子連れで挑んだ台湾総統選2024
私は都内で小学校低学年の長男と未就学児の男女の双子を育てる30代中盤の日本人女性だ。旦那さんは台湾人で日本に来てもう10年以上になる。
2024年1月13日に台湾にて総統選挙と立法院選が行われた。この選挙を見るためだけに今回旦那と子供3人を連れて台湾に行ってきた。私なりに感じたことをノートに残しておこうと思う。
あくまで私の親戚とのエピソードが大半を占めるためかなりバイアスががっている部分があることをご了承いただきたい。
Day 1 選挙集会
朝の便で羽田を出発し、台北に着いたのはお昼頃。旦那のいとこであるAndyが空港まで迎えにきてくれた。Andyはカナダで生まれカナダで育った。彼の両親は台湾が民主主義を勝ち取る前にカナダに渡った。彼の父方の祖父は国民党のメンバーで中国から渡ってきた外省人だ。Andyは投資家で夏は台湾は暑すぎるのでカナダ、冬は台湾。といった具合に気候に応じて台湾とカナダを行き来する生活をここ6年ほど送っている。
Andyに車でホテルまで送ってもらう車中で、彼に尋ねた。
「ねぇ、誰に投票するか聞いてもいい?」
「柯文哲にいれようかなと思ってるよ。今回は誰に入れるかっていうよりも候補者の政策で判断したんだ。」
柯文哲とは台北市長経験者であり今回若者の支持があついと言われていた候補者だ。
「えぇ〜?そうなの?民進党に入れないとシーラに怒られるんじゃない?」
シーラとはAndyの彼女だ。彼女の一族は根っからの民進党支持者で彼女の両親は相当のお金を民進党に寄付している。お互いに意見を曲げない2人は政治の話になると意見が合わない。
ここで簡単に今回の選挙の候補者と政党についてスーパーざっくり書こう。
今回の選挙では総統選と立法院の議員選が同時に行われた。
総統選には現政権を運営している民進党の賴清德、現総統である蔡英文は二期務めた。テーマカラーは緑。台湾独立寄りだと日本では表現されることが多いが、私から見ると支持者達は独立を求めているというよりは、すでに台湾は独立しているのでそれを認めてほしいと感じている人の方が多いと思う。どちらかといえば現状維持だ。
そして国民党の侯友宜は元警察官僚だ。テーマカラーは青。中国寄り、中国とは経済的にも文化的にも通じているため対話をすべきと考えている政党だ。
そして今回、注目を浴びたのが元台北市長である柯文哲。テーマカラーは白。国民党は中国に寄りすぎ。かと言って民進党みたいに中国にノーとばかり言ってるのもおかしい。と主張して出てきた若者に人気の候補者だ。
それに加えて立法院の議員選挙があった。総統選よりも注目されており、民進党が過半数をとれないとなると今後4年の政権運営に大きく関わってくる為、多くの人が総統選よりも立法院選挙のことを気にかけていた。(総統は民進党になるだろうとの予想だった。)
「今日の夜、民進党の台北での投票前の最後の集会があるみたいで私行きたいんだよね。」
「ちょうど僕たちも行こうと話してたんだ!実は僕も台湾の選挙集会は行ったことがなくて。一緒に行こう!」
ホテルに到着すると民進党の緑の旗と缶バッチを沢山抱えてシーラも部屋にやってきた。ちなみに国民党は青色、前台北市長である柯文哲は白色が今回のそれぞれのテーマカラーだ。早速私は缶バッジを胸につけて選挙気分を盛り上げる。日本ではありえない光景だなと思う。ちなみに私は日本でも政治に熱心な方だ。いつも不思議だなと思うことがある。どんなに高学歴で優秀な友人でも政治の話をするとぽかーんとした顔になる。日本人全員がというわけではもちろんないと思うが感覚的に政党の特徴をざっくりと理解していたり、ぼんやりでもいいので自分の政治信条を自ら理解している人が私の年代では非常に少ない。その上、日本はそもそも政治と宗教の話はタブーっていう雰囲気だ。そんなことをシーラに話したら、
