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異国に住むということ

一時帰国しました。台湾には半年ほど滞在したことになります。

日本の空港に降り立ったときの正直な感想は、ちょっとつまらないな、でした。
何もかもスムーズすぎるのです。というより、言葉が。母国で過ごすことがまるでイージーゲームのように感じてしまうのは少し面白いところです(それも日毎に薄れてきましたが)。

住んでみてどうだった

海外に住んでみようという思いは以前からありました。とくに大きな目的もなく。それでどうだったか。

台湾は自分にとっては、ビザなんかの問題がなければいくらでも住める土地であることが分かりました。生活のためのインフラが日本と似ている点は大きいと思います。もちろん、日本でないと歯医者で保険が効かない、みたいな個人的な差はありますが。

加えて異国にいることによる気楽さがあり、それを担っているのはどうも言語のようです。

第二言語

コンビニに届いた荷物を取りに行ったときのこと。「荷物を取りにきました」が通じなく、店員さんが別のスタッフに「この人の言ってることが分からん」というようなことを言って目の前でヘルプを出しました。

それが例えば日本語で言うところの「この方の仰ることが分かりかねます」なのか「ちょっと分かんないんだけどどうしよう」なのか「こいつなに言ってんだ」なのか、ニュアンスがどんなものなのかもちろんこちらには分からないんですね。なので気にもならない。

あるいは現地の友人と喋っていても(中国語だったり日本語だったり英語だったりするわけですが)どちらかがネイティブでない言葉を使っていることが大抵なので、多少のことが伝わりきらなくても(まぁ、いいか…)という心構えでいられる。
これは学生の頃に留学生と喋っていて感じた気楽さに通じるものがあるのですが、こちらも言葉のニュアンスにあまり気を遣わなくて良いし、相手に期待をかけてしまいすぎることもないのです。

もともとが直観人間なので、言葉で100%に近いかたちで意思疎通しようという前提がないのはありがたいです(そう思っているのはこちらだけかもしれないですが)。

台中のとある公園

これも学生のころ、日本語すらーーーいちおう日本語ネイティブなのですがーーー自分にとっては第二言語のようなものだ、と思っていたことがあります。
それは何でだったかな。当時のような確信はありませんが、でも今でもきっとそうなんだろうなという感覚は残しておこうと思っています。
そうしたときに、ネイティブスピーカーであることが求められる日本よりも、異国の地のほうが負担が少ないのかもしれません。

とりあえず今は毎日のようにスーパーで叩き売りになっていたマンゴーが懐かしいです。次に行くころにはバンレイシが盛りになっているかもしれない。

せっかく帰国したので、生まれた土地で色々整えてからまた渡航しようと思っています。日本での絵の展示やらイベント参加も若干控えています。

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