。いや、正確にいうと彼と出会ったのではない。彼に縁ある方に出会ったのだ。



 高校生男子といえば、部活しているか、食事しているか、恋しているか、漫画を読んでいるか、ゲームしているかであろう。一部の特殊な事例ではあるが読書や作画に力を入れている人種もある一定程度いた。今でこそ、その特殊な事例の人々ともっと仲良くしておけばよかったと思っているのだが、過ぎ去ったことなので、今更、後悔してもしょうがない。

 高校生であった白明(ハクメイ)は、部活と食事と、恋と睡眠にしか興味がなかった。

 そういうものだろ?

 築30年で平屋の校舎は、内庭を横切る渡り廊下で接続されていたため、天気の悪い日には、びしょびしょになりながら教室移動をしたものだった。

 その廊下で私は、恋をしたのだ。
 恋をしたのは、ポスターに描かれる可憐な少女。

 多分、同じくらいの年頃であろう。
 ショートボブの髪型と、大きく、だが、目じりの下がった瞳。少しだけ見える八重歯が私の心を打ちぬいたのだ。

 私はいつも、つるんでいる仲間に聞く。
「このマブイ子、誰よ?誰か知っている?」
 あ、死語を使っていますが、悪しからず。

 当時は、スマホもなく、インターネットも限られた環境からしか使えなかった。そのため、仲間の脳みそが知識のストレージだ。
 仲間が多いことだけが私の取柄であったため、そのネットワークですぐにこのポスターに映る子が誰であるかが判明すると思っていた。

 だが、誰一人としてしらない……。

 当時のアイドルオタクや、グラビア・成年写真集中毒者にも聞いたが一向にわからない。

「そんなことあるかよ」
 誰も知らない子をポスターに起用するなんて、どうかしている。
 半ばヤケになっていた私は、校内の掲示担当教員にこの子は誰かと問い詰めにいく。

 恋に恋している高校生とは阿呆なものである。
 最近の情報に敏感な生徒が知らない女優(?)を公立高校の50歳を越えたさえない教員が知っている訳がないのに。
 若さとは、恥ずかしく、痛々しいモノである。

「んあ? あぁ~。知っているよ。確か~、ちょっと前のアイドルだった子だよ」
 奇跡とは起きるものである。
 いや、起こすものである。
 聞いてみるものだと改めて思う。
 よくやった。俺。
 私は、身を乗り出し、アタマが薄くなり、今でいうバーコードにしている英語教員に食いかかる。

「マジか!? で、なんていう子!? なんてグループなの?」
 正直迷惑な奴である。まともに授業を受けないくせにどうしようもないことばかり聞くとは、我ながら恥ずかしい。
 寂しくなったアタマを横に撫でつけながら、記憶をたどるように思案する。
 私のアタマがここまで散らかってしまったら、潔く坊主にしようと思う。


「あ~、っと。たしか、その子、すでに亡くなっているぞ。確か5年前に白血病だったかな。旦那が、作家とかいう「やの字」の商売をやっていたような……」
 恋に落ちてから、約30分。
 私のそれまでの人生の中で最も短かった失恋であった。
 
 それだけではない。
 情報量が多すぎる。白血病で、旦那が作家。
 今さらながらに思う。
 だから彼女は、献血のポスターに起用されていたのか……。と。


 家に帰り、インターネットで調べるとすぐに彼女の情報は出てきた。
 
 名前は夏目雅子。

 さまざまな人気ドラマや映画で主演女優を務めるも、作家・伊集院静と結婚を機に芸能界から引退。その数年後に白血病で短い生涯を終えたとあった。
 彼女の演技は評価が高く、若すぎる死に多くのファンだけでなく、関係者も涙したとあった。さらに、夫である作家の伊集院静もその心傷から筆を休めていていた。
 なんにも、かんにも、すごい話だった。
 まだ青臭いガキにはあまりにも重すぎる現実であった。

 そんな17歳の夏であった。



 気づけば、そんなことがあったことも思い出すこともなくなり、立派なおっさんに私はなっていた。

 最近、はじめた習慣に読書があった。
 だが、読書といっても、本屋で新品の本を買えるほどのお金もあるはずもない。

 会社の給料のほとんどをギャンブルに使いこみ、妻と二人の子どもを養っていたのだ。

 ギャンブルを辞めると同時にはじめた趣味が読書だったので、手元にお金があるわけがない。
 私は市中の大型中古本や小説やエッセイを100円で手に入れ、読書欲を満たしていた。100円で本が手に入るのであれば、昼飯を1回抜けば、5冊の本が買える。こんな娯楽はないと私は読書にのめりこんでいった。

 そんな100円で販売されている本の中に。彼の本があったのだ。
 しかも何冊も。
 約20年ぶりに彼の名前を見た私は彼の作品をすべて購入し読みふけった。
 小説、エッセイ、対話集。どれ一つも読み落とさないように読んでいった

 衝撃だった。

 彼の小説は、私小説。
 「フィクションである」と断りを入れてはいるが、多くが自らの経験をもとにしたものだとわかる。

 それだけではない。
 自らの父や叔父の生きてきた人生からインスパイアを受け、小説として構築している。

 在日韓国人がたくましく、日本で生き抜いていくさまが力強く描かれる。
 まさに最高の自分語り。
 自分の体験や近いところで起きた出来事であるため、物語が生々しく、感動的なのだ。

 私は数冊で虜になってしまい、彼の作品にはまっていく。
 多く読めばわかる。
 彼の出版しているのは小説だけではない。

 彼の真骨頂はエッセイなのだ。

 後に「大人の流儀シリーズ」として販売される前の、エッセイもそれに負けずと劣らない筆致、そしてメッセージ性。
 ギャンブル好きで、女好き、そして世の中を斜に構えてみているのにも関わらず、「人間」が大好きなのだ。
 そして彼は、「人間」に中に希望を持っている。

 ちょっと擦れているくせに、人を愛してやまない、そんな人間臭い彼に私はどんどん惹かれていった。

 私が本を書こうと思った際に、やはり根底には、彼のスタイルを意識してしまう。
 私の小説やノウハウの執筆スタイルは、自分語り。
 
 多くのライティング本や先輩作家さんは、「自分語りをするな」というが、私はそうは思わない。
 
 「自分語りでもいい。だけど独りよがりになるな」なのだと私は思う。

 独りよがりの文章や押しつけがましい作品にならなければ、私は自分語りでもいいと思う。

 そして、私はこれからも「自分語り」スタイルで執筆していこうと思う。

 大好きな伊集院静さんのように。

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