「あら、私だって明らかな国民党支持者の友達の前ではやっぱり政治の話をするの控えるよ。もう分かり合えないものだと思うから不要なケンカは避けたいの。」
すると横からAndyが
「その考え、カナダやヨーロッパではあまりないな。考えが違う同士で対話をしないと意味がないよ。」
台湾の人は、自分の支持する先がぼんやりでもちゃんと決まっていて衝突を避けるために議論をしない。日本人は政治ってよくわからないから話さない。だと思う。(もちろん全員ではない。)
集会までまだ時間があるのでホテルからゆっくり歩きながら集会場所まで行こうということになった。
最後に台湾に来たのはコロナ前。双子にとっては初めての台湾だ。コロナの時には台湾のSARSの経験を活かしたコロナ対策が世界的に評価された。ここ数年台湾についてのニュースも日本で多く目にするようになり私は6年ぶりの台湾がどう変わっているのかワクワクしていた。途中にシーランのおすすめの麵線(にゅうめん的なもの)の有名店があるから寄ろうということになっていた。地元民にもとても人気らしくローカル客が列を作っていた。列に並びながら辺りを見回すとどこもかしても古い。というか私が知っている台湾のままだ。洗濯物が干してあるからきっとあそこに住んでるのだろう。
「ねぇあそこって人が住んでるんだよね?古いから安そうじゃない?」
とAndyに尋ねた。
「ここは台北の中でも中心的なエリアだからどんなにボロボロでも家賃はすごい高いんだ。若い夫婦は住めないよ。今回、柯文哲もその問題に言及していて土地の価格を下げるべきだと主張しているんだよ。」
10分ほど並んでお目当ての麵線にありつけた。牡蠣が入っていたりホルモンが入っていたりしてローカルフード感がある。いまいちだと感じた私とは逆にもりもり食べる子供たち。食べ終わって出るとすぐ横にあった饅頭屋台で大量に色々買ってくれるAndyとシーラン。いやいやもう食べれないわ。子供達は大根が入っている饅頭や、芋饅頭をむしゃむしゃ食べる。30代中盤になり量が食べたくて食べられなくなってしまった。悔しい。
その後も食べ歩きをしたり寄り道をしながら、総統府の近くで行われる民進党の集会へ歩いて向かった。
近づいてもあまり人がいないので、あーら全然盛り上がってないじゃないと思いながら角を曲がった途端に急に群衆が目に入った。道の脇では民進党の今回のスローガン"選對的人,走對的路"(正しい人を選んで、正しい道を進もう)と印字されたバッジやグッズを販売していた。このスローガン、私から見てもシンプルでわかりやすいし韻も踏んでいて、いいスローガンだなと思った。
人がどんどん多くなる。とてつもない人の数だ。双子は肩車をして旗を振って楽しそうに
「凍蒜!凍蒜!(当選、当選!という意味)」
と人々に合わせて盛り上がっていたが、もう肩車ができない大きさの長男はあまりの人の多さと熱狂ぶりに泣き出してしまい、少し離れて参加することにした。道行く人たちがピースをしながら笑顔を向けてくる。実はピースというよりも2番という意味合いの方が強く、13日の選挙では民進党の番号である2番と書きましょうね。というジェスチャーだ。
息子が泣いていると「不要哭啦(泣かないで〜)」と多くの人が優しく話しかけてくれる。本当に台湾の人は暖かいと感じる。
結局人の数が多すぎて前に進めず、ステージをこの目で見ることさえできなかった。でもあの熱狂を直接この目で見ることができてよかった。
Day 2 選挙前日
朝、起きてぼーっとしながら台湾ローカルテレビのCMを眺める。すると気がついた。日本というワードの多さに。
コンタック!日本でも大人気の風邪薬!!
カフェインなしで超健康的!日本から来た麦茶!!
あなたの肌を乾燥させない日本ブランドの保湿クリーム!
などなど日本というワードをつけることが台湾の広告業界では当たり前なのだろうか。
旦那が屋台で朝ごはんを食べようというので、ホテルを出て近くの朝ごはん屋台へ向かう。蔥油餅やスープなどを買う。私は台湾バジルである九層塔が大好きなのでそれが入ってるもの蔥油餅。子供たちはハムと卵いりの蔥油餅。この日は平日なので屋台の横をジャージという名の制服を着た子供たちが通り過ぎていく。ジャージ姿の子供たちが沢山いる風景ってとっても台湾ぽいよね〜と話しているを足元を1匹大きなネズミが駆け抜けた。動物が大好きな双子の弟が歓喜する。
「ねずみ!!かわいい!昨日の夜も大きな鳥さんとか1人で歩いてる犬もいたし、台湾って動物がお外にたくさんいてすごいね。ポケモンの世界みたいだね。」
となんとも可愛い発言をする。
今日の夜はAndyが予約してくれたホテルの近くのレストランで親戚たちと食事をする予定だ。日中は何も予定がなかったので、私はホテルの近くにある臺北市立美術館に行きたかった。私は美術館が好きだ。特に海外に行くと必ず現地の美術館に1つは足を運ぶようにしている。台湾には何回も来たことがあるが台湾ではなぜか行ったことがなかったのでとても興味があった。
美術館が好きではない子供たちを、近くに公園があるからと無理やり誘い出し、その後にポケモンセンターに連れていくと約束をした。なぜ台湾に来てまでポケモン?と思われるかもしれないが私の会社のポケモン大好きなスタッフに台湾限定ピカチューを買ってくると約束したのだ。
臺北市立美術館は思ったよりも大きく立派な建物だった。中の展示は扱っている作品がとても前衛的で台湾という"若い国"をもろに感じさせてくれた。日本やヨーロッパのように歴史が長く熟されている感がなくフレッシュさを全面に出している。それが悪く言えば未熟にも感じるし、良く言えばこれからの伸び代や自由を感じられる。
子供にとってはつまらなかったらしく早々に鑑賞を切り上げてタクシーでポケモンセンターに向かう。
去年の12月にオープンしたばかりのようで入場するにも列ができていた。
「げっ!並んでるじゃん!もう日本で買えるものばかりだし並ばなくていいよ!」
と旦那に言うと、
「限定ピカチュー買って帰るって約束したから並ばないわけにはいかない。」
と息子2人とすでに並んでる。
ぐずる娘と私は並ばずぷらぷらと散歩しながら待つことにした。
20分後、限定ピカチューと日本でも絶対に買えるようなポケモンのぬいぐるみをそれぞれ買ってもらった男達と合流した。
その後、近くのフードコートでお昼ご飯を食べてホテルに戻る。昨日からずっと歩いて正直疲れた。というか東京にいると電動自転車か車でしか移動しない私の足は相当衰えていると感じた。日本に帰ったら家の近くにできたチョコザップにでも行こうかな。
親戚との食事会までまだ時間があるので私1人でホテルの近くのマッサージに行くことした。予約もせずにお店に入ると、誰もいない。
奥に向かって声をかけるとおばさんが出てきた。
マッサージのメニューを渡され、90分全身コース足マッサージ付きを選ぶ。
「これ足マッサージいらないから90分全身でも大丈夫?」
と聞くと、
「いいよ。待って、今電話するから。」
と誰かに電話をかける。
「もしもし?今、暇?来れる?」
私は座って待つ。
「今から来るから座って待ってて。」
ゆるすぎる。台湾らしさ爆発だ。
5分後、電動バイクで私の担当のおばちゃんが到着。
「あなたかな?ごめんね〜」
と言いながらヘルメットを脱ぐ。
奥の部屋に移動してタイマーを押してマッサージがはじまる。私はうとうとしてしまった。
目が覚めると入り口の方からわいわいと声が聞こえる。お客さんで賑わってるようだ。テレビのニュースを見ながら明日の選挙の話に花を咲かせている。タクシーに乗れば運転手のおじちゃんと政治の話をする旦那。”政治の話をしない国”から来た私にとってはこんなささやかな風景もとても印象的に映る。
でも私もそうだった。”政治の話をしない国”出身の”政治の話をしない人”だった。
私は20歳の時にアメリカに1年間語学留学をした。私が通った語学学校は随分とヨーロッパからの生徒が多かった。特に多かったのがスイスとドイツからの生徒だった。ある日のディスカッションのクラスのテーマが「第二次世界大戦」だった。スイス人とドイツ人の生徒同士が拙い英語で激しく議論している横で私は初めて感じた。私はちゃんと歴史を学んでないし、特に何も感じていないと。最終的に議論がさらにヒートアップした2人は母語であるドイツ語で叫び合っていた。それでも当時、彼氏やらオシャレやら旅行やらに夢中だった私は自分の不勉強さを恥じてもいなかった。その頃に仲良くなったシンガポールの友人と徴兵制についての話になったとき、私はシンガポールに徴兵制があること自体知らなかった。彼は私に、
「君たち(日本人)のせいで徴兵制がはじまったんだよ。」
と笑いながら言った。言ってる意味がわからなかった。それでも私は自分の無知さに蓋をした。
それから何年も時が経ち、私は台湾人と結婚した。
耳がよくない旦那は随分と大きな音量で台湾のニュースをyoutubeやfacebookでチェックする。それが日常となった。
台湾のひまわり運動の時、香港の雨傘運動の時、彼は徹夜しながらそれらの進捗を見守った。
彼が見ていること、感じていることを理解するために私は日本と台湾と中国、そして世界の歴史を学び直す必要があった。
それから数えきれない本を読み、数えきれないほどのドキュメンタリーを観た。そしてなんとなく自分なりに理解したと思えたのは本当にここ最近のことだ。
マッサージからホテルの部屋に帰ると、そろそろ待ち合わせの時間だ。ダラダラとSwitchをしたり、ipadでyoutubeを指を咥えながら見てる子供達に声をかけて準備させる。
レストランはホテルから歩いてすぐなのに、わざわざホテルの下までAndyが来てくれた。レストランに着くと旦那のおじさんとおばさん、外交官のいとこがすでに待っていた。少し遅れてシーラがやってきた。旦那の父親も誘ったのだけど結局来なかった。旦那は父親と折り合いが悪い。旦那と仲がよかった母親は8年前に癌で亡くなった。早すぎる死だった。
外交官のいとこはアメリカの台湾領事館で働いている。今回民進党の副総統候補である蕭 美琴は彼のボスらしい。蕭 美琴と一緒に撮った写真を自慢げに見せてくれた。そしてバイデン大統領の好物のお菓子と蕭 美琴のスローガンTシャツをお土産としてくれた。
早速、選挙の話に花が咲く。Andyが柯文哲に入れるというと、おばさんが目の色を変えてまくしたてる。
「あの男に騙されてはダメよ!私だって彼が台北市長の時はいいなって少し期待した。でも結局今回だって寝返ったじゃない!彼は嘘つきで信用できない。あなたも目を覚ましなさい。」
Andyは横で苦笑いだ。その後も政治の話で盛り上がる宴席。
なにかの話の文脈で、外交官のいとこが、
「第二次世界大戦では日本って正直悪役だったよね。あっ、いけない。」
と口を押さえた途端に、場がしんと静まり返った。旦那がすかさず、
「大丈夫、妻もあの戦争での日本の行いについては知っているから君にそう言われても大丈夫だよ。」
とフォローを入れた。
私がはじめて第二次世界大戦に触れたのはおそらく小学校低学年の時に学校を図書館で熟読した”はだしのゲン”だ。生々しい描写に怯えながら、それを上回る好奇心でページをめくった。そして”ほたるの墓”だ。終戦日が近くなるとテレビでよく放映されてた気がするが、母がこんな悲しい話見たくない。と見るのを強く拒んでいたのをよく覚えている。
その後、高学年になり歴史の授業が始まりそれから高校に渡って歴史を学んだと思うのだけど私が学んだ歴史で日本が”加害者”であったことを学んだ記憶はない。
私なりに日本の歴史を正しく理解したと思えたのはそれこそここ最近だ。
日本の歴史の授業では加害の歴史がごっそり抜け落ちていると感じる。被害者の側面だけを学んでも、一歩日本の外に出た時に恥ずかしいほど置いていけぼりになる。私がそうだった。
その夜の宴がお開きになり、帰り際にもおばさんは
「まだ考える時間はあるのよ。明日の投票までよく考えて。」
とピースをした。
最後までAndyを説得しようとしていた。
Day 3 選挙当日
朝から旦那の携帯が鳴る。
「ゴリラが一緒に朝ごはん食べようだって。」
ゴリラとは旦那の親友の1人だ。旦那は小学生の頃から高校までずっと水泳をやっていて、学校も水泳も一緒に通っていたのがこのゴリラとサイモンだ。
ゴリラとサイモンと旦那は毎日グループラインでやり取りしている。異常に仲がいい。
ホテルの近くで適当に食べると思ったが、わざわざ車で彼のオススメの早餐店に連れて行ってくれるらしい。ゴリラはサービス精神が旺盛だ。
彼はよく日本に遊びに来るので子供達もゴリラに慣れている。でも我が子たちは中国語も英語も話せないためお互いに自分の言語で話しかけて理解しあえていない。今回の滞在で子供達に頑張ってコミュニケーションを取ろうと頑張って四苦八苦している親戚たちを目の当たりにして、やはり子供達にも中国語は教えるべきだな。と改めて感じた。
雙連駅の目の前の通りには食べ物のお店が所狭しと並ぶ。その中のひとつがゴリラのおすすめのお店だ。人が通る道の脇に無理やりテーブルと椅子が並べてあり、朝の忙しい様子を眺めながらビーフンやスープを食べた。
子供がスープをこぼすとすかさずティッシュのケースを持ってくるゴリラ。喉が渇いた。と子供がいうと数メートル先にあるコンビニで水を4本も買ってくるゴリラ。本当に気が利くやつだ。
「これから義父と一緒に投票に行くんだ。サイモンにも電話して緑に入れるよう言っておくわ。」
と言いながらホテルまでまた送ってくれた。ゴリラも民進党支持者だ。
せっかくなので近くの小学校に選挙の様子を見に行くことになった。
ホテルのすぐ近くの小学校の校庭は大きく遊具がたくさんあり、親の選挙に着いてきた子供達がたくさん遊んでいた。
娘が得意な鉄棒で遊ぶと娘より大きな女の子が、
「上手だね。」
と声をかけてくれたが言ってる意味がわからない娘はぽかんとしていた。
今年は特に暖冬らしいが1月中旬なのにTシャツでも大丈夫だ。晴れていてとても気持ちいい天気だった。
校舎の方に目を向けるとたくさんの人たちが並んで投票をしていた。子供達が走り回る校庭の様子と投票中の校舎のコンビネーションが、日本で育った私にとって見たことのない光景で幸せな気持ちと、緊張した気持ちが混ざった妙に変な気分になった。
小学校の向かいのスーパーで日本に持って帰るお土産を色々買いながら、ホテルに戻る。
午後は公園のある華山1914文化創意産業園区まで散歩がてら行くことになった。「華山1914文創園区」は、日本統治時代の酒工場の跡地を再利用した台北おしゃれ若者スポットだ。
真横に公園が隣接してあり、遊具がたくさんあるので子連れにおすすめスポットだ。
おっさん達が草っ原に大きなシートを広げ、シャボン玉や凧を売っている。日本では捕まると思うがこういう商売に対しても寛容な台湾だ。
子供達がおっさんのシートに駆け寄り、もちろんねだる。
日本では見たことのない釣竿についた小さな凧があった。
「これいくら?」
「200元(1000円弱)」
「たっっか!!!!」
「スーパーぼったくりプライスやん!!!」
せっかく台湾に来たんだから買ってあげろよ。と我ながら思ったが、ちょっと高すぎるので考えようと道を進むと、ぼったくりシートが道の先にも何個もある。
「これいくら?」
「200元」
「………ください。」
とりあえず弟と長男の分、2個買って娘にはシャボン玉を買う。
大喜びで遊ぶ男達。作りは単純でロークオリティだが中々面白い。
娘も欲しいと騒ぎ出す。結局、人数分買うことになった。
そんなこんなで凧に燃えまくっていると、投票から帰ってきたAndyとシーラと公園で合流した。
「結局誰に入れたの?」
すかさずAndyに聞く。
「………侯友宜に入れたよ。でも立法院は民進党。政党票も民進党に入れた。」
「へーーーーーー!!」
「もうすでに8年間、民進党が政権運営してて今回も民進党が勝ったら12年政権を握ることになる。民主主義国家としては長すぎるんだよ。空気の入れ替えが絶対に必要だと思う。いくらいい政党でも長く権力を握りすぎると腐敗する。色々言われているけど国民党の中でも侯友宜って頭がいい人間ではないと思うけどまだマシな方だと思うんだ。僕の理想としては今回とりあえず国民党に4年やらせればいいと思う。立法院にある程度、民進党議員がいれば大丈夫だろう。4年後は蕭美琴が総統候補として出て勝ってほしい。彼女は非常に優秀な政治家だと思う。正直、賴清德のことそんなにいいとは思えない。もし今回民進党が勝ってしまったら4年後はさすがにもう再選できないだろう。長い目でみると今回みると今回民進党が勝つことって今の台湾を維持したいのであればリスキーなことだと思うんだ。」
「本当にAndyってトリッキーよね。」
と煮え切らない顔をしているシーラ。
「長いからって理由だけで政権交代させるのってどうなんだろう?明らかに民進党には優秀な人材が揃っているし、国民党や柯文哲に今後4年託す方が僕はリスキーだと思う。台湾は日本やカナダとは違うんだ。常に中国からの脅威に晒されているって感覚って理解するのは難しいと思う。」
と旦那も意見を述べる。
「16時から開票がはじまるけど、せっかくだからうちの実家でみんなで開票を見ましょうよ!」
しばらくブラブラしてからシーラの実家に向かうことにした。
シーラの実家は台北のど真ん中にあるマンションだ。
ドアを開けると40畳ほどのリビングが広がりテレビにはすでに開票速報が流れいた。シーラのご両親と弟が出迎えてくれた。
リビングの中には色々高そうなものが置いてありなりふり構わず自分の家のように走り回る子供達に2分おきに注意する。
「ワイン飲む?」
とシーラママが勧めてくる。
「飲みます!」
というと、グラスの下が丸くなっており、ふらふらと不安定な丸っこい謎のグラスに注がれる。変な置き方をすると割ってしまいそうで、普通のグラスにしてほしいと内心思った。
「あら、これ新宿伊勢丹で買ったのよ。このグラスも日本製なのよ。私、伊勢丹大好き。」
日本の富裕層だけでなく台湾の富裕層まで取り込んでいるのか。新宿伊勢丹恐るべし。
「あーら、Andy見ないさいよ。あなたが応援してた柯文哲陣営の事務所、人が誰もいないくてかわいそうだわ。行ってあげれば?」
と嫌味をぶつけるママ。ママはAndyが侯友宜に入れたことは知らないようだ。
開票が進むにつれてほぼ総統は賴清德になることが確定した。残るは立法院だ。旦那が応援していた2人の候補者、ひまわり学生運動にも参加した吳崢、初のLGBTQ議員になると期待されていた苗博雅は落選した。2人とも30
代中盤の若くて熱い政治家だ。
「一筋縄ではいかない所が台湾の選挙だよね。」
とトーンが下がる。
子供達が開票に飽き始める。
「せっかくだから夜市に行こうか?今日は週末だし子供達が遊べる屋台もたくさん出てるはずだから。」
全ての開票を見届けずに近くの寧夏夜市に行くことになった。
着くと週末なこともありすごい人だ。子供達はもちろんキラキラ光るゲーム屋台に吸い寄せられる。どの屋台も1ゲーム100元だ。円安なこともあり少し高く感じるが、中々帰省できないため飽きるまでやらせる。
「上手だね!」
と子供達に優しく話しかけながらシーラはずっと耳にイヤホンをつけて開票をチェックしている。
さんざん遊んだらもう22時近くになっていた。夜市の入り口でAndyとシーラがタクシーを捕まえてくれた。手をふるシーラの耳にはまだイヤホンがついていた。
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今回の投票率は71パーセント。前回の選挙より3ポイント下がったとのことだか非常に高い選挙率だ。
一方、総統選挙と同時に行われた議会・立法院の選挙では、113議席のうち、国民党が52議席、民進党が51議席、民衆党が8議席を、それぞれ獲得した。
民進党は改選前より11議席減らして過半数を維持できず。
住宅価格の高騰などへの不満が与党に向かったことや、Andyのように長期政権をけん制する有権者の心理が要因とみられ、頼清德は「われわれの努力が足りなかったことを意味する。虚心に反省すべき点だ」と述べた。
「日本は問題があまりないから政治に目を向ける必要性がないのかもね。台湾ってほらもう問題だらけじゃない。」
とシーラが言った。
本当にそうだろうか?日本は問題があまりないのだろうか。
私は涙もろい。子供ができてからなおのことだ。
森友学園問題、外国人実習生の劣悪な労働問題、移民の問題、非正規雇用問題などのニュースで涙がでる。
そして日本の外見れば、香港デモ、ウイグル問題、ロシアウクライナ、イスラエルガザ。解像度をあげて見ようとするとあまりの残酷さに目を背けたくなるものばかりだ。
でもいいのだろうか。目を背けても。
いいのだろうか。そんなニュースに慣れて「そういうものでしょ。」とクールに構えても。
いいのだろうか。明日には我が身になっても。
Andyを宴の席で熱烈に説得していたおばさんが言った言葉が印象的だった。
「私の父はね、言論の自由がない時代に育ったの。見つからないように隠れて本をたくさん読んだのよ。そして自由を意味を私に教えてくれた。国民党になったってそんな香港みたいにならない、大袈裟だってみんな思うじゃない。でも怖いのよ。言いたいことがいえない世の中に戻るのが。」
隣国、台湾から学ぶべきことは多い。